Black Onyx [ブラックオニキス];2009/ 08の記事一覧

ここでは、Black Onyx [ブラックオニキス]での 2009年 08月 に掲載した記事を表示しています。
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 深夜の静寂を破ったのは、呼び鈴の高い音だった。
 ひと気のないアパートに鳴り響く、無機質な音――
 二回、三回、四回……
 チャイムの音は、空しく闇へと消えていく。
 部屋の中から物音はしなかった。それでも、音が止むことはない。
 十回、二十回……
 繰り返される単調な音に、部屋の住人は身を凍らせた。
 時計は、午前二時を告げている。
 こんな時間にやってくる同僚や友人は、まずいない。急用であれば、せめて一報くらい入れてくるのが普通だ。第一、急用であれば、名乗ったり、激しくドアを叩いたりしてもおかしくはない。そう考えるほど、あまりにも単調なリズムを奏でるこの呼び鈴が不自然で仕方がない。
 部屋の中で息を殺し、身体を小さく丸め、ただこの緊張の時間に耐えた。灯りを消していたことが、せめてもの救いだった。それでも――
 四十回、五十回……
 決して止まない恐怖。過ぎない時間。
 いずれこういう日が来ることは想像していたはずだった。心当たりもあった。いや、それはもはや確信とも言えた。それでも、いざこの瞬間になると、身体が思うように動かない。
 トン、トン――
 ……やがて聞こえてくる、静かなノックの音。そして――、再び鳴る、呼び鈴。
 それらは徐々に、徐々に、テンポを速めていった。
 暗い部屋の中で頭を抱え、無言のまま蹲る。蹲ったまま、ただ拳を強く強く握る。
 全身に汗が滲む。身体が震えてくる。しかし同時に、この緊張や恐怖が、次第に己の中で怒りへと変化していく。
 ――絶対、屈してはいけない。
 慎重に足を忍ばせ、台所へと向かう。そっと戸棚を開き、包丁を一挺取り出して隠し持つ。
 なおも部屋を包む、呼び鈴とノックの音。しかしそれが、わずかな物音を消す役割をも果たしていた。
 覗き穴から外の様子を探る。
 想像通りの顔が、そこにあった。あらためて息を呑み、悲鳴を上げそうになるのを必死で堪えながら、
「ど、どなたですか?」
 静かに問う。しかし、声の震えは隠すことができない。
「あの……、こんな時間に、何のご用でしょうか?」
 さらに質問を重ねるが、返事はない。それが、ひとつの決心へと繋がった。
 一度、大きく息を吸い込み、玄関の灯りをつける。ロックに手をかける。カタリと錠が外れる音が鳴ると同時に、ドアを開く。だが――
「あっ」
 ……それ以上の声を出す暇はなかった。
 部屋から覗いた頭を目掛け、スパナが勢いよく振り下ろされた。

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 足を踏み入れた時、夏美は動揺を隠せなかった。場所を間違えたのかと思ったからだ。
 洒落た内装。清潔感の漂う天井や壁。艶やかなフローリング。
 道場というよりは、教室といった雰囲気だった。
「一! 二! 三!――」
 師範と呼ばれた老人が、鏡を背に拳を突き出している。それに続いて、大人から子どもまでの男女が、同じ動作を繰り返している。年齢層も幅広く、さほど難しい動きはしていない。
 夏美はその様子を見学しながら、次第に緊張が解れていくのを感じていた。
 格闘技など、かじったこともない。強靭な肉体を――、揺るがない精神力を――、そんな男臭い世界に身を投じようと思っていたわけでもない。学ぶことで、わずかでも自信がもてればいい。気晴らしになればいい。
 そんな風に思っていた夏美にとって、この教室は好感触だった。
 しかし、夏美のそんな淡く小さな希望は、入会手続きの用紙に記入する直前になって、もろくも消え去った。
 ――来た……、来た! 服を着た骸骨。……荒く濁った息遣い。……顔に浮かぶ、いくつもの吹出物……
 教室に入ってきた男を見ながら、
「もう、いい加減にして!!」
 夏美は悲痛の声を上げた。
 教室内がにわかに静まる。夏美の応対をしていた女性も、突然のことに呆気に取られた表情でいる。
 誰もが硬直する中、夏美と男の目が合う。その瞬間、男は素早くそこを飛び出し、一目散に走り去った。
「追いかけて! あの人! 早く!」
 しかし、誰も動かない。動けないのだ。状況を把握しきれず、驚きや戸惑いの目だけを夏美に向ける。
「……もう、いいです!」
 夏美は書きかけの書類を払うようにして立ち上がり、ペンを投げ捨てると、
「結局、いざとなったらこんなもんですよね!」
 と、行き処のない不満を誰ともなしにぶつける。
「護身術なんて――」
 言いながら夏美は、教室を飛び出した。
 暖気の注ぐ中、夏美は辺りを見回す。しかし、やはり目的の人物は見当たらなかった。
 それを嘲笑うかのように、鳴き忘れていた蝉が、一斉に歌い始めた。


 佐久間は、今日も夏美の部屋を訪れていた。
 呼び鈴を鳴らしてみるが、反応がない。電気もついていない。耳を欹ててみると、何か機械の音のようなものが聞こえてくる。パソコンの起動音だろうか? それなら、部屋には居るのかもしれない。眠っているのか、単に出たくないのか、それはわからない。
「こんばんは。山川さん。ご在宅ですか?」
 声をかけてみる。せめて無事だけは確認したかったのだが、返答もない。
 このような住宅街では、警官がうろついているだけで噂になったりするものだ。そのことを、佐久間は承知していた。根も葉もない噂で、却って彼女の負担が大きくなってしまうようでは、元も子もない。
 佐久間は長居することなく、その場を離れた。


 部屋の灯りをともすことも忘れていた。
『もう嫌だ・・・』
 キーを叩く指には、力がほとんど入っていない。
『護身術も、警察も、あてにならない・・』
『逃げ場なんてない・・どこにも・・・どこにも・・・どこにも・・・・』
『でも、死ぬ気になれば・・・何だってできるはず・・・・・』
 それはひとつの決意でもあった。
 今も窓から覗かれているかもしれない。そう思うと、不安に押し潰されそうになる。
 ミクシィのコメントは、今日も着々と増えていった。

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 夏美は形振り構わず、警官――佐久間の胸に跳びついた。
「あっ!」
 という佐久間の声とともに、自転車が倒れる。夏美と佐久間もまた、お互いを抱えるようにして路面に転がった。夏美は佐久間に跨るような体勢のまま、彼の胸に顔を埋め、
「助けてください! あの男が!」
 と、来た道を指差す。しかし、彼女の指の先には、ただ暗闇が広がっているだけだった。
「もう大丈夫です」
 包み込むような声だった。佐久間は夏美の頭を優しく撫で、
「襲われたりしませんでしたか? お怪我は?」
 と、問う。夏美は泣きじゃくりながら、首を横に振った。
「よかった」
 安堵の息とともに、佐久間は上半身を起こした。それでもなお、夏美は彼の身体に両腕を回したまま、放そうとしない。小刻みに震える彼女の肩をゆっくりと擦りながら、佐久間は、
「送っていきますよ」
 と、囁いた。穏やかな口調だった。
 夏美の乱れた呼吸が、徐々に落ち着いてくる。彼女は佐久間に身を預けたまま、
「……はい」
 と呟き、立ち上がった。佐久間は、自宅まで夏美に付き添うことにした。

 別れ際、佐久間は、何か犯人の手がかりになるような――、と、出しかけた言葉を噤んだ。家の前に立った夏美から、覇気が全く感じられなかったからだ。呆然と宙を見上げている。そんな夏美に対して彼が口にできたのは、彼女の傷心を癒す精一杯の言葉だけだった。
「いつでも見守っています。警官は、市民の味方ですから」
「…………信じてます」
「はい。信じてください!」
 その言葉を最後に、夏美は深く頭を下げ、彼に背を向ける。
 玄関のドアが閉まるまで、佐久間は、彼女の力ない後ろ姿を見守っていた。


『見かけた・・また・・・・・』
『一体、何が目的?・・このままじゃホントに・・』
 虚ろな瞳――、精気の抜けた表情――。指だけが、文字をミクシィに連ねていく。
『明日は休日だし、時間もあるし』
『近所の護身術教室にでも行ってみようかな・・・・』
 そこでパソコンの電源は切られ、部屋の電気も消えた。


 佐久間は、夏美と別れた後も、しばらく彼女の部屋の前に立っていた。
 部屋の電気が消えたのを確認すると、再び自転車のある場所へと戻る。
 ――彼女に何かあってからでは遅い。できる限りのサポートを……
 決意を新たにし、佐久間は勢いよく自転車に乗り込んだ。

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 夏美は落胆した。
 昨晩の警官の姿は見えない。代わりに、小太りの中年警官が椅子に座っている。事件の資料らしきものを手に、何やら考え事をしている様子だった。夏美が交番の前に立つと、彼はおもむろに資料を机上に置き、
「どうかされましたか?」
 と、夏美に問うた。酒焼けしたような声だ。立ち上がることなく、それでも穏やかな表情を形作り、返答を待っている風だった。しかし夏美には、昨日話したことをもう一度話す気力はなかった。
「あの……、昨日の方は?」
「昨日の? あぁ、昨日も来られたんですね。何時頃ですか?」
 中年警官は夏美に背を向け、報告書らしき書類を手に取って、パラパラと捲り始める。
「えっと……、夜中です。三時……くらいだと思うんですけど」
「深夜……三時……? ずいぶんと遅く……、あ、はいはい。わかりました。山川夏美さんですね?」
「はい。昨日の方にまた――」
「すみませんね。彼は今日は巡回でして。でも、話は伺ってますので、どうぞ」
 そう言って、中年警官が中へと手を差し伸べる。しかし、夏美は彼がそこにいなかったことに、言い難い憤りを感じていた。疲れている中で気を張っていたためか、一気に脱力感に襲われる。
「……それなら、結構です」
 ポツリと零し、昨晩借りた服と傘を警官に返す。頭を下げ、その場を後にしようとする。――その時、背後に視線を感じ、夏美は振り返った。外灯のわずかな光が、視線の主を照らす。
 ――あの男だ。私を狙う男! 骸骨のような体つき……。顔に吹出物がたくさん……
「お、お巡りさん、あ、あの男――!」
 夏美が叫ぶ。中年警官が入口から顔を覗かせる。しかしその時には、既に男の姿は消えていた。
「んー。あの男……っていうと……」
 中年警官の動きは鈍い。彼の言葉を無視し、夏美は交番から走り去った。


 帰宅してからも、胸の鼓動が止まらなかった。
『どうして、あそこに?』
『交番に行くことを知ってた?何で?』
『・・・警告?』
 キーを叩く手に汗が滲む。
『昨日の警官もいなかった。見捨てられたのかもしれない・・・』
 ミクシィ日記はそこで途切れた。
 コメント欄には、昨日の日記も併せて三十近い書き込みがあったが、目を通す気には到底なれなかった。
 そのままベッドに入っても、すぐには寝付けなかった。


 ここ数日、不眠が続いている。
 会社での失敗も目立つようになってきた。人間関係もうまくいっていない。
 いつものように帰路を辿りながら、夏美はふっと気を緩める。その時、嫌な感覚が彼女を包み込んだ。
 静寂の中に漂う、かすかだが濁った荒い息遣い。闇に浮かび上がる、細長い輪郭。
 ――まただ。また……、あの男……。あの男! 間違いない!
 夏美は平静を保とうとするが、どうしても全身が震えてしまう。声が出ない。思わず身を縮めた時、
「あ、こんばんは」
 ふいに後ろから声をかけられる。
 自転車の放つ光が、夏美の目に優しかった。そこに乗っていたのが、あの日の警官だったからだ。

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 佐久間は、内心ホッとしていた。
 しかし同時に、なかなか話が核心に至らないことに、もどかしさをも感じていた。
 時計の針は深夜の四時半を回っている。蒸し暑さに、余計に気持ちが急いた。
 今、このままこの女性と話を続けても、おそらくこれ以上の進展はないだろう。彼女の突発的な行動や証言の曖昧さから見ても、勘違いの可能性は依然として否めない。佐久間はそう感じていた。ペンを手帳に収め、胸ポケットにしまう。そして、なるべく穏やかな口調で、
「わかりました。もう少し様子を見てください。何かあったら、いつでも来てください」
 と言って立ち上がり、ドアを開けて、入口の方へと手を差し伸べる。夏美はため息を吐き、
「はい。……ありがとうございました」
 と小さな声で答え、腰を上げた。彼女が浮かない表情を崩すことはなかった。
 佐久間は夏美に、傘と、まだ濡れたままの彼女の服を手渡しながら、
「備品の返却は、いつでも結構です」
 と、声をかけた。
 家まで送るつもりで佐久間がもう一つの傘を取り出すが、夏美がそれを遮る。
「ここまでで大丈夫です。お世話になりました」
 そう言って彼女は頭を下げる。
 佐久間が「え? でも、命――」と言いかけた時には、既に夏美は早足に歩き始めていた。何だか釈然としない気持ちではあったが、今できることはここまでなのだと、彼は自分に言い聞かせた。
 雨の中に消えていく夏美の後ろ姿を、佐久間は黙って最後まで見守っていた。


『・・・いい加減にしてほしい!』
 カタカタとキーボードを叩く音だけが、部屋に響いていた。
『警察に行って相談してきました。うまく話せなかったけど・・』
『ホントにもう、関わらないでほしい!!』
 ミクシィ日記に、痛々しい言葉が連ねられていく。
『目的が全くわからない。それが怖い・・・』
『こうして毎日、気を張っているのにも疲れてきました・・・・』
『やっぱり明日、もう一度、警察に相談に行こうと思います。』
 そこで、パソコンはパタンと閉じられた。


 会社帰りの夜道。夏美のヒールが、アスファルトを力なく鳴らしていた。
 結局、昨晩は眠れなかった。
 電車を降り、人ごみに紛れて歩みを進める。夏美の家は、駅から歩いて十五分ほどの閑静な住宅街に位置していた。しかし彼女の足は、自宅よりさらに十分ほど離れた場所へと向かっている。
 ひと気は、次第に無くなっていった。
 やがて、狭い通りの中にポツンと光を灯す建物が見え、夏美は安堵の息を漏らす。
 昨日の交番だった。
 しかし、彼女が期待していた姿は、そこにはなかった。

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 佐久間は慎重に言葉を選びながら、質問を続けた。
「先ほども、そうおっしゃってましたね。それは大変なことです。でも、一体なぜそう思うんですか?」
「男の人が、迫ってくるんです」
「交際相手ですか?」
「違います。話したこともありません」
「妙ですね。……失礼ですが、迫ってくるというのは、その、肉体関係とか――」
「そうじゃありません。じっと見たり、付き纏ったり。いつも、いつも……」
「ストーカー被害に遭われている、ということでしょうか?」
「そうです」
「そのストーカーに、あなたは殺されるとお思いなんですね?」
「思ってるんじゃありません。私は、殺されるんです」
 切迫した彼女の表情を、佐久間はじっと観察していた。


 雨が交番の屋根を容赦なく叩き続けている。
 佐久間は手帳にペンを走らせながら、女性――山川夏美の言葉を書き留めていった。
 実際のところ、この手の相談自体は珍しいことではない。難しいのは、その事件性や緊急性などの見極めだ。
 まず、本人の勘違いや思い込みであるケースが存在する。その一方で、わずかな初動の遅れが最悪の事態を招くケースも存在する。また、一概にストーカーと言っても、そのタイプは多種多様だ。それゆえ、当然、その対策もまた千差万別となる。
 いずれにせよ、
 ――決して軽視すべきではない。
 それだけが、佐久間の直感であり、確信だった。
 しかしながら、彼女の訴えていることは、今ひとつ要領を得ない。
 佐久間は慎重に、聴き取りを続けた。
「どうして、殺されると思うんです?」
「感じるんです。あの男の殺意を」
「そう思う具体的な何かがありますか? 例えば『殺す』と書かれた手紙が送られてきたとか」
「ありません」
「本当に些細なことでいいんですが、何か、ありませんか?」
「……ちょっと、思いつきません」
「でも、自分が殺されると確信する何かを感じる、と?」
「そうです。それを感じたので、今ここに来ました」
「うーん……。そうです、か……。何か、そういったことをされるような心当たりは?」
「ないです」
「……失礼ですが、あなたの……夏美さんの、その……勘違いということはないでしょうか?」
 佐久間が少し口篭る。こういった質問に対して、過敏に反応する女性も少なくないからだ。しかし、
「ありません」
 夏美は別段表情を変えることなく、端然とそう答えた。

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「私、近いうちに殺されます」

 宿直の佐久間が驚いたのも当然のことだった。
 時刻は既に、夜中の三時を過ぎている。強風、豪雨、雷すら鳴り響くこんな夜に、突如、傘も差さずに交番に現れた女性を見て、驚くなという方が無理な相談であろう。
 若い女性だった。
 青ざめた表情に唇の紅みだけが際立っている。半袖のシャツ一枚に膝丈のスカートを身に着けている。雫の滴る長い脚――、その足先をサンダルが包んでいた。雨に濡れた黒髪が胸元まで下がっている。
 薄いシャツから浮き出た乳首の輪郭に、佐久間は思わず目を奪われてしまう。
 額を汗が伝ったのは、緊張のせいか。それとも、ここのところ続く熱帯夜のせいだろうか。
 佐久間は少し戸惑いながらも、
「とりあえず、こちらへ。事情をお聴きしますので」
 別室へと女性を通す。エアコンで温度の調節された狭い部屋だった。
 佐久間は彼女に、タオルと、その場しのぎの安っぽい着替えを手渡し、後ろを向く。本来ならシャワーくらい浴びさせたいくらいだったが、生憎ここにはそんな立派な設備はない。
 彼は後ろを向いたまま、先ほどの女性の言葉を思い返していた。

 着替えを済ませた旨を伝えられ、佐久間が振り返る。そこで彼は再度、目の前の女性に見惚れた。
 滅多にお目にかかることのないほどの美人の姿が、そこにあった。
 清楚な表情を覆う色白の肌。切れ長の目の中に大きな瞳をもち、鼻筋もすっと通っている。パジャマのような服をはち切らんばかりの豊満なバストとヒップ。裾の先から覗く、たおやかな白い手足。拭いたばかりの乱れた髪が、女性の色気を際立たせていた。
 佐久間は一度、大きく深呼吸をすると、手帳を胸ポケットから取り出す。置かれた小さな椅子に彼女を座らせ、机を挟んだ向かいの椅子に自分も座る。
 女性は酷く怯えていた。
 佐久間は彼女の様子を見ながら、ふうっと大きな息を吐く。それから、穏やかながらも真剣な表情を形作る。その瞳には、先ほどまでとはまた違った緊張の色が湛えられていた。
 当然だ。よほどの事情がない限り、こんな時間帯に交番へ来る者などいないのだから。
 佐久間は女性の様子を見ながら、何か世間話でもした方がいいと思い、
「今日はまた、すごい雨ですね」
 と、切り出した。しかし彼女は少し頷くだけで、口を開こうとはしない。「ここまで来るのも、大変だったでしょう?」という問いかけにも、同じ反応しかしない。
 佐久間はそこで一呼吸置き、話を本題へと切り替えた。
「えっと、すみませんが、お名前、よろしいですか?」
「山川夏美です」
「なつみ、さんですね。それで、どうされました?」
「……殺されるんです。私」
 彼女の言葉の意味するところは変わらない。佐久間は、自分の耳を疑うことをやめた。

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「フリーターか」
「はい。三年前に仕事を辞めて、それからだそうです」
「そして、引きこもり。倍満だな」
「引きこもりと犯罪か……」
「最近じゃ、珍しくもなんともない」
「でも今回のケースは、ある意味、世間の注目を浴びるんじゃないですか?」
「確かにな」
「あの青年の姿、見ましたよね? ボッコボコで。あれを女性が……ですよ?」
「……頭の痛い話だ」
「相当キレてたんでしょうね。よくもまぁ、あんなになるまで……」
「…………」
「でも、女性に屈服させられるって、どんな感じでしょうかね?」
「……さあな」
「僕なんてMだから、あの引きこもり青年の立場だったら、案外、興奮し――」
「口を慎め! ただでさえ、世間の警察への目は厳しくなってるんだ」
「……あ、はい」
「それに、こんな時代だ。どこに耳があっても不思議じゃない」
「すみません。気をつけます」
「極論だが、何があったかは、さほど重要じゃない。大切なのは、警察がどういう対処をしたかだ」
「その点なら、心配いらないと思います。これ以上ない真摯な対応です」
「まぁ、概ねはな。しかし、あんなもんが証拠品のひとつになるなんて、俺の時代じゃ考えられんよ」
「ミクシィは、『足跡』ってのが残るんです。訪問者履歴と言いますか。裏付けには十分ですね」
「後は、より詳しい事情聴取か……」
「事実確認も楽じゃないですよね。報告書だって――」
「ちなみにその、みぐし?に、例の話が出たのはいつからだ?」
「最初に、佐久間が交番で話を聴いた日です」
「……ぞっとしない話だな、本当に」
「……ですね。それに関しても、もっと話を訊きたいところです」
「これも、できるだけ早い方が望ましいが……」
「二人とも、今は病棟ですよ」

 刑事二人の話を横耳で聞きながら、佐久間は拳を強く握った。
 自分には、もっとできることがあったのではないか。彼女の心の叫びを、しっかりと聴いていなかったのではないか。見落としがあったのではないか。彼女を救うことができたのではないか。
 自責の念に駆られる。
『信じてたのに……』
 彼女の言葉が脳裏を過る。
 これだけショッキングな事件だ。今となっては、一警官の自分が彼女と面会できるかどうかわからない。
 しかし、今すぐにでも、彼女に会いたかった。会って、……会って――
 だが、何を言ったらよいものか、彼には検討もつかなかった。

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コミックマーケット76(夏コミ)が開催されます。(※終了)

●日程:2009年8月14日(金)~16日(日)
●場所:東京ビッグサイト

※詳細 → 「コミックマーケット公式サイト」

以下、参加されるリンク先サイト様です。(委託参加含む)

30NEKO.com  被愛僕主義社  AFJ

Count ECO's wanking  ひよこ番長

わかる範囲で掲載いたしました。順不同です。
(万一、掲載漏れがあるリンク先サイト様がいらっしゃいましたら、ご指摘ください。)
私は参加したことがありませんので、お問い合わせはご勘弁ください。
詳細は公式、または各サイト様にて。

読者様の中にも、参加される方がいらっしゃるかと思います。
どうぞ、心置きなく楽しんできてくださいませ。

以上、ご紹介まで。
 雲に覆われ 月おぼろ 吹く風淡く 柔らかく
 照らされて 黒く光るは 石畳 墓前に眠る あまたの御骨
 葬送終わりて 時久し 悲悩にむせぶ 死ねぬ者
 立っていたのは 男の子 墓前にひとり 男の子

「何をしてるの?」
 私が問う。
 男の子は答えず、ただ静かにそこに立っていた。
 一歩、一歩、また一歩――
 私が歩みを進める度に、枯木や木の葉が悲鳴を上げた。
「どいて」
 そう言葉をかけてみても、その子はこちらを見ようとしない。
 ふわりと浮いては姿を消し、気づけばまたそこに立っている。
 時折、墓に手を伸ばす。
 もしかしたら、無くした左手を探しているのかもしれない。
 でも、そんなこと、私には関係ない。男の子の前に立って――

 頬を殴った。お腹を蹴った。顎を突いた。

「ん……うっ……」
 呻き声とともに、その子が仰向けに倒れる。だから私は、続けて――

 お腹に膝を落とした。馬乗りになった。力任せに首を絞めた。

「……どうして?」
 ようやく、男の子の喉から言葉が絞り出された。どうしてって……?
「邪魔だから」
 私は即答する。
 その子がもがき始めたから、私は手の力を抜いた。立ち上がり、お腹を踏み潰す。
「ぐ、うぅっ!……どうして?」
 肺から直接出たような声で、その子が同じ言葉を重ねる。
 男の子はそのまま、風にかき消えた。
 ――どうして?
 繰り返された、死者の言葉。
 なぜか、その先が気になった。どうしてそんなことを訊くのか、理解できない。
 ――どうして……? ねぇ、どうして……?
 それは、こっちの台詞でしょ。

 私の墓を汚すな。
 私の墓を汚すな。
 私の墓を汚すな。



END

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いつ、どこで、何を思って執筆したのか――
全く覚えていません。すみません。
テキストを整理していた時に、偶然見つけました。
この色と匂い。私が執筆したものであることは、まず間違いないと思うのですが……
向こう側で書いてきたんでしょうか……? 不思議なこともあるものです。

初めての方、既読の方、何度もご覧くださっている方――
過去作へのたくさんのアクセスが、大変励みになっています。
それでも性格上「ゆっくりと」が苦手なもので、気を抜いたらまた爆発更新してしまいそうですが(汗)
その時はまた、明にでも暗にでも、作者にお伝えくだされば幸いです。

話は変わりますが、「小説:その他」への好意的なご感想に驚いています。
実のところ、当初は、目立たないようにこっそりと更新しているくらいのものでしたので。
応援してくださっている方々、本当にありがとうございます。
興味がおありの方は、こちらからどうぞ。 → ◆小説:その他◆

皆様に支えられ、助けられ、etc... それを実感することが、私の大きな活力になっています。
これからも、Black Onyx [ブラックオニキス]を、何卒よろしくお願いいたします。

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 降り続く雨。
 世界が少しだけ姿を変えるこんな日は、きっと人の心すらも変えずにはいられないんだろうね。
 人影はない。あるのは静寂。雨の音がその静寂をさらに強調する。

 お嬢ちゃん? いつからそこに立っていたの?
 暗雲は少女を覆う。彼女を包んだ喪失感は、一つの恋歌となって宙に舞う。
 うん、聞こえるよ。聞こえる。だから、心配ない。
 それはどこから持ってきたの? いいんだよ。それはきっと、君の愛の印だから。

 雨の勢いは次第に強くなってくる。
 傘もささず、ただ立ち尽くしてる。君の思いが、自由の存在を掲げてる。
 もうじき、雨が全てを流してくれる。だから、安心していいよ。
 ここにあるのは混沌と、狂気と……。……あとは、忘れた。

 一つ一つの出来事は、欠片になって流れていく。
 君も、姉妹も、友達も、隣人も、他人も、あの子も、あの子も、あの子も……
 全てが悲劇の役者。全てが喜劇の役者。

 どうして何も言えないの――、なんてさ、聞くだけ無駄だってわかってるよ。
 でも、ほんの少しの間だけ、ここに居させてもらうね。

 遠い遠い昔のお話。遠い遠い未来のお話。そして、ある少女のお話。
 そこにあるのはいつも、断片的な人々の記憶だけ。
 他にはなにもない。きっと、何も……
 いつの間にか辺りは、真っ暗な闇に包まれていた。

 ほら、あの子。自分の投げた小さな枯木が見当たらなくて、ずっと探してたんだ。
 探し続けて、探し続けて……、やがて石になってしまった。
 だったらいっそのこと、丸裸になって溶けてしまった方が楽だったろうにね。

 君が持っているそれだって、偶然そこにあるわけじゃない。
 強い心と、純粋な憧れ。それは捻じ曲がった感情。それは歪んだ愛情。
 だけど、それは決していけないことじゃない。ごく普通のこと。普通のことだよ。
 ただ、意識はしないようにしてね。そうでないと、君自身が壊れちゃう。

 あの子はもういないよ。
 もちろん、君は気付いてないだろうけど。



END

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いつもお世話になっております。
Soulさんより、第五弾。今回は、渚を作ってくださいました。
キャラクターに愛着をもっていただけて、本当に嬉しいです。
どうもありがとうございました。
※画像をクリックすると、拡大します。携帯の人はこちら→ 1 2 3 4 5 6 7

        

            
● 渚
女子高生シリーズ」より

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