{
2008/03/26(水) }
洋介さんの抵抗は無意味に等しかった。
茶髪女は地べたを這いずる洋介さんに難なく近付くと、片腕を掴む。「ひぃぃ」という情けない声。女は洋介さんの身体を仰向けに反転させると、腕をしっかりと胸の辺りに固定する。次の瞬間、女が洋介さんに向かって九十度の方向に仰向けになって倒れ込む。それと同時に、洋介さんは絶叫した。
「ぎぃやああぁっ!」
これほど見事に決まった腕拉ぎ逆十字固めを見たのは初めてのことだった。オレは我を忘れ、その美しいとも言える光景に思わず目を奪われていた。そんなオレの思考を取り戻すかのように、間もなく洋介さんの言葉がオレの耳を劈いた。
「唯人! 何やってる! 早くこっちに来てこの女をヤれ!」
声は聞こえた。言葉の意味も理解できた。先輩が助けを乞うているこの瞬間に、自分がしなければいけないことも分かっていた。オレがそこに行かなければ、オレ自身にも危険が及ぶことももちろん分かっていた。しかし身体が動かない。……いや、それも言い訳。オレの身体は多少回復し、気力を振り絞れば何とか動けるだろう。では何故? こういうのを葛藤と言うのだろうか。オレはどうしてもその場へ足を運ぶ気にはならなかった。
洋介さんが加えて女に向かって叫ぶのが聞こえる。
「お、おい。あいつはまだ無事だ。言っただろ! あ、あいつが責任を取るって!」
口から溢れた泡を飛ばしながら、洋介さんは必死で叫んでいた。しかしその言葉や態度が、却ってオレの感情をどんどんと冷ましていくのが分かった。
その言葉と聞くと同時に、茶髪女はちらりとオレに視線を送る。女の表情は驚くほど綻んでおり、その瞳には余裕すら窺えた。それは、必死な洋介さんとは対照的なものだった。
女が声を上げてオレに尋ねる。
「ねぇ。君は、何でこの人に従ってるの?」
オレはその問いに答えることができなかった。しかしその問いは、オレに一つの答えを示すものでもあった。先ほどオレが自分自身に問うた『何故』の答え。オレがどうしても二人のいる場所へ行けなかった理由。それが分かった時、オレはそれがあまりに単純なものであることに驚いた。そしてそれは、オレのこれまでの価値観を大きく覆すものでもあった。
茶髪女がようやくその力を緩めた時、洋介さんは腕を押さえて悶絶した。オレはその様子を見ながら立ち上がると、まっすぐ二人のところへ歩いて行った。
洋介さんはオレを見ながら声を荒げる。
「遅えんだよ、唯人! 早くそいつヤっちまえ! そしたら、お前の好きにしていいからよ!」
オレはその言葉を自然と受け流していた。ふと茶髪女へと目を向ける。女はにっこりと笑顔をオレに向けていた。まるで、オレの心の奥底まで読まれているような深い眼差しだった。
再び倒れ込んだ洋介さんに目を移す。オレにはもはや迷いは無かった。
オレは拳を握り締め、力一杯洋介さんの顔面を殴った。ドッという鈍い音とともに、洋介さんは地面に手をつく。『何が起こったのか分からない』と、彼の表情が物語っていた。
そんな洋介さんを見ながら、オレは叫んだ。
「てめえは……クズだ!」
精一杯の言葉だった。オレの目から再び涙が溢れ出てくるのが分かった。
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茶髪女は地べたを這いずる洋介さんに難なく近付くと、片腕を掴む。「ひぃぃ」という情けない声。女は洋介さんの身体を仰向けに反転させると、腕をしっかりと胸の辺りに固定する。次の瞬間、女が洋介さんに向かって九十度の方向に仰向けになって倒れ込む。それと同時に、洋介さんは絶叫した。
「ぎぃやああぁっ!」
これほど見事に決まった腕拉ぎ逆十字固めを見たのは初めてのことだった。オレは我を忘れ、その美しいとも言える光景に思わず目を奪われていた。そんなオレの思考を取り戻すかのように、間もなく洋介さんの言葉がオレの耳を劈いた。
「唯人! 何やってる! 早くこっちに来てこの女をヤれ!」
声は聞こえた。言葉の意味も理解できた。先輩が助けを乞うているこの瞬間に、自分がしなければいけないことも分かっていた。オレがそこに行かなければ、オレ自身にも危険が及ぶことももちろん分かっていた。しかし身体が動かない。……いや、それも言い訳。オレの身体は多少回復し、気力を振り絞れば何とか動けるだろう。では何故? こういうのを葛藤と言うのだろうか。オレはどうしてもその場へ足を運ぶ気にはならなかった。
洋介さんが加えて女に向かって叫ぶのが聞こえる。
「お、おい。あいつはまだ無事だ。言っただろ! あ、あいつが責任を取るって!」
口から溢れた泡を飛ばしながら、洋介さんは必死で叫んでいた。しかしその言葉や態度が、却ってオレの感情をどんどんと冷ましていくのが分かった。
その言葉と聞くと同時に、茶髪女はちらりとオレに視線を送る。女の表情は驚くほど綻んでおり、その瞳には余裕すら窺えた。それは、必死な洋介さんとは対照的なものだった。
女が声を上げてオレに尋ねる。
「ねぇ。君は、何でこの人に従ってるの?」
オレはその問いに答えることができなかった。しかしその問いは、オレに一つの答えを示すものでもあった。先ほどオレが自分自身に問うた『何故』の答え。オレがどうしても二人のいる場所へ行けなかった理由。それが分かった時、オレはそれがあまりに単純なものであることに驚いた。そしてそれは、オレのこれまでの価値観を大きく覆すものでもあった。
茶髪女がようやくその力を緩めた時、洋介さんは腕を押さえて悶絶した。オレはその様子を見ながら立ち上がると、まっすぐ二人のところへ歩いて行った。
洋介さんはオレを見ながら声を荒げる。
「遅えんだよ、唯人! 早くそいつヤっちまえ! そしたら、お前の好きにしていいからよ!」
オレはその言葉を自然と受け流していた。ふと茶髪女へと目を向ける。女はにっこりと笑顔をオレに向けていた。まるで、オレの心の奥底まで読まれているような深い眼差しだった。
再び倒れ込んだ洋介さんに目を移す。オレにはもはや迷いは無かった。
オレは拳を握り締め、力一杯洋介さんの顔面を殴った。ドッという鈍い音とともに、洋介さんは地面に手をつく。『何が起こったのか分からない』と、彼の表情が物語っていた。
そんな洋介さんを見ながら、オレは叫んだ。
「てめえは……クズだ!」
精一杯の言葉だった。オレの目から再び涙が溢れ出てくるのが分かった。
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