{
2009/07/05(日) }
彩香の異変は明らかだった。
全身から立ち昇る狂気――
彩香の目は大きく見開かれ、瞳が異様な閃きを見せている。口だけが微笑みを形作り、喉からは奇声のような音を漏らしている。身体が小刻みに揺れ、わずかに小首を傾げている。聞き取れないほどの小さな声で、何か言葉を繰り返している。
美里は無意識に自分の肩を見つめた。
怪我をした時に見た、彩香の異常。それが再び、美里の脳裏を過る。
背筋を走った寒気に、美里は小さくその身を震わせた。
紗希が、また一歩前に出る。背中を向けたまま、
「頼む」
とだけ言い、静かに構えた。
「おっほほぉ。何ソレ?」
「私ってば、強いんだからねっ!……って?」
「おぉ、怖ぇなぁ。すげぇなぁ!」
小柄な紗希を前に、男たちは茶化す言葉を連発した。しかし美里には、既に勝敗が見えていた。
包み込まれるような安心感とともに、美里は彩香をそっと抱きしめた。そして、視線を紗希に向ける。
――構えだけで解る。紗希さんは……
「へへ。悪い子にわぁ……」
と、ひとりの男が振り上げた掌を瞬時に払い、
「うっ!……、ぐほおっ!」
その腹部に、素早く突きを繰り出す。
――強い!!
格闘技経験者だからこそ理解できる、恐ろしいまでの隙のなさ。的確に急所を捉えた拳。
美里は初めて、紗希の本気を見た。瞬倒は間違いない。あらためて、そう確信する。
彩香の背中を擦りながら、美里は、彼女のあまりに華麗で鮮やかな動きに目を奪われていた。
男の身体が後方へ弾かれる。五、六歩後ずさり、呻き、膝を落とす。そしてそのまま、男は身を横たえた。
「んっ……、うえっ!……おおっ。ぐ……んんおっ」
悶えながら、男は地面をのた打ち回る。右へ――、左へ――、身体を何度も反転させ、時折、吐瀉物を撒き散らす。
美里は、紗希が苦しみを継続させる危険な拳の入れ方をしていたことも見逃していなかった。やがて、男の吐瀉物に血が混じり始める。それに呼応するように、身を捩る彩香の力が強くなっていく。
「美里!」
紗希から飛んできた言葉で、美里は紗希の言わんとするところを理解した。
男の血液……。それが、彩香の狂気の引き金となっているのだ。美里は、彩香を抱きしめる腕に力を込める。男はしばらく痙攣を持続した後で、夢の世界へと入っていった。
呆気に取られたのか、残った男のひとりは大口を開けて倒れた男を見ていた。視線を紗希へと戻すと、震える手で、とっさにポケットからナイフを取り出す。
「お、おいおい……、何の冗談だよ、コレ」
と、ふざけた態度で言葉を発する。その声は震え、裏返っていた。腰も引けている。
紗希は臆する様子もなく、ナイフを持った男に近づいていく。
彼が一、二歩後ずさるのを見て、紗希はゆっくりと構えを解いた。
Back | Novel index | Next
全身から立ち昇る狂気――
彩香の目は大きく見開かれ、瞳が異様な閃きを見せている。口だけが微笑みを形作り、喉からは奇声のような音を漏らしている。身体が小刻みに揺れ、わずかに小首を傾げている。聞き取れないほどの小さな声で、何か言葉を繰り返している。
美里は無意識に自分の肩を見つめた。
怪我をした時に見た、彩香の異常。それが再び、美里の脳裏を過る。
背筋を走った寒気に、美里は小さくその身を震わせた。
紗希が、また一歩前に出る。背中を向けたまま、
「頼む」
とだけ言い、静かに構えた。
「おっほほぉ。何ソレ?」
「私ってば、強いんだからねっ!……って?」
「おぉ、怖ぇなぁ。すげぇなぁ!」
小柄な紗希を前に、男たちは茶化す言葉を連発した。しかし美里には、既に勝敗が見えていた。
包み込まれるような安心感とともに、美里は彩香をそっと抱きしめた。そして、視線を紗希に向ける。
――構えだけで解る。紗希さんは……
「へへ。悪い子にわぁ……」
と、ひとりの男が振り上げた掌を瞬時に払い、
「うっ!……、ぐほおっ!」
その腹部に、素早く突きを繰り出す。
――強い!!
格闘技経験者だからこそ理解できる、恐ろしいまでの隙のなさ。的確に急所を捉えた拳。
美里は初めて、紗希の本気を見た。瞬倒は間違いない。あらためて、そう確信する。
彩香の背中を擦りながら、美里は、彼女のあまりに華麗で鮮やかな動きに目を奪われていた。
男の身体が後方へ弾かれる。五、六歩後ずさり、呻き、膝を落とす。そしてそのまま、男は身を横たえた。
「んっ……、うえっ!……おおっ。ぐ……んんおっ」
悶えながら、男は地面をのた打ち回る。右へ――、左へ――、身体を何度も反転させ、時折、吐瀉物を撒き散らす。
美里は、紗希が苦しみを継続させる危険な拳の入れ方をしていたことも見逃していなかった。やがて、男の吐瀉物に血が混じり始める。それに呼応するように、身を捩る彩香の力が強くなっていく。
「美里!」
紗希から飛んできた言葉で、美里は紗希の言わんとするところを理解した。
男の血液……。それが、彩香の狂気の引き金となっているのだ。美里は、彩香を抱きしめる腕に力を込める。男はしばらく痙攣を持続した後で、夢の世界へと入っていった。
呆気に取られたのか、残った男のひとりは大口を開けて倒れた男を見ていた。視線を紗希へと戻すと、震える手で、とっさにポケットからナイフを取り出す。
「お、おいおい……、何の冗談だよ、コレ」
と、ふざけた態度で言葉を発する。その声は震え、裏返っていた。腰も引けている。
紗希は臆する様子もなく、ナイフを持った男に近づいていく。
彼が一、二歩後ずさるのを見て、紗希はゆっくりと構えを解いた。
Back | Novel index | Next