{
2007/06/10(日) }
額から一筋の汗が流れ落ちた。
俺は走った。とにかく走って、走って、走って…
息が苦しい。呼吸ができない。けれど、そんなことには構っていられない。蹴躓きそうになりながらも、ひたすら走って逃げた。
角を曲がった先に立ちはだかる壁に、絶望的な気分になった。
気がつくと、あの女は背後に迫っていた。
夕暮れ時も過ぎ、辺りは既に暗闇に覆われていた。月明かりに照らされた二人の影は、既に重なり合うほど近いものとなっていた。
――もう終わりだ。逃げられない。
そんな風に弱気になる心を叱咤し、最後の希望を託して、俺は女と向き合った。
驚くべきことに、女は息一つ乱れていなかった。
俺はというと、心臓が暴れて胸が熱いほどに疲労しているというのに。
そんな俺の目の前で、女はじっと立っていた。
すらりとした身体を、白いワンピースが包む。美しい黒髪は背の中ごろまで伸びていて、前髪は目の上で綺麗に切り揃えられていた。今風でないその髪型が、却って彼女を神秘的に輝かせている。
女は顔を伏せている。整った顔に、けぶる睫毛が美しかった。
年の頃は若そうで、俺より下かもしれない。
なんだ。弱そうじゃないか。…などと、気を休めることはできなかった。
なぜなら彼女の雰囲気が、「これは危険な生き物だ」と俺に告げているからだ。
身動きできないでいる俺の前で、彼女はゆっくりとその顔を上げた。
その瞳に、俺は一瞬にして囚われた。
切れ長の瞳には、強い意志の力が灯る。彼女は、紛れもない美女だった。それも極上の。
紅色の唇が、吸い込まれそうな魅力的な笑みの形を作る。
細身の身体からは、先ほどまでとは変わって、女の色香のようなものが漂っていた。
全身から発せられるオーラに吸い込まれ、気がつくと俺は一歩足を踏み出していた。
…いけない!
寸での所で、俺の自制の力が効いてくれた。慌てて壁まで後ずさる。
この女は危険だ、と自分の勘が再度告げる。
俺は、この女の正体すら知らない。一体何者なのか、なぜ俺を追うのか。
全く分からないことだらけなのに、危険の臭いだけを強く感じていた。
俺が再び逃げ道を探しているのに気がついたのか、突然女が動いた。
俺のすぐ隣に回り、耳元で何かを囁いた。
何を言ったのかは聞き取れなかった。それなのに、すぐ近くから立ち上る強い芳香が、俺を俄かに酩酊させた。
立ち竦む俺に、しなやかな白い女の指が絡みつく。細い指先が俺の喉を押さえ込み、力を込められる。
俺はまるで酔ったように、彼女に締め付けられるまま身を委ねた。
手指が痺れ、地に足が着かない。意識が遠くなる。
――このまま死ぬのか。
何もかも分からないこの状況。それなのに、不思議と嫌ではなかった。
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俺は走った。とにかく走って、走って、走って…
息が苦しい。呼吸ができない。けれど、そんなことには構っていられない。蹴躓きそうになりながらも、ひたすら走って逃げた。
角を曲がった先に立ちはだかる壁に、絶望的な気分になった。
気がつくと、あの女は背後に迫っていた。
夕暮れ時も過ぎ、辺りは既に暗闇に覆われていた。月明かりに照らされた二人の影は、既に重なり合うほど近いものとなっていた。
――もう終わりだ。逃げられない。
そんな風に弱気になる心を叱咤し、最後の希望を託して、俺は女と向き合った。
驚くべきことに、女は息一つ乱れていなかった。
俺はというと、心臓が暴れて胸が熱いほどに疲労しているというのに。
そんな俺の目の前で、女はじっと立っていた。
すらりとした身体を、白いワンピースが包む。美しい黒髪は背の中ごろまで伸びていて、前髪は目の上で綺麗に切り揃えられていた。今風でないその髪型が、却って彼女を神秘的に輝かせている。
女は顔を伏せている。整った顔に、けぶる睫毛が美しかった。
年の頃は若そうで、俺より下かもしれない。
なんだ。弱そうじゃないか。…などと、気を休めることはできなかった。
なぜなら彼女の雰囲気が、「これは危険な生き物だ」と俺に告げているからだ。
身動きできないでいる俺の前で、彼女はゆっくりとその顔を上げた。
その瞳に、俺は一瞬にして囚われた。
切れ長の瞳には、強い意志の力が灯る。彼女は、紛れもない美女だった。それも極上の。
紅色の唇が、吸い込まれそうな魅力的な笑みの形を作る。
細身の身体からは、先ほどまでとは変わって、女の色香のようなものが漂っていた。
全身から発せられるオーラに吸い込まれ、気がつくと俺は一歩足を踏み出していた。
…いけない!
寸での所で、俺の自制の力が効いてくれた。慌てて壁まで後ずさる。
この女は危険だ、と自分の勘が再度告げる。
俺は、この女の正体すら知らない。一体何者なのか、なぜ俺を追うのか。
全く分からないことだらけなのに、危険の臭いだけを強く感じていた。
俺が再び逃げ道を探しているのに気がついたのか、突然女が動いた。
俺のすぐ隣に回り、耳元で何かを囁いた。
何を言ったのかは聞き取れなかった。それなのに、すぐ近くから立ち上る強い芳香が、俺を俄かに酩酊させた。
立ち竦む俺に、しなやかな白い女の指が絡みつく。細い指先が俺の喉を押さえ込み、力を込められる。
俺はまるで酔ったように、彼女に締め付けられるまま身を委ねた。
手指が痺れ、地に足が着かない。意識が遠くなる。
――このまま死ぬのか。
何もかも分からないこの状況。それなのに、不思議と嫌ではなかった。
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