[18禁] 逆リョナ系SM小説サイト  〜美しき女性たちの狂気〜
 ――え?……えっ?
 突然の出来事に、悠馬は混乱していた。
 居間へと戻ってきた祖父は、慌てた様子で怜治に駆け寄る。
「ど、どうした? 怜治!」
 と、酷く動揺した声を上げる。花音は怜治の身体を両手で包み込んだまま、祖父に目を遣ると、
「きゅ、急にお腹が痛いって言って! どうしたら……」
 と言い、視線を怜治へと戻す。そして「大丈夫?……ねえ! 怜治くん!」と必死な様子で叫んだ。花音の口元にうっすらと笑みが零れているのが見えたのは、悠馬ただひとりだった。
 怜治は口を必死で動かすが、呻き声ばかりで言葉にならない。涙が溢れてくる。先ほど飲食したお菓子やお茶が胃からせり上がり、口から漏れる。
 祖父はかなり動揺している風だった。花音の傍らに座り、海老のように丸まった怜治を見ながら、
「痛むのか? 腹か? どんな風に痛い……どれくらい痛いんだ?」
 と、質問を続ける。しかし怜治はそれに答えることができない。その時、花音がゆっくりと手を前に伸ばす。そして――
「んっ……ぐふうっ!」
 祖父の腹に勢いよく肘を叩き込んだ。祖父もまた、腹を抱えて蹲る。花音は微笑を浮かべながら、
「これくらい……痛いんじゃないの?」
 と、祖父に向かって冷然と言い放った。それまでの優しい口調とは全く違った声色だった。
 悶え蠢く祖父を横目に、花音は怜治を蹴り飛ばした。まるでサッカーボールを蹴るような、力強い蹴りだった。怜治の軽い身体は宙を舞い、壁に叩きつけられた。頭から血が滴り落ちてくる。口から吐瀉物を吐き出す。ぐったりと身体の力を抜き、怜治は床に横たわったまま動かなくなった。

 悠馬は、生まれて初めて見る恐ろしい光景に、全身の震えが止まらない。
 ――お兄ちゃん……? おじいちゃん……?
 事態を把握しきれず、小さなふすまの隙間から、ただじっと様子を見ている。
 ――怖い……。……怖い!
 彼はあまりに幼かった。何をするべきなのかわからない。自分には何もできない。むしろ、そういった思考を巡らすことさえも、年端のいかない彼には困難なことだった。恐怖心に身を包まれる。ただ怯え、慄き、声を堪えて涙を流す。それが、今の彼に出来る限界であった。

「げふっ……うぅ……」
 口から液を垂れ流しながら、祖父が呻く。花音は、そんな祖父の様子を見ながら、涼しい顔で肌蹴たスカートを整えていた。
「……ど、どうして、……こんな?」
 ようやく絞り出した祖父の言葉を聞いた時、花音の口がゆっくりと弓なりに曲がった。

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 怜治と花音の会話は続いていた。

「ねえ。高校生って楽しい?」
「んー、楽しいこともあるし、そうじゃないこともあるかな」
「楽しくないことって……勉強とか?」
「その通り!」
 二人が笑い合う。怜治は花音にますます好意を抱いたのか、身を乗り出して言葉を続ける。
「やっぱり、カノンお姉ちゃんもそうなんだ!」
「うん。怜治くんくらいの歳の頃から、もう勉強が嫌で嫌で……」
「そうだよね。そうだよね。でもオレは体育だけは好きなんだ!」
「あ、それ、わたしもだ」
「そうなんだ! じゃあ、オレたちって似てるね」
「うん。似てる似てる」

 祖父は煙草を燻らせながら、そんな二人の様子を微笑ましく見ていた。
 灰皿には吸殻が山のように溜まっている。祖父がそれに気付いたのは、咥えていた煙草が短くなった時だった。煙草をしっかりと揉み消すと、立ち上がってキッチンへと入っていく。そこに置かれた小さなスーパーの袋に吸殻の群れを入れて口を閉じ、ゴミ箱に投げ入れる。空になった灰皿を水で軽く洗い、布で水気を取る。それは祖父の日課だった。
 いつになく高いテンションでいる怜治の声は、キッチンにいる祖父の耳にまで届いてきていた。

「じゃあ、カノンお姉ちゃんの楽しいことって何?」
「えっと。うーん、それはいろいろあるけど……」
「教えてよ!」
「例えば、友達と喫茶店でくだらない話をすることとか」
「いいなぁ……。オレが喫茶店なんか入ったら、先生に怒られるよ」
「んー、怜治くんは、もうちょっと大きくなってからだね」
「じゃあじゃあ、他には?」
「……そうだね。例えば、……こんなのとか、かなっ!」
「うっ!」

 それは一瞬のことだった――
 怜治のくぐもった声が響く。悠馬は、思わず声を上げそうになった。花音の拳が突如、怜治の鳩尾を深く抉ったのだ。小さな身体が持ち上がるほどの打撃だった。
 全身を丸め、呼吸困難に陥っている怜治に、花音は妖しげな笑顔を向けていた。
 涙と涎を垂らしながら、腹を抱えて床に蹲る兄の姿が、悠馬の瞼に焼き付いた。

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 玄関先での談笑が続く中、悠馬は隠れたままで様子を見ていた。
 依然、祖父と女性との会話が続いている。祖父は恐縮している風だった。

「ありがとうございました。それで、お貸しいただいた不足分の金額の方は?」
「いえ。そんなの要りません」
「いやいや、そういうわけには。親御さんにもご迷惑がかかりますし」
「わたしがバイトで貯めたお金ですので。本当に、お気になさらないでください」
「お言葉は有難いですが。……それでしたら、せめてお茶でも飲んで行ってくださいませんか?」
「……じゃあ、せっかくですので。ありがとうございます。お言葉に甘えて」
「そりゃよかった。汚い家ですがね。どうぞお上がりください」

 一通り会話が終わった後、三人が居間の方へ向かって歩いてきた。悠馬はそれを見て驚く。慌てて、居間の押入れに身を隠すと、ふすまを静かに閉めた。
 悠馬には、三人が低いテーブルを囲んで座っていることは、見なくてもわかった。相変わらず、会話に花を咲かせている。そのうち、言葉に混じって、お茶を啜る音やお菓子を嗜む音が、彼の耳に届いてきた。僕も一緒に――と何度も思った。しかし内気な彼には、やはりそこから出て行く勇気がない。
 悠馬は押入れのふすまを少しだけ開けた。すると、祖父が辺りをキョロキョロと見回しているのが目に入った。彼は動揺した。自分を探している。そう直感したからだった。
 ――やめて、おじいちゃん。探さないで!
 しかしその思いも空しく、祖父の口が開く。
「ところで――」
 そう口にした祖父の言葉に割り込み、怜治が、
「ねぇねぇ、お姉ちゃん! お名前、何て言うの?」
 と、勢いよく声を発する。悠馬は内心ホッとしていた。女性はにっこりと微笑み、
「花音だよ」
 と、怜治の質問に答えた。
「カノンさん、か。ねぇ、これからはカノンお姉ちゃんって呼んでいい?」
 そう元気よく懐く怜治の言葉に、花音は「もちろん」と、笑顔で頷いた。
 悠馬はひとり暗闇の中、必死で胸の高鳴りを抑えようとしていた。

 談笑が続く中、悠馬は次第に心細さを感じてきていた。親しそうに話し合う三人の姿を、ただぼうっと見ている。
 怜治は既に花音に好意を寄せているのか、普段よりも甘えた口調になっていた。クラスで流行っている遊びや趣味、仲の良い友達など、怜治の話す内容はほとんど自分のことばかりだ。それでも花音は嫌な顔ひとつしない。柔らかい微笑みを浮かべ、頷いたり、驚いたりしながら、興味深げに怜治の話を聞いている。
 悠馬はその様子を、ただ羨ましそうに眺めていた。

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 悠馬は驚いた。
 ごく平凡な音のインターホンが家中を包む。悠馬が何度も聞いてきた音だ。決して不快な音ではない。彼が特別、音に敏感な体質であるわけでもなければ、そういった精神状態にあるわけでもない。しかし、彼はその音を聞くと緊張してしまう。
 悠馬にとってのそれは、来訪者がドアの向こうにいることを告げるものに他ならない。
 その音が鳴ると、決まって祖父は「はい」と答え、ドアへと歩を進める。ドアを開けると、祖父の知人か、あるいは見知らぬ人が現れる。悠馬にとっては、そういったありふれたことが苦痛であり、緊張のもとだった。
 要するに、人見知りなのだ。
 今日はどんな声が聞こえてくるのか。女性の優しい声かもしれないし、男性の怖い声かもしれない。知らない人かもしれないし、ひょっとしたら挨拶をさせられるような人かもしれない。
 いずれにしても、祖父が来訪者の対応をしている間、悠馬はいつも不安に駆られてしまう。
 いっそのこと居眠りをしているふりでもしていればよさそうなものだが、悠馬はそうしない。単にそういった知恵がないのだ。しかし無視することもできない。誰が来たのかも気になってしまう。
 悠馬は居間で身体を固くしたまま、静かに耳をそばだてた。
 いつもの如く、ガラガラと玄関のドアが開かれる音がした。
 間もなく聞こえてきたのは、穏やかな女性の声と、兄の声だった。外出していた兄の声が混じっていたことで、悠馬は少し安堵する。
 挨拶が済んだかと思うと、すぐに話の内容が聞こえてきた。
 悠馬は少し開いた居間のふすまの陰に隠れ、その会話を黙って聞いていた。

「それはどうも。お世話になりました」
「いえ、大したことじゃないので。でも、一人でコンビニにおつかいなんて、偉いですね」
「恐縮です。本当なら私が行ければいいんですがね。この歳になると身体がねぇ……」
「そうですか。確かにここからだと遠いかも。それで、いつもこの子が助けてくれてるんですね?」
「まぁ、そんなとこです。でも、親切な方がいてくれてよかった。怜治、ちゃんとお礼を言いなさい」
「あ、もう十分言ってくれましたから。本当にしっかりしたお孫さんで」

 悠馬は、居間のふすまの隙間から、そっと顔を覗かせる。好奇心からだった。しかし、玄関から自分の姿が見えないように気を遣うことは忘れない。
 すぐに、来訪者の姿が悠馬の目に入った。女性だ。彼女は今まさに靴を脱いでいる最中だった。
 かなり明るく染められた髪は腰の辺りまで伸びていた。下を向いていた女性の髪を、外の風がなびかせる。女性はその髪をかきあげ、すっと顔を上げた。
 十代くらいの若い女性だった。目鼻立ちの整った大人びた顔立ちだ。切れ長の瞳と、艶やかな唇が、色香を醸し出している。ベージュのコートを脱ぐと、女性の紺のセーラー服姿が顕わになった。黒いソックスは、膝下までを覆っていた。
 無論、悠馬の目には、彼女は「若い女性」ではなく「綺麗なお姉さん」として映っていたわけだが。

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時系列を崩していくのは、実に楽しいものです。
高等部への進学を前に、彼女たちを繋いだ糸。
紡ぐ先にあるのは、麻美大嶋学園の基盤「リンチタイム」というわけで。
完結、且つ、シリーズ。そんな作品制作を心がけています。

お陰様で、本作も無事、完結することができました。
ご来訪くださっている方、拍手やメッセージを下さっている方、本当にありがとうございます。
私の作品から「何か」を感じていただける。それは、この上なく光栄なことです。

だんだんと寒くなってきました。
皆様も、お風邪など引かれませぬよう。くれぐれもご自愛くださいませ。
今後も、Black Onyx [ブラックオニキス]を、どうぞよろしくお願いいたします。

P.S.
どれも駄作。真っ当なご意見であれば、それもひとつの評価。私の力不足に言い訳はしません。
(まぁ、実際に言われたら凹むのは必至ですが・苦笑)
しかし同時に、万が一「お気に入りの作品がある!」という方がおりましたら(……と、期待!)
あらためて、アンケートへのご協力を、よろしくお願いいたします。

●紗希のイラストを頂いています。こちらからどうぞ。→ イラスト1  イラスト2
●彩香(本作:安藤)のイラストを頂いています。こちらからどうぞ。→ イラスト

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 彼女の膨れ上がった興味は治まる気配がない。
「私は、あなたの力の秘密が知りたい。教えて」
 そう言いながら、彼女は瞳を輝かせる。その光は、既に学校で見るそれに完全に戻っていた。涙も消えている。
 確かに私は彼女に比べて小柄だ。彼女は、その秘訣が知りたくて仕方がないのだろう。自分が負けることで、さらなる力を追い求めるのは珍しいことではない。
 しかし、私は首を縦には振らなかった。
「駄目だね」
 と、はっきりとした拒絶を示す。
「どうして?」
「映画の台詞にもあったでしょ? 『本当にいい刀は鞘に収まっている』って。知ってる?」
「……聞いたことがあるくらいかな。わかんないけど、意味は何となく」
 そう言って彼女は苦笑いする。それは、何となくすらわかっていないといった顔そのものだった。しかし彼女は、私の言わんとすることを必死で理解しようとしている風に見えた。無言のまま、じっと私の言葉に耳を傾けている。まるで大きな子どもだ。
 ふうっとため息を漏らす。私は一度、大きく息を吸い込み、
「理屈は自分で見つけるものだよ」
 と、厳しく言い放った。それから、
「そして、それには必ずルールが付き纏う。従えない人間には、教えても無駄」
 と付け加えた。私の唇を、彼女はただじっと祈るように見つめ続けていた。
 私はさらに言葉を紡ぐ。
「それができるなら、面白い遊びを教えてあげるよ」
「…………ルールがあるのに、面白いの?」
「ルールがあるから、面白いんだよ」
 最後の私の言葉を機に、彼女は黙り込んだ。何かをじっと考えている様子だ。
 
 沈黙の時間が続いた。すぐ側を流れている川のせせらぎだけが、場違いに穏やかだった。
 やがて彼女は、小さく頷いた。
「私……もっと遊びたい」
「そう」
「そのルール、教えてよ。私、ちゃんと覚えるから」
「決まりね。じゃあ早速、明日の昼休みから始めよっか」
「昼休み?」
「うん。学校で遊ぼ」


 彼女の瞳が明日への希望を湛えている。
 血溜りの中、私は彼女の頭をそっと撫でた。
 頭上を電車が通過していく。轟音が、私たちから音を奪っていった。



END

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「柳本……紗希、だよね。もう、邪魔しないで」
 そう言った彼女の声色はとても弱々しかった。身体を震わせ、拳を強く握り締めている。俯いた顔からは表情が読み取れなかったが、その頬を伝う涙は止め処なく零れているようだった。
 今の彼女からは、感情がはっきりと窺える。私はゆっくりと彼女に近づくと、
「いいよ」
 と、さらりと答えた。その回答が意外だったのか、彼女はその顔を私の方へと向ける。彼女の潤んだ瞳が、街灯の光を反射して煌いていた。彼女は高架橋下の柱を背凭れにして地面に座り込み、黙り込んだ。私もまた、彼女の隣に腰を下ろす。
 二人だけの世界が広がっていた。
 それを彩るのは、闇と血塗れの五人の男、そして時々風と光と音を運んでくる電車。それだけだった。
 肩を並べた私たちは、ただその空間に身を委ねている。
 彩香の瞳に、僅かな光を感じた。それをじっと見つめながら私は、
「でも、やっぱりこういうやり方じゃ駄目だ」
 と、彼女に釘をさす。
「どうして――」
 と声を荒げる彼女を制し、私はさらに言葉を連ねる。
「用意されたレールを、踏み外しちゃいけない」
「…………」
「そうならないために、頑張ってきたんでしょ? このままじゃ、いずれは――」
「……知ってる。だけど、止められないの……どうしても」
「わかるよ。あなたと私は、すごく似てるからね」
「え?」
 想像もしなかったことなのだろう。彼女の声は上擦っていた。
「どこが?」
 そう言ってずいと身を寄せる彼女は、先ほどとはまるで別人のようだった。私は苦笑し、一呼吸置いてから口を開く。
「溜まってるとこかな。優等生は疲れるでしょ?」
「…………」
「それでいて、男に負けない力がある。ただ、あなたはそれに加えて、現状への不満も感じてる」
 私の言葉を聞いて、彼女は自嘲するように息を漏らす。
「そうだよ。だから時々、何もかも滅茶苦茶にしたくなる。でも、あなたには勝てなかった。私はもう……」
 彼女はそこまで言うと、口を噤んだ。やり切れない彼女の思いがひしひしと伝わってくる。
 黙り込む彼女の様子を横目に、私は口を開いた。
「闘いはね、理屈でできてるの」
 唐突な言葉に、彼女は少し驚いた表情を見せた。
「理屈……」
 と、彼女は一度復唱したが、その顔は釈然としない。もちろん、こんな言葉で彼女に理解できるとは思わなかった。渋い表情を湛える彼女の顔を見ていると、自然と笑みが零れてくる。この無邪気さと真剣さが、彼女の良さでもあるのだろう。
「そう。まあ、大したことじゃないけど」
 私はそう言って誤魔化したが、彼女は私の意に反して、強い興味を抱いているようだった。

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 相変わらず彼女は力任せに、男の顔面に拳を振り下ろしていた。痣と血で、男の顔は原形を留めていない。ほとばしる鮮血は、彼女の拳を赤々と彩っていた。
 私はその様子を側で観察しながら、
「回復してきたね、その男」
 と、茶々を入れる。彼女は心外だとでも言いたげに、私に尖った眼光を向けた。
「さっきまでは、日本語もしゃべれなかったのに」
 私がそう皮肉混じりに笑うと、彼女はさらに憤った様子を見せた。
 跨った腰を下半身にまで持っていき、今度は男の腹を何度も殴りつける。しかし、彼女はそこでさらに怒りを増したようだった。
 居心地が悪そうに何度も腰の位置を変える彼女。顔を引き攣らせながら、じっと目を瞑っている男。彼女の腰の動きに耐え切れなくなったのだろう。男が勃起しているのは手に取るようにわかった。
 私は思わず声を上げて笑ってしまう。彼女は苛立ちを隠さず、男に冷眼を注ぐ。
「お前、ふざけてんの?」
「す、すいません……あの、すぐ……」
 そこで彼女の拳が男の腹に叩きつけられる。
「ぐふぅっ!……す、すみませ――すみ、……あぐうっ!」
 彼女は、男の腹を責め続ける。……腰を揺り動かしたままで。くねる彼女の臀部が、男の下半身を刺激し続けているのだろう。男は複雑な表情をその凸凹の顔に浮かべている。
「もう……ません。でも、あっ……。ゆる……あふうっ!!」
 ……最後に響いたのは嬌声だった。男の口から息が大きく吐き出されるのがわかる。それを察し、私は再び大声で笑った。頬を染めながら俯く彼女の表情からは、恥ずかしさと悔しさが窺えた。
 彼女の瞳は、既に感情を隠していない。表出した人間らしさが、私の心を和ませる。
 ――まぁ、男も本望だろ。
 形は違えど、射精という男の目的は果たされたことになるのだろう。それは実質的な彼女の負けを意味するものなのかもしれない。彼女はしばらく動きを見せなかった。私が横に立っても、彼女は無反応だった。
 私は男の喉元を静かに踏み付ける。くっと力を込め、その男も気絶させた。


 彼女は脱力し、両手を地面について項垂れた。
 玩具を全て私に奪われた。私がそう明言していたにもかかわらずだ。無理もない。
 彼女はふらりとその身体を持ち上げ、放心したように暗い空を見上げた。
 高架橋を渡る電車の光が、彼女を照らす。彼女の瞳から涙が頬を伝って落ちるのが見えた。
「……どうして? どうして取り上げちゃうの?」
 彼女がポツリとそう漏らす。私が黙っていると、彼女はさらに言葉を連ねた。
「どうして? ねえ。どうして私の……」
「――玩具を、かな? 悪い。本当は、助けようとしただけ」
「余計なお世話!」
「そうじゃないよ。助けたかったのは、両方。むしろ最初は、こいつらの方を救ってやろうと思った」
 私の言葉を聞いて、彼女は再度、項垂れた。

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「いい表情になったよ」
 そうからかう私を見つめる彼女の瞳には、ひとつの光が宿っていた。殺意と狂気の入り混じった凄まじい眼力だ。思わず口元が緩む。全身を揺さぶるようなその刺激が心地良い。
「殺す……」
 彼女がポツリと呟く。小さな声だが、その語気は強い。身体を微震させながら息を荒げ、相変わらず鋭い眼を私に突き刺してくる。ようやく人間的な一面を見せた彼女が可愛らしく思えた。
 できることなら、そんな彼女の様子をじっと見ていたかった。冷たくて熱い不思議なこの感覚に、じっと身を委ねていたかった。しかし、それすらも叶わないことがわかり、私は失望から肩を落とす。血塗れになった男が二人、彼女の背後に立っているのが見えたからだ。
 覚束ない足取りだ。それでもなお、彼女に一矢報いようというのか。彼らは各々の手に大きな石を握っていた。切れた息を殺しながら、震える手で石を掲げる。その執念深さには感服する。
 彼女の視線は、もはや私しか捉えていない。当然、背後の気配に気付いているはずもない。
「そう。それは怖いね」
 と、彼女を挑発してみせるが、私の意図するところより、男たちの行動は早かった。
 
 二人の男の手が振り下ろされる。少し遅れて、彼女が私に突進する。
 寸での差ではあったが、この時点で彼女は、男たちに一本取らせることになっていただろう。
 
 ――惜しかったな。
 私は、男たちが振り下ろす力を込めた瞬間に猛進した。するりと彼女の背後に回り、一人の男の喉元に手刀を叩き込む。同時に、もう一人の男の鳩尾に肘を捻じ込んだ。二人は呻き声とともに白目をむき、ドサリと地面に倒れ込んで痙攣する。口から吐瀉物を吐き、男たちは失神した。
 私がくるりと向き直った時、その足を止める直前の彼女の姿が瞳に映った。
 何が起こったのかわからない、といった様子で目を白黒させる彼女が愛らしい。私は微笑し、目を少し細めながら、
「相手が違うでしょ?」
 と、彼女を窘めた。それが癪に障ったのか、彼女は再度、私をキッと睨みつける。私もまた、同じように彼女をじっと見据えた。彼女の動きが少し怯むのがわかる。
「また二人、私が奪っちゃったな」
 私がそう言葉を重ねると、彼女はとうとう顔を真っ赤にしてその怒りを表現した。

 残った二人の男は既に虫の息だった。彼女はそのうちの、仰向けに倒れている方の男の腹に馬乗りになると、その怒りをぶつけるように顔面を何度も殴りつけた。
 血飛沫が舞う。男の顔がみるみるうちに腫れ上がっていく。
「や、やめ……やめ……」
 と、男が縋るような目で彼女を見る。しかし、彼女はそれを意に介していないようだった。
 打ち据える彼女を横目に、私はもう一人の男に目線を注ぐ。手足が効かないのだろう。芋虫のように地面を這い、徐々に遠ざかっていく。必死だ。額には汗が滲んでいる。
「悪いね」
 そう声をかけ、私は腰を浮かせた男の睾丸を、後ろからローファーで蹴り上げた。鈍い音。男は絶叫し、股間を押さえて倒れ込んだ。念のため二、三度追撃を加える。男の口から泡が溢れ出すのを確認し、私は彼女の元へと急いだ。

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「邪魔だよ」
 開口一番、彼女は無邪気な声で私にそう呼びかけた。
 猫背の姿勢。俯いたまま小首を傾げ、不規則に身体をゆらりとなびかせている。
 流れゆく電車の光が断続的に彼女の顔を照らし、その表情を私の前に映し出す。その時、私の予想は確信へと変わった。彼女が正気でないことは間違いない。
 ――そう。瞳だ。
 狂気を携え、光を灯していない。墨をベタ塗りしたような独特の色がそれを覆っている。口元にはうっすらと笑みが浮かんでいるが、彼女の瞳は決して笑ってはいない。
 戦慄とは違う。しかし、その瞳に漂う妖気は確実な冷媒となって、私の内部へと侵入してくる。
「どいて」
 再び発せられた彼女の口調は淡白だった。しかし、そこには明らかな敵意が窺える。
 垣間見える鋭い感情が私を襲う。それは怒りでも、憎しみでも、苛立ちでもない。例えるなら、玩具を取り上げられまいと必死になる子どものような感情、……だろうか。
 電車が高架橋を通過し、再び辺りを闇が覆うまでの間に、彼女は私の目前へと迫ってきた。
 ――速いな……
 私は片足を半歩後ろに下げ、身構える。しかし、彼女の視線は私に向けられてはいなかった。彼女が下目遣いに見ていたのは、私の足元に転がった一人の男だった。
 ――私は眼中にない……か。面白い。
 思わずクスッと笑みを零し、構えを解く。彼女は男に手を伸ばし、金に染められた髪を掴み上げる。
「ひぇ……ひっ、ひぃ……」
 と、男は胃液を撒き散らしながら涙声を上げる。彼女は口元にわずかな笑みを湛えると、少し大きく、尖った石に向けて、男の頭を勢いよく振り下ろした。
「がああああっ!」
 男は悲鳴を上げ、意識を失った。血飛沫が闇に舞う。その瞬間、彼女の瞳がすっと私に向けられた。思い通りにいかなかったことが不満だったのだろう。
 無理もない。トドメという名の最高のエンディングを、あっさりと私に取られたのだから。
「やっと、こっち見てくれたね」
 私が茶化す。しかし、彼女は笑うことなく、
「どういうつもり?」
 と、強い語調で私を問い詰める。
 相変わらず無機質な瞳ではあったが、そこからは沸々と込み上げる怒りの感情が読み取れた。誰だって、お気に入りの玩具を取り上げられたら憤りを覚えるものだ。それでいい。
 彼女は壊れた人形に興味をなくしたのか、投げ捨てるように男の髪から手を放した。
 男は、石の上に乗せた私のローファーの上を滑るように、地面に崩れていった。男の血が私の足を赤く染める。石にぶつけられなかっただけでも有難いと思ってほしいものだ。
「聞きたい?」
 私は、彼女の漆黒の瞳をじっと見据えながらそう問うた。彼女は黙っていた。ただじっと私を見つめ、身体を小刻みに震わせている。その様子を見ながら、私は再度、口を開く。
「奪っちゃおっかなぁ、って」
 その言葉を機に、彼女の瞳が鋭く閃く。それは、彼女の怒りの感情を明確に表すものだった。

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