{
2008/09/15(月) }
思考が停止していた。
今、自分の身に何が起こったのかわからない。込み上げてくる咳だけを、何度も喉から吐き出す。
「ごめんね、お兄ちゃん。やっぱり私、こんなの許せない」
初めて聞く美里の声は、とても遠くに聞こえた。意識が朦朧としている。そんな中、彼女の言葉のひとつに強烈な違和感を抱く。
――おにいちゃん。……お兄ちゃ……。……!!……お兄ちゃん!?
瞬時に意識が覚醒する。もしかしたら、オレは、とんでもない勘違いを――?
仰向けに倒れ込んだオレの頭上に美里がしゃがみ込む。見たことのない子だった。彼女の幼い外見は、年下のようにすら見える。これでも同い年くらいなのだろうか。よく見ると優しく温かい瞳をもつ美少女だ。目が合う。その可愛らしい瞳には、未だ涙が溢れていた。
「どうして、こんなことするの?」
彼女の言葉が胸に刺さる。
次第に思考力が舞い戻ってくる。同時に、オレの中の正義が脆くも崩れ去っていく。
真実を知った今、美里のその問いかけはあまりにバツが悪かった。まるで大きな権力を剥奪されたような心境だ。言葉が出てこない。さらに、この小さくて華奢な子に、自分が投げ飛ばされたという事実がどうしても受け入れられない。
美里はさらに言葉を連ねる。
「渚さんを知ってる人? でも、いきなりこんな……」
「うるせぇよ」
混乱したオレには、そう虚勢を張るのが精一杯だった。
「教えて。何か理由があったはずでしょ?」
「うるせぇって言ってんだろ! 理由なんてねーんだよ!」
「……それは嘘だよ。でも、例えどんな理由があったとしても、突然襲い掛かるのは卑怯」
美里は潤んだ瞳でオレを見つめ、諭すような言葉を並べる。その表情に胸が痛む。しかし、オレはもう後戻りできなかった。そう。二股は確かにオレの勘違いだった。
でも……だったらどうだって言うんだ。こんな貧弱な一教師と渚さんじゃ、到底、割に合わない。現にオレは今、こいつをボコボコにした。渚さんに相応しいのは、オレだ。
キッと美里を睨みつける。感情を抑え込み、
「ふん。まぁ、それは嘘かもな。でも、オレはそいつに勝った。それが現実だ」
と、静かな声で答える。
「渚さんからは、手を引いてもらう」
そう付け加えたオレを見て、美里はため息をつく。
「本気で……そう思ってるの? 本気で……お兄ちゃんに勝ったと思ってるの?」
そう問いかけた美里の瞳には、既に涙はなかった。代わりにそこにあったのは、静かに燃える青い炎のような揺らめきだった。緊張感に襲われ、オレはゴクリと唾を飲み込む。身体の諸所が汗ばんでくるのがわかる。しかし、ここまできたら、今さら引っ込みはつかない。オレの答えは変わらなかった。
「あ、当たり前だ。見りゃわかるだろうが。お、オレの勝ちだ。勝ちなんだよ!」
無意識に声が上擦る。感情的になり、語尾が強くなる。
「……違うよ。あなたは負けたの」
美里の声は冷たい響きを帯びていた。
「これから、それを証明してあげるから」
彼女の瞳の端が、きつく吊り上がった。
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今、自分の身に何が起こったのかわからない。込み上げてくる咳だけを、何度も喉から吐き出す。
「ごめんね、お兄ちゃん。やっぱり私、こんなの許せない」
初めて聞く美里の声は、とても遠くに聞こえた。意識が朦朧としている。そんな中、彼女の言葉のひとつに強烈な違和感を抱く。
――おにいちゃん。……お兄ちゃ……。……!!……お兄ちゃん!?
瞬時に意識が覚醒する。もしかしたら、オレは、とんでもない勘違いを――?
仰向けに倒れ込んだオレの頭上に美里がしゃがみ込む。見たことのない子だった。彼女の幼い外見は、年下のようにすら見える。これでも同い年くらいなのだろうか。よく見ると優しく温かい瞳をもつ美少女だ。目が合う。その可愛らしい瞳には、未だ涙が溢れていた。
「どうして、こんなことするの?」
彼女の言葉が胸に刺さる。
次第に思考力が舞い戻ってくる。同時に、オレの中の正義が脆くも崩れ去っていく。
真実を知った今、美里のその問いかけはあまりにバツが悪かった。まるで大きな権力を剥奪されたような心境だ。言葉が出てこない。さらに、この小さくて華奢な子に、自分が投げ飛ばされたという事実がどうしても受け入れられない。
美里はさらに言葉を連ねる。
「渚さんを知ってる人? でも、いきなりこんな……」
「うるせぇよ」
混乱したオレには、そう虚勢を張るのが精一杯だった。
「教えて。何か理由があったはずでしょ?」
「うるせぇって言ってんだろ! 理由なんてねーんだよ!」
「……それは嘘だよ。でも、例えどんな理由があったとしても、突然襲い掛かるのは卑怯」
美里は潤んだ瞳でオレを見つめ、諭すような言葉を並べる。その表情に胸が痛む。しかし、オレはもう後戻りできなかった。そう。二股は確かにオレの勘違いだった。
でも……だったらどうだって言うんだ。こんな貧弱な一教師と渚さんじゃ、到底、割に合わない。現にオレは今、こいつをボコボコにした。渚さんに相応しいのは、オレだ。
キッと美里を睨みつける。感情を抑え込み、
「ふん。まぁ、それは嘘かもな。でも、オレはそいつに勝った。それが現実だ」
と、静かな声で答える。
「渚さんからは、手を引いてもらう」
そう付け加えたオレを見て、美里はため息をつく。
「本気で……そう思ってるの? 本気で……お兄ちゃんに勝ったと思ってるの?」
そう問いかけた美里の瞳には、既に涙はなかった。代わりにそこにあったのは、静かに燃える青い炎のような揺らめきだった。緊張感に襲われ、オレはゴクリと唾を飲み込む。身体の諸所が汗ばんでくるのがわかる。しかし、ここまできたら、今さら引っ込みはつかない。オレの答えは変わらなかった。
「あ、当たり前だ。見りゃわかるだろうが。お、オレの勝ちだ。勝ちなんだよ!」
無意識に声が上擦る。感情的になり、語尾が強くなる。
「……違うよ。あなたは負けたの」
美里の声は冷たい響きを帯びていた。
「これから、それを証明してあげるから」
彼女の瞳の端が、きつく吊り上がった。
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{
2008/09/14(日) }
正義という大義名分を得ての制裁は、とても心地がよかった。
非力な教育実習生を痛めつける度に、自分の強さが実感できる。絶叫や苦悶の声を聞く度に、優越感に浸ることができる。そして何と言っても、その全てが正義という名目に強く裏打ちされているのだ。
教師が無様に倒れ込む。仰向けになったそいつの上に馬乗りになり、オレはさらに拳を振り上げる。
「情けねぇなー、辻先生よぉ」
言いながら、オレは振り上げた拳を辻の頬に叩き付ける。
既に辻の全身はボロ屑のようになっていた。顔面は腫れ上がり、諸所に血が滲んでいる。
辻の浮気相手は俯いたまま涙を流していた。その拳は固く握られていた。
「美里……絶対、手を……出すな……」
辻が浮気相手――美里というらしい――を制する。彼女は応えず、ただ黙ったままだった。
「カッコイイねぇ。女の前だからって無理してさ」
と皮肉り、再度、反対側の頬を殴る。オレは悦に入り、何度も殴り続けた。
やがて辻は声を上げなくなり、ぐったりと身体から力を抜いた。
オレは立ち上がり、その無様な教師を軽蔑の目で見下ろした。口元に笑みが零れる。
「弱ぇやつだな。おら、まだ終わりじゃねーぞ」
そう言って、オレは倒れたクソ教師に何発も蹴りを入れた。そして、
「渚さんからは手を引け」
と、勢いづいて言葉をぶつける。
しかしその言葉に、辻はピクリと反応した。切れてほとんど開かない目の奥に鋭い眼光を湛え、
「それは、できない」
と、きっぱりと言い放った。
その態度が癇に障り、オレは再び何度も蹴りを加えた。
「何回も言わせんな。渚さんとは別れろ!」
「できない……絶対に!」
「オレは教師だからって手加減しねーぞ! ぶっ殺すぞ!」
「……殺せよ。でも、彼女は渡さない」
「んの野郎!」
頭に血が上る。感情に任せ、何度も何度も辻を蹴り続ける。しかし、そいつの答えは変わらない。
「僕は……先生は、渚ちゃんと――」
ちゃん付けで彼女の名を呼ばれたことで、オレの怒りが頂点に達する。
再び足を振り上げる。その時、ふと違和感を覚えた。視界の隅にいたはずの美里の姿が消え――
そう思った瞬間、彼女が肩からオレの懐に入り込んでくるのが見えた。襟首をぐいと掴まれたことを理解した時には、既にオレの身体は宙を舞っていた。床に背中を強打する。
「ぐふうっ!」
無意識に、オレは呻き声を上げていた。
「み、美里……!」
辻のその声が、意識の奥の方でわずかに聞こえた。
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非力な教育実習生を痛めつける度に、自分の強さが実感できる。絶叫や苦悶の声を聞く度に、優越感に浸ることができる。そして何と言っても、その全てが正義という名目に強く裏打ちされているのだ。
教師が無様に倒れ込む。仰向けになったそいつの上に馬乗りになり、オレはさらに拳を振り上げる。
「情けねぇなー、辻先生よぉ」
言いながら、オレは振り上げた拳を辻の頬に叩き付ける。
既に辻の全身はボロ屑のようになっていた。顔面は腫れ上がり、諸所に血が滲んでいる。
辻の浮気相手は俯いたまま涙を流していた。その拳は固く握られていた。
「美里……絶対、手を……出すな……」
辻が浮気相手――美里というらしい――を制する。彼女は応えず、ただ黙ったままだった。
「カッコイイねぇ。女の前だからって無理してさ」
と皮肉り、再度、反対側の頬を殴る。オレは悦に入り、何度も殴り続けた。
やがて辻は声を上げなくなり、ぐったりと身体から力を抜いた。
オレは立ち上がり、その無様な教師を軽蔑の目で見下ろした。口元に笑みが零れる。
「弱ぇやつだな。おら、まだ終わりじゃねーぞ」
そう言って、オレは倒れたクソ教師に何発も蹴りを入れた。そして、
「渚さんからは手を引け」
と、勢いづいて言葉をぶつける。
しかしその言葉に、辻はピクリと反応した。切れてほとんど開かない目の奥に鋭い眼光を湛え、
「それは、できない」
と、きっぱりと言い放った。
その態度が癇に障り、オレは再び何度も蹴りを加えた。
「何回も言わせんな。渚さんとは別れろ!」
「できない……絶対に!」
「オレは教師だからって手加減しねーぞ! ぶっ殺すぞ!」
「……殺せよ。でも、彼女は渡さない」
「んの野郎!」
頭に血が上る。感情に任せ、何度も何度も辻を蹴り続ける。しかし、そいつの答えは変わらない。
「僕は……先生は、渚ちゃんと――」
ちゃん付けで彼女の名を呼ばれたことで、オレの怒りが頂点に達する。
再び足を振り上げる。その時、ふと違和感を覚えた。視界の隅にいたはずの美里の姿が消え――
そう思った瞬間、彼女が肩からオレの懐に入り込んでくるのが見えた。襟首をぐいと掴まれたことを理解した時には、既にオレの身体は宙を舞っていた。床に背中を強打する。
「ぐふうっ!」
無意識に、オレは呻き声を上げていた。
「み、美里……!」
辻のその声が、意識の奥の方でわずかに聞こえた。
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{
2008/09/13(土) }
オレのその言葉に、ようやく紗希は興味を示したようだった。
椅子からすっと腰を上げてオレに近付き、しげしげと全身を眺め回す。オレの周囲を一回りした後、紗希はオレの目の前に立ち、今度はじっとオレの顔を見つめ始めた。額が掠るかと思うほどの距離だ。
「な、何だよ……?」
気恥ずかしさが全身を包む。紗希はそれには答えず、なおもオレの瞳を食い入るように見つめ続ける。彼女の表情は涼やかだったが、その瞳は鋭利な刃物のように感じられた。
思わず目を逸らす。その瞬間――
「うぐっ!」
呻き声が喉の奥から漏れ、無意識に背を丸めて紗希に凭れ掛かる。世界が暗転し、嘔吐感に襲われる。
どうやらボディブローを入れられたようだった。気付けば既に拳は抜かれ、込み上げる不快感だけがうっすらと内部に残っていた。
「……なに、すんだよ……」
咳き込みながら、かろうじて声を絞り出す。敵意を感じ、必死で紗希に威嚇の目を向ける。
紗希は気まずそうな表情を浮かべていた。突拍子もない彼女の行動と理不尽な反応に呆気に取られる。意図が汲み取れず、困惑する。紗希はそんなオレの背中を擦りながら、
「悪い。気絶させ損ねた」
と、悪びれることなく、怖ろしい言葉を口にする。おそらく本人にとっては謝罪の言葉のつもりなのだろうが、もちろんオレとしては納得がいかない。吐き気を堪えながら怒号する。
「いきなりこんな……。どういうつもりだ! あぁ?」
睨みを効かせて紗希を見る。彼女はふうっと一息、ため息を漏らすと、詰問に答える。
「やめといた方がいいかなって思ったから。ちょっと力加減、失敗したけど」
笑いの混じった冷静な声だった。紗希の真意が理解できず、オレはさらに憤る。
「復讐にでも行くと思ったってか? ふざけんなよ!……喧嘩じゃねーんだよ!」
「それは目でわかったよ。第一、それなら止める必要はない。あなたじゃ彼女には敵わないだろうし。それに、あなたの復讐を私がここで本気で止めようと思ったら……今頃、地獄逝きだよ」
「うっ……」
刹那、あの夜の稔さんの表情が脳裏に浮かび、身震いする。
「じゃ、じゃあ……、何でこんなこと。オレはただ会わせてくれと――」
「渚を好きになったんでしょ?」
「……!」
突然核心を突かれ、言葉に窮してしまう。
「だから止めようとした。そのうち会えるだろうからね。この学校に彼氏がいるんだから」
雷に打たれたような衝撃を受ける。
確かに渚さんは美人だし、彼氏くらいいてもおかしくない。でも、やっぱりショックだった。
「あ、相手は……?」
紗希は悪戯っぽい笑みを浮かべたまま、この学校に来ている教育実習生だと教えてくれた。
胃から込み上げる不快感が治まってきた頃、オレは黙ってドアへと向かう。
去り際に、紗希が背後から、
「やめといた方がいいと思うけど」
と、無感情な口調で声をかけてきた。その言葉だけが、妙に心に残った。
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椅子からすっと腰を上げてオレに近付き、しげしげと全身を眺め回す。オレの周囲を一回りした後、紗希はオレの目の前に立ち、今度はじっとオレの顔を見つめ始めた。額が掠るかと思うほどの距離だ。
「な、何だよ……?」
気恥ずかしさが全身を包む。紗希はそれには答えず、なおもオレの瞳を食い入るように見つめ続ける。彼女の表情は涼やかだったが、その瞳は鋭利な刃物のように感じられた。
思わず目を逸らす。その瞬間――
「うぐっ!」
呻き声が喉の奥から漏れ、無意識に背を丸めて紗希に凭れ掛かる。世界が暗転し、嘔吐感に襲われる。
どうやらボディブローを入れられたようだった。気付けば既に拳は抜かれ、込み上げる不快感だけがうっすらと内部に残っていた。
「……なに、すんだよ……」
咳き込みながら、かろうじて声を絞り出す。敵意を感じ、必死で紗希に威嚇の目を向ける。
紗希は気まずそうな表情を浮かべていた。突拍子もない彼女の行動と理不尽な反応に呆気に取られる。意図が汲み取れず、困惑する。紗希はそんなオレの背中を擦りながら、
「悪い。気絶させ損ねた」
と、悪びれることなく、怖ろしい言葉を口にする。おそらく本人にとっては謝罪の言葉のつもりなのだろうが、もちろんオレとしては納得がいかない。吐き気を堪えながら怒号する。
「いきなりこんな……。どういうつもりだ! あぁ?」
睨みを効かせて紗希を見る。彼女はふうっと一息、ため息を漏らすと、詰問に答える。
「やめといた方がいいかなって思ったから。ちょっと力加減、失敗したけど」
笑いの混じった冷静な声だった。紗希の真意が理解できず、オレはさらに憤る。
「復讐にでも行くと思ったってか? ふざけんなよ!……喧嘩じゃねーんだよ!」
「それは目でわかったよ。第一、それなら止める必要はない。あなたじゃ彼女には敵わないだろうし。それに、あなたの復讐を私がここで本気で止めようと思ったら……今頃、地獄逝きだよ」
「うっ……」
刹那、あの夜の稔さんの表情が脳裏に浮かび、身震いする。
「じゃ、じゃあ……、何でこんなこと。オレはただ会わせてくれと――」
「渚を好きになったんでしょ?」
「……!」
突然核心を突かれ、言葉に窮してしまう。
「だから止めようとした。そのうち会えるだろうからね。この学校に彼氏がいるんだから」
雷に打たれたような衝撃を受ける。
確かに渚さんは美人だし、彼氏くらいいてもおかしくない。でも、やっぱりショックだった。
「あ、相手は……?」
紗希は悪戯っぽい笑みを浮かべたまま、この学校に来ている教育実習生だと教えてくれた。
胃から込み上げる不快感が治まってきた頃、オレは黙ってドアへと向かう。
去り際に、紗希が背後から、
「やめといた方がいいと思うけど」
と、無感情な口調で声をかけてきた。その言葉だけが、妙に心に残った。
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{
2008/09/12(金) }
保健室のドアを開けると、ひんやりとした空気が身体を包み込んだ。
清潔感のあるシンプルな室内に、薬品独特のにおいが漂っている。薄いカーテンのかかった正面の窓からは、陽光が慎ましやかに漏れ入ってきていた。
幸い、養護教諭は本日不在のようだった。
ドアを後ろ手に乱暴に閉め、室内へと踏み込む。自分の背丈より高い書棚には『健康診断調査』『水質・照度・空気検査』『衛生管理入門』など訳のわからないファイルや書物が立ち並んでいた。
頭が痛くなる前にそこから目を背け、書棚の後ろ側へと急ぐ。
目的の人物と繋がりをもつ人物はそこにいた。紗希という名の女だ。
サラサラのボブカットに、透明感のある綺麗な肌をしている。凛とした目元が印象的だ。
几帳面に整理された机上にファイルを広げ、紗希はその上に忙しくペンを走らせていた。見出しには『保健管理ノート』とあった。
紗希はオレの姿を確認すると、
「あれ?」
と落ち着いた声を発した。
予想に反する低リアクションに、何となく肩を透かされたような気持ちになる。
これまで校内で顔を合わせたことは一度もなかったのだ。チュウボウの頃と比べて随分と逞しくなったとか、強そうになったとか、そんな気の利いた言葉のひとつもあっていいと思うのだが。
紗希が、ひねた態度のオレに「で、何?」とそっけない言葉を続ける。オレのことを忘れてしまっているのではないかと不安になるほど、彼女の態度はよそよそしかった。
「覚えてる……だろ?」
努めて平静を装ったつもりだったが、声が少し上擦ってしまう。
「うん。アリ、タス?……じゃない、アタル、シ……」
――!……こ、こいつ……
紗希は、さして表情を変えることもなく、オレの黒歴史に平然と触れる。だんだんとオレの頬が熱くなっていくのを感じる。
「違うな……。アル、タリス?……んー、アス、タ――」
「アシリタスだよ! アシリタス!」
つい、言葉が口を突いて出る。
「あ、そう、それ。で、どうしたの、アシリタス?」
「んと、その、……っつーかオレはナニ人だよ、あ? それ、名前じゃねーことくれー普通わかるだろうが! んでもって何オレは教えちゃってんだよ! 唯人っ! オレ唯人っ!」
「まぁ、どうでもいいよ。早く用件言いな」
「ん……あ、そ、そうだったな。……あぁ、その……」
気付けば額には少し汗が滲んでいた。こいつとバカバカしいやり取りをしている場合ではない。つい感情的になってしまったことを自嘲する。同時に、自分にツッコミまで入れてしまったことに呆れる。
オレはひとつ大きく息を吸い込み、努めて落ち着いた声で言った。
「あの時の、もう一人の女に会わせてくれ」
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清潔感のあるシンプルな室内に、薬品独特のにおいが漂っている。薄いカーテンのかかった正面の窓からは、陽光が慎ましやかに漏れ入ってきていた。
幸い、養護教諭は本日不在のようだった。
ドアを後ろ手に乱暴に閉め、室内へと踏み込む。自分の背丈より高い書棚には『健康診断調査』『水質・照度・空気検査』『衛生管理入門』など訳のわからないファイルや書物が立ち並んでいた。
頭が痛くなる前にそこから目を背け、書棚の後ろ側へと急ぐ。
目的の人物と繋がりをもつ人物はそこにいた。紗希という名の女だ。
サラサラのボブカットに、透明感のある綺麗な肌をしている。凛とした目元が印象的だ。
几帳面に整理された机上にファイルを広げ、紗希はその上に忙しくペンを走らせていた。見出しには『保健管理ノート』とあった。
紗希はオレの姿を確認すると、
「あれ?」
と落ち着いた声を発した。
予想に反する低リアクションに、何となく肩を透かされたような気持ちになる。
これまで校内で顔を合わせたことは一度もなかったのだ。チュウボウの頃と比べて随分と逞しくなったとか、強そうになったとか、そんな気の利いた言葉のひとつもあっていいと思うのだが。
紗希が、ひねた態度のオレに「で、何?」とそっけない言葉を続ける。オレのことを忘れてしまっているのではないかと不安になるほど、彼女の態度はよそよそしかった。
「覚えてる……だろ?」
努めて平静を装ったつもりだったが、声が少し上擦ってしまう。
「うん。アリ、タス?……じゃない、アタル、シ……」
――!……こ、こいつ……
紗希は、さして表情を変えることもなく、オレの黒歴史に平然と触れる。だんだんとオレの頬が熱くなっていくのを感じる。
「違うな……。アル、タリス?……んー、アス、タ――」
「アシリタスだよ! アシリタス!」
つい、言葉が口を突いて出る。
「あ、そう、それ。で、どうしたの、アシリタス?」
「んと、その、……っつーかオレはナニ人だよ、あ? それ、名前じゃねーことくれー普通わかるだろうが! んでもって何オレは教えちゃってんだよ! 唯人っ! オレ唯人っ!」
「まぁ、どうでもいいよ。早く用件言いな」
「ん……あ、そ、そうだったな。……あぁ、その……」
気付けば額には少し汗が滲んでいた。こいつとバカバカしいやり取りをしている場合ではない。つい感情的になってしまったことを自嘲する。同時に、自分にツッコミまで入れてしまったことに呆れる。
オレはひとつ大きく息を吸い込み、努めて落ち着いた声で言った。
「あの時の、もう一人の女に会わせてくれ」
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{
2008/09/11(木) }
この感情をどう表現したものだろうか。
握り締めた拳が熱を帯びてくる。
目尻が険しく吊り上がり、瞳はその対象を捉えて放さない。全身は小刻みに震え、食いしばる勢いで歯が折れてしまうのではないかと思えたほどだ。
放課後の教室。
肩を寄せ合う二人を、ドアの窓越しにじっと睨みつけながら、オレは言いようのない負の感情を覚えていた。
「あいつ……」
思わず言葉が口元から漏れる。
――渚さんという人がいながら……
今にも爆発しそうな感情を何とか堪えながら、オレはそいつへの殺意を剥き出しにしていた。
死に忘れた蝉が弱々しく鳴いている。
麻美大嶋学園に入学してから、オレは筋力トレーニングにやぶさかでなかった。夏休み中はトレーニングジムに通うと同時に、自主トレーニングも毎日のように行ってきた。
休み時間を告げるチャイムが校内に響く。
オレは保健室へと歩を進めた。目的の人物がそこにいることがわかっていたからだ。いや、正確には目的の人物と繋がりをもつ人物と言うべきだろうか。
歩きながら、半袖のカッターシャツから覗く自分の二の腕に目を向ける。黒々と艶やかに光る鍛え抜いた筋肉を見ていると、自然に頬が緩んだ。
『もっと大人になりなよ』
夜の公園でのあの出会いからおよそ半月。あの時の彼女の言葉が、今でもオレを捉えて放さなかった。
――いつまでもガキだと思うなよ。
力を誇示するように、廊下の壁を勢いよく蹴る。
その瞬間、廊下を賑わわせていた声がピタリと止んだ。
オレは睨みを効かせながら周囲をぐるりと見回す。
逃げるように教室に入っていく女。俯いてその場に立ち尽くす男。その光景を見ると、自分の強さが実感できるようで小気味がよかった。自分以外の人間全てが卑小な存在に見えた。
――オレは強くなった。チュウボウの頃のオレとは違うってところを、彼女に……
口元がニヤけてきていることに気付き、慌てて表情を引き締める。ポケットに手を突っ込み、肩をいからせる。ペッと廊下に唾を吐く。
オレは再び、廊下の中央を堂々と歩いていった。
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握り締めた拳が熱を帯びてくる。
目尻が険しく吊り上がり、瞳はその対象を捉えて放さない。全身は小刻みに震え、食いしばる勢いで歯が折れてしまうのではないかと思えたほどだ。
放課後の教室。
肩を寄せ合う二人を、ドアの窓越しにじっと睨みつけながら、オレは言いようのない負の感情を覚えていた。
「あいつ……」
思わず言葉が口元から漏れる。
――渚さんという人がいながら……
今にも爆発しそうな感情を何とか堪えながら、オレはそいつへの殺意を剥き出しにしていた。
死に忘れた蝉が弱々しく鳴いている。
麻美大嶋学園に入学してから、オレは筋力トレーニングにやぶさかでなかった。夏休み中はトレーニングジムに通うと同時に、自主トレーニングも毎日のように行ってきた。
休み時間を告げるチャイムが校内に響く。
オレは保健室へと歩を進めた。目的の人物がそこにいることがわかっていたからだ。いや、正確には目的の人物と繋がりをもつ人物と言うべきだろうか。
歩きながら、半袖のカッターシャツから覗く自分の二の腕に目を向ける。黒々と艶やかに光る鍛え抜いた筋肉を見ていると、自然に頬が緩んだ。
『もっと大人になりなよ』
夜の公園でのあの出会いからおよそ半月。あの時の彼女の言葉が、今でもオレを捉えて放さなかった。
――いつまでもガキだと思うなよ。
力を誇示するように、廊下の壁を勢いよく蹴る。
その瞬間、廊下を賑わわせていた声がピタリと止んだ。
オレは睨みを効かせながら周囲をぐるりと見回す。
逃げるように教室に入っていく女。俯いてその場に立ち尽くす男。その光景を見ると、自分の強さが実感できるようで小気味がよかった。自分以外の人間全てが卑小な存在に見えた。
――オレは強くなった。チュウボウの頃のオレとは違うってところを、彼女に……
口元がニヤけてきていることに気付き、慌てて表情を引き締める。ポケットに手を突っ込み、肩をいからせる。ペッと廊下に唾を吐く。
オレは再び、廊下の中央を堂々と歩いていった。
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{
2008/07/18(金) }
これまでの「女子高生シリーズ」の内容を多く含んだ作品となっております。
ですので、本作で語っていない背景なども多々あります。
お時間に余裕のある方はシリーズを通してお読みくだされば、よりお楽しみいただけるかと思います。
できるだけ単独でも楽しめる作品を心がけてはいるのですが、事実関係や伏線等について逐一触れると、くどかったり、不自然だったりしますので。
どうぞご容赦くださいませ。
登場人物も多くなってきましたので、人物相関図を作ってみました。
(これまたドヘタクソで大変わかりにくく、申し訳ない限りなのですが)
あくまで、本作に関わった人物を中心にまとめています。
これ以外にもストーリーに絡んできた人物はいるのですが、あえて省略しています。
(本作から読んでいただいた方もいらっしゃると思いますので)
人物整理の参考になれば幸いです。
※携帯でご覧の方はまともに見られないかもしれません。すみません。
実習生[家庭教師] ―(主従関係)―渚
| /
(兄妹) /
| (友人)
┌(友人) ― 美里 ― (友人)┐ /
| | /
彩香 ―――(友人)――― 紗希 ― (調教済) → 担任
いつも当サイトにご来訪いただき、本当にありがとうございます。
また、応援のお言葉や拍手、ブログランキングへのクリックのご協力に、毎度励まされています。
今後とも、Black Onyx [ブラックオニキス]を、何卒よろしくお願いいたします。
●渚のイラストを頂いています。こちらからどうぞ。→ イラスト
●彩香のイラストを頂いています。こちらからどうぞ。→ イラスト
●紗希のイラストを頂いています。こちらからどうぞ。→ イラスト1 イラスト2
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ですので、本作で語っていない背景なども多々あります。
お時間に余裕のある方はシリーズを通してお読みくだされば、よりお楽しみいただけるかと思います。
できるだけ単独でも楽しめる作品を心がけてはいるのですが、事実関係や伏線等について逐一触れると、くどかったり、不自然だったりしますので。
どうぞご容赦くださいませ。
登場人物も多くなってきましたので、人物相関図を作ってみました。
(これまたドヘタクソで大変わかりにくく、申し訳ない限りなのですが)
あくまで、本作に関わった人物を中心にまとめています。
これ以外にもストーリーに絡んできた人物はいるのですが、あえて省略しています。
(本作から読んでいただいた方もいらっしゃると思いますので)
人物整理の参考になれば幸いです。
※携帯でご覧の方はまともに見られないかもしれません。すみません。
実習生[家庭教師] ―(主従関係)―渚
| /
(兄妹) /
| (友人)
┌(友人) ― 美里 ― (友人)┐ /
| | /
彩香 ―――(友人)――― 紗希 ― (調教済) → 担任
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2008/07/18(金) }
気が付くと、僕は渚ちゃんの膝枕で寝かされていた。
びっくりして跳び上がりそうになる。が、身体はまだ動きそうになかった。
場所はおそらく教育相談室だろう。校内案内の時に、やたら暗い教室だと印象に残っていた。
――僕は、生きているんだ。
それを実感した時、安堵で再び全身の力が抜けていくようだった。
「おはよ」
と、渚ちゃんが声をかけてくる。僕は申し訳なく思い、謝罪の言葉を口にする。
渚ちゃんはくすっと笑いを零すと、僕の頭をそっと撫でた。
僕は渚ちゃんの優しさに、つい涙を流してしまう。美里がそこにいることに気付いたのは、その時だった。僕と渚ちゃんの様子を見ながら「ふふっ」と笑い声を漏らす。
美里はあらためて僕に「おはよう、お兄ちゃん」と呼びかけ、屈託のない笑顔を見せた。
僕はそんな美里に会わせる顔がなく、つい目を背けてしまう。
「本当は心配してたの」
と、美里が口を開く。ひと息つき、再び言葉を続ける。
「お兄ちゃんが家庭教師に行って、いつも痣つくって帰って来てるの……知ってたから」
僕はその言葉を聞いてますます恥ずかしくなる。
昨日部屋を出る前に妹が口にした『家庭教師様』の引っかかりの理由がわかった気がした。あれは美里なりの皮肉の言葉だったのだ。
――でも、家庭教師だったのは本当だ。決してやましい気持ちで始めたんじゃない。
それだけは信じてもらいたかった。しかし、喉が痛くて話せない。たくさん絶叫したためだろう。しかし美里は頷き、「わかってる」と僕の両手を握り締めた。僕は救われた気がした。
「紗希さんから渚さんのこと聞いたの。お兄ちゃんが寝てる間、いろいろ話したんだよ。本当に素敵な人で、安心した」
美里の言葉に、渚ちゃんが少し頬を染める。美里がさらに続ける。
「それにね……あなたは私のお兄ちゃんだからね」
――どういう意味だ?
「Mだって、全然不思議じゃないよ」
渚ちゃんと美里が目を合わせ、微笑み合う。その視線が僕の首元に注がれているのがわかった。見れば、身に着けていた上半身スーツは脱がされ、僕はワイシャツ一枚の姿になっていた。ネクタイが緩められ、ボタンは上から四つ目まで外されていた。
当然、首輪は剥き出しになっていた。僕はまた恥ずかしさから項垂れる。
「一応、私なりに他人行儀にしようと頑張ったんだけどね。お兄ちゃん、私にも感じちゃうし」
そう言って、美里はまた「ふふっ」と笑う。
「美里ちゃん以上にドMってことでいいのかな」
と、渚ちゃんが言い、二人は笑い合った。僕は、ただ俯くことしかできなかった。
渚ちゃんと出会ってから、僕の周りがどんどん変化していく。
彼女は僕を捕え、檻に閉じ込めてしまった。
もがいても、決して出ることはできない心の檻――
その鍵は、彼女だけが持っているのだ。
今でも、そして、これからも。
END
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びっくりして跳び上がりそうになる。が、身体はまだ動きそうになかった。
場所はおそらく教育相談室だろう。校内案内の時に、やたら暗い教室だと印象に残っていた。
――僕は、生きているんだ。
それを実感した時、安堵で再び全身の力が抜けていくようだった。
「おはよ」
と、渚ちゃんが声をかけてくる。僕は申し訳なく思い、謝罪の言葉を口にする。
渚ちゃんはくすっと笑いを零すと、僕の頭をそっと撫でた。
僕は渚ちゃんの優しさに、つい涙を流してしまう。美里がそこにいることに気付いたのは、その時だった。僕と渚ちゃんの様子を見ながら「ふふっ」と笑い声を漏らす。
美里はあらためて僕に「おはよう、お兄ちゃん」と呼びかけ、屈託のない笑顔を見せた。
僕はそんな美里に会わせる顔がなく、つい目を背けてしまう。
「本当は心配してたの」
と、美里が口を開く。ひと息つき、再び言葉を続ける。
「お兄ちゃんが家庭教師に行って、いつも痣つくって帰って来てるの……知ってたから」
僕はその言葉を聞いてますます恥ずかしくなる。
昨日部屋を出る前に妹が口にした『家庭教師様』の引っかかりの理由がわかった気がした。あれは美里なりの皮肉の言葉だったのだ。
――でも、家庭教師だったのは本当だ。決してやましい気持ちで始めたんじゃない。
それだけは信じてもらいたかった。しかし、喉が痛くて話せない。たくさん絶叫したためだろう。しかし美里は頷き、「わかってる」と僕の両手を握り締めた。僕は救われた気がした。
「紗希さんから渚さんのこと聞いたの。お兄ちゃんが寝てる間、いろいろ話したんだよ。本当に素敵な人で、安心した」
美里の言葉に、渚ちゃんが少し頬を染める。美里がさらに続ける。
「それにね……あなたは私のお兄ちゃんだからね」
――どういう意味だ?
「Mだって、全然不思議じゃないよ」
渚ちゃんと美里が目を合わせ、微笑み合う。その視線が僕の首元に注がれているのがわかった。見れば、身に着けていた上半身スーツは脱がされ、僕はワイシャツ一枚の姿になっていた。ネクタイが緩められ、ボタンは上から四つ目まで外されていた。
当然、首輪は剥き出しになっていた。僕はまた恥ずかしさから項垂れる。
「一応、私なりに他人行儀にしようと頑張ったんだけどね。お兄ちゃん、私にも感じちゃうし」
そう言って、美里はまた「ふふっ」と笑う。
「美里ちゃん以上にドMってことでいいのかな」
と、渚ちゃんが言い、二人は笑い合った。僕は、ただ俯くことしかできなかった。
渚ちゃんと出会ってから、僕の周りがどんどん変化していく。
彼女は僕を捕え、檻に閉じ込めてしまった。
もがいても、決して出ることはできない心の檻――
その鍵は、彼女だけが持っているのだ。
今でも、そして、これからも。
END
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{
2008/07/17(木) }
何が起こったのか、僕には理解できなかった。
ただ一つ確信したのは、もう救いはないのだということ。きっと彼女たちは、先生までも……
サキは何事もなかったように教室に入ってきた。そして皆に向かい、
「ねぇ。せっかく来てくれたんだからさ、渚にも挑戦してもらわない?」
と呼びかける。女子たちはまた歓喜の声を上げた。
僕は絶望した。
それは僕が、こういう状況で渚ちゃんが首を横に振ることがないことを知っているから。
そして、僕が絶対に彼女に逆らえないということを、僕自身が知っているから。
自由の利かなくなった身体に鞭打ち、美里の方を見る。美里は相変わらず笑顔のままだった。
――妹も、今回の一件で僕に失望してしまうのだろうか。
そう考えるとやりきれなかった。悲しみの涙が溢れそうになる。
「うん。やらせて」
渚ちゃんの口から、思った通りの答えが聞こえた。僕は今日、殺されてしまうのかもしれない……
教師になることを夢見て教育実習にやってきた。
大学での学習も怠らなかった。ひたすら学問に励み、ようやく踏み出した教師への第一歩。
でも、教師という仕事はそんなに簡単なものではなかった。僕は、現実を甘く見ていた。
渚ちゃんが僕の身体を足で小突く。
全身から力の抜けた僕は彼女の為すがまま。大の字で床に横たわる形になった。
――最後に見えたのは……渚ちゃんの、悪魔のような笑顔と……
ドスンという音が僕の耳にまで届いた。
――渚ちゃんが僕の腹目掛けて思いきり踏み下ろした足。そして……
「ごぶうぅ……」
――僕の口から吐き出された、不思議な色の液体……
薄れゆく意識の中で、僕は快楽を感じていた。あぁ、そっか。また射精したのか……腹責めで……
『生徒に深入りしないこと』
その言葉の意味を、僕は知った。
――あっちゃー! 渚ちゃん、やっちゃったか。
――この遊びは気絶させちゃったらダメなんだよねー。
――仕方ないよね。初めてであまりルールも知らないんだし。
――それに今日は三人がボコったしね。
――あれ? 何か先生、股間濡れてない……?
遠退く意識の中で、僕はそれらの声の数々を静かに聞いていた。
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ただ一つ確信したのは、もう救いはないのだということ。きっと彼女たちは、先生までも……
サキは何事もなかったように教室に入ってきた。そして皆に向かい、
「ねぇ。せっかく来てくれたんだからさ、渚にも挑戦してもらわない?」
と呼びかける。女子たちはまた歓喜の声を上げた。
僕は絶望した。
それは僕が、こういう状況で渚ちゃんが首を横に振ることがないことを知っているから。
そして、僕が絶対に彼女に逆らえないということを、僕自身が知っているから。
自由の利かなくなった身体に鞭打ち、美里の方を見る。美里は相変わらず笑顔のままだった。
――妹も、今回の一件で僕に失望してしまうのだろうか。
そう考えるとやりきれなかった。悲しみの涙が溢れそうになる。
「うん。やらせて」
渚ちゃんの口から、思った通りの答えが聞こえた。僕は今日、殺されてしまうのかもしれない……
教師になることを夢見て教育実習にやってきた。
大学での学習も怠らなかった。ひたすら学問に励み、ようやく踏み出した教師への第一歩。
でも、教師という仕事はそんなに簡単なものではなかった。僕は、現実を甘く見ていた。
渚ちゃんが僕の身体を足で小突く。
全身から力の抜けた僕は彼女の為すがまま。大の字で床に横たわる形になった。
――最後に見えたのは……渚ちゃんの、悪魔のような笑顔と……
ドスンという音が僕の耳にまで届いた。
――渚ちゃんが僕の腹目掛けて思いきり踏み下ろした足。そして……
「ごぶうぅ……」
――僕の口から吐き出された、不思議な色の液体……
薄れゆく意識の中で、僕は快楽を感じていた。あぁ、そっか。また射精したのか……腹責めで……
『生徒に深入りしないこと』
その言葉の意味を、僕は知った。
――あっちゃー! 渚ちゃん、やっちゃったか。
――この遊びは気絶させちゃったらダメなんだよねー。
――仕方ないよね。初めてであまりルールも知らないんだし。
――それに今日は三人がボコったしね。
――あれ? 何か先生、股間濡れてない……?
遠退く意識の中で、僕はそれらの声の数々を静かに聞いていた。
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{
2008/07/16(水) }
膨らみは女生徒たちによって目聡く見つけられる。
「ちょっと、先生。またここ大きくしてんじゃん」
「ホント、どうしようもないね、このマゾは」
切り裂くような罵倒を浴び、僕のプライドは既にボロボロだった。背徳感が僕の全身を包む。なぜなら僕は、女生徒たちの知らない事実を知っているから。僕が実の妹に欲情したという事実を……
僕は妹を汚してしまった。自責の念に駆られる。美里の顔を見るのが怖かった。妹に軽蔑されるのが怖かった。
ちらりと上目遣いに美里を覗く。彼女は笑っていた。しかし心の中ではきっと……
その時、ドスンと強烈な一撃が僕を襲った。美里の後ろ回し蹴りが、僕の腹部に見事にクリーンヒットしていたのだ。気付けば彼女の踵は、僕の脇腹に喰い込んでいた。
「うえっ……うげえええぇぇっ……げえぇっ……」
僕は再び嘔吐した。しかし先ほどのような吐瀉物は出てこない。胃の中が空になってしまっているためか、黄色い液体が喉の奥から絞り出されるだけだった。
強烈な刺激が鼻を劈く。僕は嘔吐感のみに苛まれ、その苦しさから涙を零した。
「泣いてるの? 先生」
「変なとこ膨らませながら?」
「マジキモイんだけどー」
再び罵倒の数々を浴びせられる。僕は力なくその場に倒れ込んだ。
女生徒たちの騒がしい声は、既に僕の脳までは届かなくなっていた。
意識があるだけに苦悶し続けなければならない。それは本当に残酷なことだと思った。
突き上げるような嘔吐感をもよおす。しかし吐く物自体がもう内部に残っていない。だから僕は床に突っ伏したまま、何度も胃液を口から垂れ流していた。
――もう駄目だ。この子たちはもう、僕ではどうしようも……
と、その時、扉の窓越しに希望の光が見えたような気がした。淡い期待が幻覚を見せているのではないかとも思ったほどだ。しばし目を疑う。しかし、その姿は確実にそこにあった。担任の先生だ。
僕はこの時、生まれて初めて神様というものに感謝の気持ちをもった。
「た……たすけ……」
僕の声は塵にも等しかっただろう。
思った通り、それは女生徒たちの声によって簡単に消されてしまう。しかし先生がこの現場を見ているという事実が、これ以上ないほどの安心感を僕に与えてくれていた。これで助かるのだ――
ふと違和感を感じる。
待てども待てども、先生が教室に入ってくる気配がない。それどころか、先生の顔は不自然に強張っているように見えた。目を凝らす。そこにはサキの姿があった。先生の肩越しにサキの朗らかな笑顔が覗く。その瞳は透明感を宿し、口元には淡い微笑を湛えている。彼女はその唇を先生の耳元に寄せていた。ともすれば、直接触れてしまうほどの距離だ。先生は身動き一つ取らない。
もちろん声は届いてこなかった。しかし、彼女がそっと何かを囁いたと思われたその瞬間、明らかに先生の表情に動揺の色が見て取れた。不敵に笑うサキと微震する先生の表情が窓越しに並んでいた。
先生はやがて教室に背を向け、逃げるようにその場を離れていった。
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「ちょっと、先生。またここ大きくしてんじゃん」
「ホント、どうしようもないね、このマゾは」
切り裂くような罵倒を浴び、僕のプライドは既にボロボロだった。背徳感が僕の全身を包む。なぜなら僕は、女生徒たちの知らない事実を知っているから。僕が実の妹に欲情したという事実を……
僕は妹を汚してしまった。自責の念に駆られる。美里の顔を見るのが怖かった。妹に軽蔑されるのが怖かった。
ちらりと上目遣いに美里を覗く。彼女は笑っていた。しかし心の中ではきっと……
その時、ドスンと強烈な一撃が僕を襲った。美里の後ろ回し蹴りが、僕の腹部に見事にクリーンヒットしていたのだ。気付けば彼女の踵は、僕の脇腹に喰い込んでいた。
「うえっ……うげえええぇぇっ……げえぇっ……」
僕は再び嘔吐した。しかし先ほどのような吐瀉物は出てこない。胃の中が空になってしまっているためか、黄色い液体が喉の奥から絞り出されるだけだった。
強烈な刺激が鼻を劈く。僕は嘔吐感のみに苛まれ、その苦しさから涙を零した。
「泣いてるの? 先生」
「変なとこ膨らませながら?」
「マジキモイんだけどー」
再び罵倒の数々を浴びせられる。僕は力なくその場に倒れ込んだ。
女生徒たちの騒がしい声は、既に僕の脳までは届かなくなっていた。
意識があるだけに苦悶し続けなければならない。それは本当に残酷なことだと思った。
突き上げるような嘔吐感をもよおす。しかし吐く物自体がもう内部に残っていない。だから僕は床に突っ伏したまま、何度も胃液を口から垂れ流していた。
――もう駄目だ。この子たちはもう、僕ではどうしようも……
と、その時、扉の窓越しに希望の光が見えたような気がした。淡い期待が幻覚を見せているのではないかとも思ったほどだ。しばし目を疑う。しかし、その姿は確実にそこにあった。担任の先生だ。
僕はこの時、生まれて初めて神様というものに感謝の気持ちをもった。
「た……たすけ……」
僕の声は塵にも等しかっただろう。
思った通り、それは女生徒たちの声によって簡単に消されてしまう。しかし先生がこの現場を見ているという事実が、これ以上ないほどの安心感を僕に与えてくれていた。これで助かるのだ――
ふと違和感を感じる。
待てども待てども、先生が教室に入ってくる気配がない。それどころか、先生の顔は不自然に強張っているように見えた。目を凝らす。そこにはサキの姿があった。先生の肩越しにサキの朗らかな笑顔が覗く。その瞳は透明感を宿し、口元には淡い微笑を湛えている。彼女はその唇を先生の耳元に寄せていた。ともすれば、直接触れてしまうほどの距離だ。先生は身動き一つ取らない。
もちろん声は届いてこなかった。しかし、彼女がそっと何かを囁いたと思われたその瞬間、明らかに先生の表情に動揺の色が見て取れた。不敵に笑うサキと微震する先生の表情が窓越しに並んでいた。
先生はやがて教室に背を向け、逃げるようにその場を離れていった。
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{
2008/07/15(火) }
僕は身体を丸めたまま、床に横たわっていた。
顔を上げると、美里の姿がぼんやりと見えた。目が霞み、表情までははっきりと見えなかった。
――そうか、美里が……。かわいそうに。彼女たちに強要されて、無理矢理……
思考力が戻ってくるのを感じる。同時に、罪の意識が僕を包み込む。本当は僕にはわかっていたのだ。自分がMであるために、美里に恥ずかしい思いをさせてしまっていることを。そして、現実逃避のために思考を止めていた自分自身の愚かさを。
「ごめんな。美里……」
と、掠れた声で呼びかける。自分の不甲斐なさに心底呆れる。
美里がすっと僕の襟を掴み、立ち上がらせる。
僕は、足にほとんど力が入らなくなっていた。ぐったりと美里にもたれかかる。妹の顔を間近で見た時、僕の中の何かが動いたような感じがした。思わず身震いしてしまう。
美里は笑っていた。そして歓喜の眼差しで、僕をじっと見つめていた。
「み、美里……?」
「胃の中身、まだ残ってますよね」
その言葉と同時に、僕の腹に容赦なく肘を叩き込む。
「ぐふうぅっ!」
僕はたまらず床に倒れ込もうとする。しかしそれは許されなかった。全体重の乗った僕の身体は、美里の拳によって支えられた。腹を突き上げられ、僕は拳にもたれた姿勢のまま呻く。
取り巻きの女生徒たちが歓声を上げる。そう言えば、さっき彩香が、美里は今日が初めての参加だ、というようなことを言っていた気がする。おそらく美里が闘う姿を見るのも初めてなのだろう。
しかし僕はそれを知っていた。
美里は幼い頃から柔術を学んできたのだ。成績の良かった僕と比べて、彼女は勉強が苦手だった。せめて何か別の特技を、という気持ちで彼女が始めたのが柔術だった。美里は熱心に練習に取り組んだ。最終的には全国大会にも出場するほどの腕前になっていた。
しかしいくらそうだとは言え、美里の力は僕の想像をはるかに超えるものだった。
彼女は再びスーツの襟を掴み、僕の身体を起こす。そして、
「苦しいですか?」
と、耳元で囁いた。そして勢いをつけると、僕の腹に重い膝蹴りを放つ。
「ぐえええぇっ!!……う、あぁ……」
僕の喉は既に、音を発することさえままならなくなっていた。ただただ呻く。
口からは絶えず涎が糸を引き、床へと零れていく。吐瀉物の臭気が鼻腔を劈き、一層気分が悪くなる。
気を失ってしまえればよほど楽だろう。しかしそれすらもできない。
さらに何度も、膝を鳩尾に叩き付けられる。
「手加減……いりませんよね?」
と、美里が悪戯っぽくそう呟く。その言葉に打たれ、僕の興奮は高まりを見せた。自分の中の理性やモラルといったものの箍が外れていくような感覚。こんな状況なのに……。ましてや相手は、実の妹なのに……
再び強烈な膝蹴りを受けた時、僕はまたしても下半身を大きく膨らませてしまっていた。
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顔を上げると、美里の姿がぼんやりと見えた。目が霞み、表情までははっきりと見えなかった。
――そうか、美里が……。かわいそうに。彼女たちに強要されて、無理矢理……
思考力が戻ってくるのを感じる。同時に、罪の意識が僕を包み込む。本当は僕にはわかっていたのだ。自分がMであるために、美里に恥ずかしい思いをさせてしまっていることを。そして、現実逃避のために思考を止めていた自分自身の愚かさを。
「ごめんな。美里……」
と、掠れた声で呼びかける。自分の不甲斐なさに心底呆れる。
美里がすっと僕の襟を掴み、立ち上がらせる。
僕は、足にほとんど力が入らなくなっていた。ぐったりと美里にもたれかかる。妹の顔を間近で見た時、僕の中の何かが動いたような感じがした。思わず身震いしてしまう。
美里は笑っていた。そして歓喜の眼差しで、僕をじっと見つめていた。
「み、美里……?」
「胃の中身、まだ残ってますよね」
その言葉と同時に、僕の腹に容赦なく肘を叩き込む。
「ぐふうぅっ!」
僕はたまらず床に倒れ込もうとする。しかしそれは許されなかった。全体重の乗った僕の身体は、美里の拳によって支えられた。腹を突き上げられ、僕は拳にもたれた姿勢のまま呻く。
取り巻きの女生徒たちが歓声を上げる。そう言えば、さっき彩香が、美里は今日が初めての参加だ、というようなことを言っていた気がする。おそらく美里が闘う姿を見るのも初めてなのだろう。
しかし僕はそれを知っていた。
美里は幼い頃から柔術を学んできたのだ。成績の良かった僕と比べて、彼女は勉強が苦手だった。せめて何か別の特技を、という気持ちで彼女が始めたのが柔術だった。美里は熱心に練習に取り組んだ。最終的には全国大会にも出場するほどの腕前になっていた。
しかしいくらそうだとは言え、美里の力は僕の想像をはるかに超えるものだった。
彼女は再びスーツの襟を掴み、僕の身体を起こす。そして、
「苦しいですか?」
と、耳元で囁いた。そして勢いをつけると、僕の腹に重い膝蹴りを放つ。
「ぐえええぇっ!!……う、あぁ……」
僕の喉は既に、音を発することさえままならなくなっていた。ただただ呻く。
口からは絶えず涎が糸を引き、床へと零れていく。吐瀉物の臭気が鼻腔を劈き、一層気分が悪くなる。
気を失ってしまえればよほど楽だろう。しかしそれすらもできない。
さらに何度も、膝を鳩尾に叩き付けられる。
「手加減……いりませんよね?」
と、美里が悪戯っぽくそう呟く。その言葉に打たれ、僕の興奮は高まりを見せた。自分の中の理性やモラルといったものの箍が外れていくような感覚。こんな状況なのに……。ましてや相手は、実の妹なのに……
再び強烈な膝蹴りを受けた時、僕はまたしても下半身を大きく膨らませてしまっていた。
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