Black Onyx [ブラックオニキス];2008/ 10の記事一覧

ここでは、Black Onyx [ブラックオニキス]での 2008年 10月 に掲載した記事を表示しています。
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時系列を崩していくのは、実に楽しいものです。
高等部への進学を前に、彼女たちを繋いだ糸。
紡ぐ先にあるのは、麻美大嶋学園の基盤「リンチタイム」というわけで。
完結、且つ、シリーズ。そんな作品制作を心がけています。

お陰様で、本作も無事、完結することができました。
ご来訪くださっている方、拍手やメッセージを下さっている方、本当にありがとうございます。
私の作品から「何か」を感じていただける。それは、この上なく光栄なことです。

だんだんと寒くなってきました。
皆様も、お風邪など引かれませぬよう。くれぐれもご自愛くださいませ。
今後も、Black Onyx [ブラックオニキス]を、どうぞよろしくお願いいたします。

P.S.
どれも駄作。真っ当なご意見であれば、それもひとつの評価。私の力不足に言い訳はしません。
(まぁ、実際に言われたら凹むのは必至ですが・苦笑)
しかし同時に、万が一「お気に入りの作品がある!」という方がおりましたら(……と、期待!)
あらためて、アンケートへのご協力を、よろしくお願いいたします。(※投票停止しました。)

●紗希のキャラ絵 →   
●彩香(本作:安藤)のキャラ絵 →  

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 彼女の膨れ上がった興味は治まる気配がない。
「私は、あなたの力の秘密が知りたい。教えて」
 そう言いながら、彼女は瞳を輝かせる。その光は、既に学校で見るそれに完全に戻っていた。涙も消えている。
 確かに私は彼女に比べて小柄だ。彼女は、その秘訣が知りたくて仕方がないのだろう。自分が負けることで、さらなる力を追い求めるのは珍しいことではない。
 しかし、私は首を縦には振らなかった。
「駄目だね」
 と、はっきりとした拒絶を示す。
「どうして?」
「映画の台詞にもあったでしょ? 『本当にいい刀は鞘に収まっている』って。知ってる?」
「……聞いたことがあるくらいかな。わかんないけど、意味は何となく」
 そう言って彼女は苦笑いする。それは、何となくすらわかっていないといった顔そのものだった。しかし彼女は、私の言わんとすることを必死で理解しようとしている風に見えた。無言のまま、じっと私の言葉に耳を傾けている。まるで大きな子どもだ。
 ふうっとため息を漏らす。私は一度、大きく息を吸い込み、
「理屈は自分で見つけるものだよ」
 と、厳しく言い放った。それから、
「そして、それには必ずルールが付き纏う。従えない人間には、教えても無駄」
 と付け加えた。私の唇を、彼女はただじっと祈るように見つめ続けていた。
 私はさらに言葉を紡ぐ。
「それができるなら、面白い遊びを教えてあげるよ」
「…………ルールがあるのに、面白いの?」
「ルールがあるから、面白いんだよ」
 最後の私の言葉を機に、彼女は黙り込んだ。何かをじっと考えている様子だ。
 
 沈黙の時間が続いた。すぐ側を流れている川のせせらぎだけが、場違いに穏やかだった。
 やがて彼女は、小さく頷いた。
「私……もっと遊びたい」
「そう」
「そのルール、教えてよ。私、ちゃんと覚えるから」
「決まりね。じゃあ早速、明日の昼休みから始めよっか」
「昼休み?」
「うん。学校で遊ぼ」


 彼女の瞳が明日への希望を湛えている。
 血溜りの中、私は彼女の頭をそっと撫でた。
 頭上を電車が通過していく。轟音が、私たちから音を奪っていった。



END

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「柳本……紗希、だよね。もう、邪魔しないで」
 そう言った彼女の声色はとても弱々しかった。身体を震わせ、拳を強く握り締めている。俯いた顔からは表情が読み取れなかったが、その頬を伝う涙は止め処なく零れているようだった。
 今の彼女からは、感情がはっきりと窺える。私はゆっくりと彼女に近づくと、
「いいよ」
 と、さらりと答えた。その回答が意外だったのか、彼女はその顔を私の方へと向ける。彼女の潤んだ瞳が、街灯の光を反射して煌いていた。彼女は高架橋下の柱を背凭れにして地面に座り込み、黙り込んだ。私もまた、彼女の隣に腰を下ろす。
 二人だけの世界が広がっていた。
 それを彩るのは、闇と血塗れの五人の男、そして時々風と光と音を運んでくる電車。それだけだった。
 肩を並べた私たちは、ただその空間に身を委ねている。
 彼女の瞳に、僅かな光を感じた。それをじっと見つめながら私は、
「でも、やっぱりこういうやり方じゃ駄目だ」
 と、彼女に釘をさす。
「どうして――」
 と声を荒げる彼女を制し、私はさらに言葉を連ねる。
「用意されたレールを、踏み外しちゃいけない」
「…………」
「そうならないために、頑張ってきたんでしょ? このままじゃ、いずれは――」
「……知ってる。だけど、止められないの……どうしても」
「わかるよ。あなたと私は、すごく似てるからね」
「え?」
 想像もしなかったことなのだろう。彼女の声は上擦っていた。
「どこが?」
 そう言ってずいと身を寄せる彼女は、先ほどとはまるで別人のようだった。私は苦笑し、一呼吸置いてから口を開く。
「溜まってるとこかな。優等生は疲れるでしょ?」
「…………」
「それでいて、男に負けない力がある。ただ、あなたはそれに加えて、現状への不満も感じてる」
 私の言葉を聞いて、彼女は自嘲するように息を漏らす。
「そうだよ。だから時々、何もかも滅茶苦茶にしたくなる。でも、あなたには勝てなかった。私はもう……」
 彼女はそこまで言うと、口を噤んだ。やり切れない彼女の思いがひしひしと伝わってくる。
 黙り込む彼女の様子を横目に、私は口を開いた。
「闘いはね、理屈でできてるの」
 唐突な言葉に、彼女は少し驚いた表情を見せた。
「理屈……」
 と、彼女は一度復唱したが、その顔は釈然としない。もちろん、こんな言葉で彼女に理解できるとは思わなかった。渋い表情を湛える彼女の顔を見ていると、自然と笑みが零れてくる。この無邪気さと真剣さが、彼女の良さでもあるのだろう。
「そう。まあ、大したことじゃないけど」
 私はそう言って誤魔化したが、彼女は私の意に反して、強い興味を抱いているようだった。

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 相変わらず彼女は力任せに、男の顔面に拳を振り下ろしていた。痣と血で、男の顔は原形を留めていない。ほとばしる鮮血は、彼女の拳を赤々と彩っていた。
 私はその様子を側で観察しながら、
「回復してきたね、その男」
 と、茶々を入れる。彼女は心外だとでも言いたげに、私に尖った眼光を向けた。
「さっきまでは、日本語もしゃべれなかったのに」
 私がそう皮肉混じりに笑うと、彼女はさらに憤った様子を見せた。
 跨った腰を下半身にまで持っていき、今度は男の腹を何度も殴りつける。しかし、彼女はそこでさらに怒りを増したようだった。
 居心地が悪そうに何度も腰の位置を変える彼女。顔を引き攣らせながら、じっと目を瞑っている男。彼女の腰の動きに耐え切れなくなったのだろう。男が勃起しているのは手に取るようにわかった。
 私は思わず声を上げて笑ってしまう。彼女は苛立ちを隠さず、男に冷眼を注ぐ。
「お前、ふざけてんの?」
「す、すいません……あの、すぐ……」
 そこで彼女の拳が男の腹に叩きつけられる。
「ぐふぅっ!……す、すみませ――すみ、……あぐうっ!」
 彼女は、男の腹を責め続ける。……腰を揺り動かしたままで。くねる彼女の臀部が、男の下半身を刺激し続けているのだろう。男は複雑な表情をその凸凹の顔に浮かべている。
「もう……ません。でも、あっ……。ゆる……あふうっ!!」
 ……最後に響いたのは嬌声だった。男の口から息が大きく吐き出されるのがわかる。それを察し、私は再び大声で笑った。頬を染めながら俯く彼女の表情からは、恥ずかしさと悔しさが窺えた。
 彼女の瞳は、既に感情を隠していない。表出した人間らしさが、私の心を和ませる。
 ――まぁ、男も本望だろ。
 形は違えど、射精という男の目的は果たされたことになるのだろう。それは実質的な彼女の負けを意味するものなのかもしれない。彼女はしばらく動きを見せなかった。私が横に立っても、彼女は無反応だった。
 私は男の喉元を静かに踏み付ける。くっと力を込め、その男も気絶させた。


 彼女は脱力し、両手を地面について項垂れた。
 玩具を全て私に奪われた。私がそう明言していたにもかかわらずだ。無理もない。
 彼女はふらりとその身体を持ち上げ、放心したように暗い空を見上げた。
 高架橋を渡る電車の光が、彼女を照らす。彼女の瞳から涙が頬を伝って落ちるのが見えた。
「……どうして? どうして取り上げちゃうの?」
 彼女がポツリとそう漏らす。私が黙っていると、彼女はさらに言葉を連ねた。
「どうして? ねえ。どうして私の……」
「――玩具を、かな? 悪い。本当は、助けようとしただけ」
「余計なお世話!」
「そうじゃないよ。助けたかったのは、両方。むしろ最初は、こいつらの方を救ってやろうと思った」
 私の言葉を聞いて、彼女は再度、項垂れた。

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「いい表情になったよ」
 そうからかう私を見つめる彼女の瞳には、ひとつの光が宿っていた。殺意と狂気の入り混じった凄まじい眼力だ。思わず口元が緩む。全身を揺さぶるようなその刺激が心地良い。
「殺す……」
 彼女がポツリと呟く。小さな声だが、その語気は強い。身体を微震させながら息を荒げ、相変わらず鋭い眼を私に突き刺してくる。ようやく人間的な一面を見せた彼女が可愛らしく思えた。
 できることなら、そんな彼女の様子をじっと見ていたかった。冷たくて熱い不思議なこの感覚に、じっと身を委ねていたかった。しかし、それすらも叶わないことがわかり、私は失望から肩を落とす。血塗れになった男が二人、彼女の背後に立っているのが見えたからだ。
 覚束ない足取りだ。それでもなお、彼女に一矢報いようというのか。彼らは各々の手に大きな石を握っていた。切れた息を殺しながら、震える手で石を掲げる。その執念深さには感服する。
 彼女の視線は、もはや私しか捉えていない。当然、背後の気配に気付いているはずもない。
「そう。それは怖いね」
 と、彼女を挑発してみせるが、私の意図するところより、男たちの行動は早かった。
 
 二人の男の手が振り下ろされる。少し遅れて、彼女が私に突進する。
 寸での差ではあったが、この時点で彼女は、男たちに一本取らせることになっていただろう。
 
 ――惜しかったな。
 私は、男たちが振り下ろす力を込めた瞬間に猛進した。するりと彼女の背後に回り、一人の男の喉元に手刀を叩き込む。同時に、もう一人の男の鳩尾に肘を捻じ込んだ。二人は呻き声とともに白目をむき、ドサリと地面に倒れ込んで痙攣する。口から吐瀉物を吐き、男たちは失神した。
 私がくるりと向き直った時、その足を止める直前の彼女の姿が瞳に映った。
 何が起こったのかわからない、といった様子で目を白黒させる彼女が愛らしい。私は微笑し、目を少し細めながら、
「相手が違うでしょ?」
 と、彼女を窘めた。それが癪に障ったのか、彼女は再度、私をキッと睨みつける。私もまた、同じように彼女をじっと見据えた。彼女の動きが少し怯むのがわかる。
「また二人、私が奪っちゃったな」
 私がそう言葉を重ねると、彼女はとうとう顔を真っ赤にしてその怒りを表現した。

 残った二人の男は既に虫の息だった。彼女はそのうちの、仰向けに倒れている方の男の腹に馬乗りになると、その怒りをぶつけるように顔面を何度も殴りつけた。
 血飛沫が舞う。男の顔がみるみるうちに腫れ上がっていく。
「や、やめ……やめ……」
 と、男が縋るような目で彼女を見る。しかし、彼女はそれを意に介していないようだった。
 打ち据える彼女を横目に、私はもう一人の男に目線を注ぐ。手足が効かないのだろう。芋虫のように地面を這い、徐々に遠ざかっていく。必死だ。額には汗が滲んでいる。
「悪いね」
 そう声をかけ、私は腰を浮かせた男の睾丸を、後ろからローファーで蹴り上げた。鈍い音。男は絶叫し、股間を押さえて倒れ込んだ。念のため二、三度追撃を加える。男の口から泡が溢れ出すのを確認し、私は彼女の元へと急いだ。

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「邪魔だよ」
 開口一番、彼女は無邪気な声で私にそう呼びかけた。
 猫背の姿勢。俯いたまま小首を傾げ、不規則に身体をゆらりとなびかせている。
 流れゆく電車の光が断続的に彼女の顔を照らし、その表情を私の前に映し出す。その時、私の予想は確信へと変わった。彼女が正気でないことは間違いない。
 ――そう。瞳だ。
 狂気を携え、光を灯していない。墨をベタ塗りしたような独特の色がそれを覆っている。口元にはうっすらと笑みが浮かんでいるが、彼女の瞳は決して笑ってはいない。
 戦慄とは違う。しかし、その瞳に漂う妖気は確実な冷媒となって、私の内部へと侵入してくる。
「どいて」
 再び発せられた彼女の口調は淡白だった。しかし、そこには明らかな敵意が窺える。
 垣間見える鋭い感情が私を襲う。それは怒りでも、憎しみでも、苛立ちでもない。例えるなら、玩具を取り上げられまいと必死になる子どものような感情、……だろうか。
 電車が高架橋を通過し、再び辺りを闇が覆うまでの間に、彼女は私の目前へと迫ってきた。
 ――速いな……
 私は片足を半歩後ろに下げ、身構える。しかし、彼女の視線は私に向けられてはいなかった。彼女が下目遣いに見ていたのは、私の足元に転がった一人の男だった。
 ――私は眼中にない……か。面白い。
 思わずクスッと笑みを零し、構えを解く。彼女は男に手を伸ばし、金に染められた髪を掴み上げる。
「ひぇ……ひっ、ひぃ……」
 と、男は胃液を撒き散らしながら涙声を上げる。彼女は口元にわずかな笑みを湛えると、少し大きく、尖った石に向けて、男の頭を勢いよく振り下ろした。
「がああああっ!」
 男は悲鳴を上げ、意識を失った。血飛沫が闇に舞う。その瞬間、彼女の瞳がすっと私に向けられた。思い通りにいかなかったことが不満だったのだろう。
 無理もない。トドメという名の最高のエンディングを、あっさりと私に取られたのだから。
「やっと、こっち見てくれたね」
 私が茶化す。しかし、彼女は笑うことなく、
「どういうつもり?」
 と、強い語調で私を問い詰める。
 相変わらず無機質な瞳ではあったが、そこからは沸々と込み上げる怒りの感情が読み取れた。誰だって、お気に入りの玩具を取り上げられたら憤りを覚えるものだ。それでいい。
 彼女は壊れた人形に興味をなくしたのか、投げ捨てるように男の髪から手を放した。
 男は、石の上に乗せた私のローファーの上を滑るように、地面に崩れていった。男の血が私の足を赤く染める。石にぶつけられなかっただけでも有難いと思ってほしいものだ。
「聞きたい?」
 私は、彼女の漆黒の瞳をじっと見据えながらそう問うた。彼女は黙っていた。ただじっと私を見つめ、身体を小刻みに震わせている。その様子を見ながら、私は再度、口を開く。
「奪っちゃおっかなぁ、って」
 その言葉を機に、彼女の瞳が鋭く閃く。それは、彼女の怒りの感情を明確に表すものだった。

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 歩を進めるたびに、足元の砂利が音を立てた。
 人影たちの表情はまだ暗くて見えないが、穏やかではない雰囲気は先ほど以上に鮮明に、臨場感をもって感じられる。
 男女の絡み合い、と言ってしまえばその通りだ。ただひとつ違うのは、それが私の胸を高揚させるものだということだった。それは、闘いという名の絡み合い。
「っだ、コラてめオラ!」
 そう嘶いた男は、次の瞬間には腹を抱えて膝をついた。顔を地面に埋め、身体を丸めて痙攣を始める。喉の奥からゴボゴボと濁った音を立て、吐寫する。
「ンメとぅんかおぉ?」
 威勢の良さに反し、男は女の拳をまともに顔面に受ける。鼻から血液が噴き出す。男は痛みと驚きからか、悲鳴を上げながら倒れ込み、地面をのた打ち回る。
 まだ無関係だと割り切っているつもりだった。しかし、私の目線は思った以上に正直だ。目の前の光景をじっと捉え続けている。勝敗の明らかな、一方的な女の暴力を――
 風に運ばれてくる芳しい血の香りが鼻腔をくすぐり、私に安堵を与える。
 気付けば私の足はさらに、前へ前へと進んでいた。彼らとの距離が徐々に縮まっていく。いつしか目も慣れ、今や、闇の中に浮かぶ顔たちは、ぼんやりとその個性を捉えられるほどになっていた。
 ふいに、私の目がそのうちの一人に留まる。女だ。同時に、私の固定観念が吹き飛ばされる。
 ――安藤……さん?
 知った顔だった。身に着けた制服のブレザーもスカートも、私と同じものだ。
 わずかに動揺を覚える。この惨状と彼女のイメージが決して相容れないものだったから。
 特に親しい間柄ではなかったが、彼女の評判は学園中に広まっている。人当たりもよく、明朗活発。先生からも信頼されている人物だったと思う。簡単に言えば、目立つ存在だ。
 才色兼備が服を着て歩いている、とはよく言ったもの。あらためて彼女の姿を見ていると、それがよくわかる。
 容姿端麗で背が高い。風になびくロングヘアの隙間から、色白の顔肌が覗く。自然な紅みを帯びた唇がアクセントとなり、彼女の顔立ちのバランスの良さを際立たせている。その彼女が、今まさに――
「ぎぃああああっ!」
 脚を大きく振り上げ、男の顎を蹴り上げている。悲鳴を上げた男は宙を舞い、ドサリと地面に崩れ落ちる。日本語を話さないのは相変わらずだと皮肉りながら、私は思わず笑みを零す。
 ――わからないものだな……
 次々と男を地に沈めていく目の前の女を見ながら、私は心が安らいでいくのを感じていた。
 胸が高ぶる。彼女のこの「裏の顔」をもっともっと見てみたい。ずっとこの感動を味わっていたい。心からそう思った。しかし、それが叶わないということも、私にはよくわかっていた。
 なぜなら、彼女が正気でないことは、争いが始まった頃から既に予想がついたことだったから。
 もはや戦意を失い、呻き声すらまともに上げられなくなった男たちに向けて、彼女は容赦なく追撃を加える。馬乗りになって顔面を殴りつける。蹲った男の全身を執拗に蹴り続ける。大の字に倒れた男の身体を踏み付ける。睾丸を蹴り上げる。そこに躊躇は微塵も感じられなかった。
 ――義理は無いけど。
 私は一度、深呼吸をした後、制服を血で染め上げた彼女の方へゆっくりと進んでいった。

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 高架橋を揺るがし、電車が線路上を流れていった。
 闇へと消えていくそれを目だけで追い、再び帰路へと視線を戻す。
 敷かれたレール――。そう訊かれたら、真っ先に自分の人生を想起し、哲学する。凡そ常套思考とはそういうものだ。ただ、私には馴染まない。現実味を伴わない。それだけのこと。
 自分の可能性を、とか、自分の道は自分で決める、などといった偽善的な話は苦手だ。盗んだバイクで走り出すなんて馬鹿らしい。レールを悪とし、それに抗ったり、反発したりすることに意味なんてない。だから、それを跳ね返す必要もなければ理由もない。もちろん、そんな力もない。
 私は麻美大嶋学園のエスカレーターに乗って高等部へ進学する。私が望むにせよ、望まないにせよ、その結果は変わらない。それでいい。だから、こんなことを考えていること自体がおかしい。
 自嘲し、闇を照らす街灯を頼りに歩を進める。少し強い風が、ひらりと私のスカートを捲り上げた。
 変わらない道。いつもと同じ風景。すれ違う様々な顔ぶれも見慣れたものばかりだ。
 足早に無言で歩く大学生らしき男や女。手を繋いで歩くカップル。赤い顔でしきりに何かを叫ぶ、覚束ない足取りの中年サラリーマン。それを宥める部下らしき男。地べたに座り込んで自分たちの弱さをアピールする、馬鹿そうな男のむさ苦しい群れ。
 ため息を吐き、再び流れる電車を目で追う。
 ふと視界の隅に違和感を抱いた。足を止め、視線を何気なく高架橋の下へと移動する。
 闇が深い上に、距離がある。じっと目を凝らしても、確認できたのはせいぜいその人影の輪郭と性別くらいだった。一人の女と、それを取り巻く五人の男。女は身体を小刻みに震わせている。同い年くらいだろうか。間もなく、男たちの下品な声が耳に届いてくる。珍しくもない光景だ。
 ――関係ないな。
 私は再び、歩みを進めた。
 あの種の男たちは例外なく、何かと下品に騒ごうとする。彼らは日本語自体が話せないのだから無理もないが、まともに異性と話もできないのは哀れなことだ。それには同情する。己の欲情の虜になり、捌け口が見つからず、結果、本能的に力と下半身で会話をしようとする。……惨めだ。
 男たちの猥声を横耳に聞きながら、私は帰路を辿る。女は抵抗しているのか、男たちのそれは次第に怒声へと変わっていった。無理もない。日本語の通じない彼らにとっては、言葉が鬱陶しくて仕方ないのだから。彼女の一握の声が響く。それすらも、電車の運ぶ音が見事にかき消していく。いかにも現実らしいと思えた。そして、再び舞い戻ってくる男と女の声。
 そこで、私はひたりと足を止めた。女の悲鳴と、男の愚劣極まりない声――そういった音が耳に届いてくるものだとばかり思っていた。予想を裏切る音たちに興味を抱き、再び、人影たちの方へ目線を注ぐ。
 ――面白い。
 素直にそう思った。
 退屈な日常を少しでも潤す非日常に惹かれてしまったのかもしれない。
 血が凍り、全身が微震を始め、口元に笑みが零れてくる。こんな風に胸を刺激されるような感覚は久しぶりだ。感情が揺さぶられる。身体が疼く。高ぶるエネルギーを抑えきれない。

 ――助けてやるかな。…………あの男たちを。
 
 私は小走りで高架橋の下へと向かった。

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suzuroさんより、またもやスケッチブックをご提供いただきました。
多大なご協力に、感謝の念が尽きません。suzuroさん、いつも本当にありがとうございます。
※画像をクリックすると、拡大します。携帯の人はこちら→ 1 2

    
suzuroさんコメント…
 秋冬はブーツの季節。ということで、ブーツ絵です。ボンテージって絵になりますよね。
 花をつけた女性は、ブリトニーのイメージです。見ずに描いたら、想像以上に似ませんでした(笑)
 オリジナルの女性絵を、何となく描くのが好きなのです。
ryonazコメント…
 美麗で残忍。可憐で清楚。どちらの女性も魅力的です。描く度に変わる絵柄には、いつも驚かされます。

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●ヒャッコ カトウハルアキ [フレックスコミックス]
 1巻:腹にパンチ、胃液、白目、気絶

●きょにゅう・刑事 ハットリユカコ [講談社]
 腹にヒップドロップ

●聖・ドラゴンガール 松本夏実 [集英社]
 5巻:腹に肘打ち
 〃 :腹に蹴り

●女お仕置き人M 紅迫春実 [小学館]
 1巻:腹に蹴り、胃液
 〃 :腹にパンチ(?)
 2巻:腹にパンチ(?)、胃液


※注
 ・全て女から男への腹責めです。
 ・記載したキーワードは全て、私の見た限りの独断です。
 ・逆リョナ情報をお持ちの方は、ぜひお寄せください。
  (尚、「逆リョナ@wiki」に掲載する情報は、匿名をデフォルトとさせていただきます。)
  → ◆逆リョナ@wiki [ Gyaku-Ryona@wiki ]
つい先日まで夏だと騒いでいた気がします。気付けば、いつの間にやら随分と涼しくなっていました。
そのうちまた、あっという間に冬がやってくるのかなぁと、光陰矢のごとしを肌で体感しています。

本作は、ガーディアンセンター世界における一場面です。
シリーズにすることは前々から予定しており、設定自体は、ほぼ出来上がっています。
……やはり、私の頭の中だけで、ですが(苦笑)
前作では、たくさんのご感想や拍手を頂き、とても嬉しく思いました。
本作も、お楽しみいただけていれば幸いです。

小説目次に「小説:その他」を追加しています。
寄贈小説は、他サイト様に差し上げた作品です。
それ以外は「ぼんやりとした歪な脳内イメージ」を具現化したものが主です。日記ではありません。
内容はサイトコンセプトに関係するものだけではありませんので、ご了承くださいませ。
他サイト様に提供させていただいた作品もこちらに掲載しています。よろしければご覧ください。

アンケート(※現在停止)へのご回答やご意見・ご感想を頂きまして、誠にありがとうございます。
こちらは、基本的に返信しないつもりでいます。思いの丈など、ご自由にお書きいただければ幸いです。
(※投票停止しました。)
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今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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 男の足が止まることはなかった。
「鬼さんこちら――」
 女性の声に反応し、男はその声の聞こえる方へと身体を向ける。
 男からは既に、人間的な思考力や判断力というものが抜け落ちてしまっているようだった。
 女性の声と手を叩く音だけに反応し、ただがむしゃらに向かっていく。それは、あくまでも本能的な行動であろう。男の足取りは頼りなく、とても走っているようには見えない。とにかく遅い。
 女性は楽しそうに手を叩いては、迫る男の脇を器用にすり抜け、また逃げる。その表情は実に柔和で、温かかった。まるで我が子をあやす母親のようだ。
「ほら、あんまり急ぐと転んじゃうよ」
 女性がそう言葉をかける。しかし、今の男にとってのそれは、もはや「音」でしかないのだろう。くるりと音の聞こえた方へと向き直り、また足を動かす。女性は手を叩きながら、
「あなたが力尽きるまで付き合うからね」
 と言って、朗らかに笑う。
 そこに込められた意味も、おそらく今の男には理解できていない。
 男は言葉を発しない。時折、呻き声のようなものを上げ、音のする方へと足を向けては、ゆっくりと進んでいく。身体中を血で染め上げ、目、鼻、口、肌など、至る所から未だに血を滴らせて。その姿は実におぞましい。
 女性はそんな男を、愛でるような瞳で見つめている。この鬼ごっこを、心底楽しんでいる様子だった。
 この狭い地下室の中で、鬼ごっこは延々と続いた。
 相変わらず人工光だけが、そんな二人の様子を照らす。
 男は蠢き、見えざる者を追いかけ続けた。壁にぶつかっては倒れ、足を絡めては倒れ、咳き込み、吐血し、それでも足を動かした。

 そして男は倒れた。

 女性が男の側に立つ。その瞳は、慈愛に満ちていた。
「あなたは最初から、鬼になんてなれなかったんだよ」
 意味深な笑みを零す。妖艶な瞳の輝きだった。
 女性は男の頭部を足で捉え、高く振り上げる。そして――
「さよなら」
 ……グシャッという音が地下室を包み込んだ。
「脱走者。区分ナンバー"D-EAD-5502"。処理終了」
 そう報告した女性のブーツの底は、男の喉を完全に踏み潰していた。
 男の口から大量の鮮血がほとばしり、女性の黒いブーツを赤く染め上げた。白目をむいて絶命した男の顔を、女性が、しばしじっと見下ろす。
「D-EAD-5502。DEAD――死……」
 女性は床に膝をつき、両手でその顔を包み込んだ。
 静寂の時間。
「最初から死ぬ運命だった人」
 口付けた唇を、男の血が紅く彩った。



END

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 かくして男は、左手に加え、両目をも失った。当然、右手も無傷ではない。
 崩壊寸前にある今の男の頭には「希望」という文字など浮かびもしないであろう。
 男の目にはもはや、ほのかに閃き続ける人工光も届かない。ただでさえ、力の差は歴然だったのだ。目から光を失ってしまっては、女性からイヤリングを奪うことなど到底できそうもない。
 もちろん、義手・義眼など、現在の医療制度をもってすれば、男の治療は容易なことである。ただそれは、ここを生き延びられさえすれば――つまり、女性のイヤリングを奪えさえすれば、の話だが。
 男は床の上に身を横たえていた。生きていることだけはわかる。その様子はまさに、生ける屍のようだった。感情が見えない。そもそも、何かを感じているのかすらもわからない。言葉を発することもなければ、身体を動かそうとする様子もない。ただ、かすかな呼吸の音だけが、彼が生きているということの唯一の証明だった。
 今の男は、まさに死を待つ者でしかなかった。
 対する女性は男の方を見ることもなく、返り血で赤く染まった身を優雅に動かしていた。まるで、男の存在自体を忘れてしまったかのような振る舞いだ。
 特に何かをする風でもなく、そうかと言って退屈している様子でもない。
 ただ、目的が見えない。自由に地下室を歩き回っているのだ。
 時々、息を大きく吸い込んでは恍惚にも似た表情を浮かべている。血の匂いに酔い痴れているのであろうか。そんな異様な光景の中で、時間だけが流れていった。
「ねぇ」
 と、唐突に女性が口を開く。しかし、男は何の反応も示さない。
 もしかしたら男は、死の時刻がようやく訪れたと思い、それを悦んでいるのかもしれない。もちろん、男の様子からはそういった感情は全く読み取れないが。しかし、女性がさらに、
「早くしてよ」
 と静かに言葉を重ねたことで、男はわずかな反応を見せた。足の指先が動く。汗が額にじわりと滲む。女性はそこでようやく男に目を向け、彼を中心に弧を描くように歩き回った。そして、
「足は動くし……まだ片手も使えるよね……」
 と、ポツリと呟く。男の呼吸が乱れる。
 やがて女性はピタリと足を止め、意味深な笑みを零す。その視線は、今や男をしっかりと捉えていた。
 男は相変わらず動きを見せない。思考力があるのかすらわからない。したがって、女性の言葉の意味するところを理解しているのかもわからない。しかし男は、確実に女性の言葉に反応している。男の耳に、女性の声が届いていることだけは明らかだった。
 女性はじっと男を見据えながら「知ってるよね?」と前置きした後で、
「鬼ごっこは、自分が捕まったら鬼になる。相手を捕まえたら、相手が鬼になる。その繰り返し」
 と、言葉を紡ぐ。男は横たわったままだ。
「つまり、この遊びに終わりはないの」
 女性の声に反応するかのように、男の呼吸がにわかに荒くなっていく。額の汗が塊となって床に落ちる。言葉はなくとも、それが彼の冷汗三斗の思いを如実に物語っていた。
「……永遠に続く。そういう遊びなんだよ」
 語りかけた女性の口元に、冷やかな笑みが浮かぶ。
 少し間を置いてから、女性は深く息を吸い込んだ。瞳に凛とした輝きが宿る。そして、強く厳しい口調で、
「立ちなさい!」
 と、言い放った。それに呼応するように、男の身体がビクッと大きく跳ねる。女性が再度、
「立て!!」
 と命令した時、男はその身体をゆっくりと持ち上げた。ふらつく足取りで、ゆらりと身をなびかせて。
 まるで、行き場がわからずに彷徨う、亡者の霊のように――

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 男の絶叫が地下室いっぱいに響き渡っていた。
 既に左腕を庇う動作は見られない。痛みが消え、縦横無尽にのびのびと床の上を跳ね回っているようにすら見える。しかし当然、そうではない。床を転がり、のた打ち回り、身体を丸めては仰け反らせる。その奇怪な動きは、他の痛みを超える更なる痛みが、女性から男に齎されたことを意味するものに他ならなかった。
 男は右掌で自分の右目を覆っていた。指の間からは血液が溢れており、男の右手は赤黒く染まっている。それでも尚、出血が治まる気配はない。身体を不規則に跳ね回らせながら、男は枯れた喉から声を絞り出し続けた。
 白一色で囲まれていた地下室は、今やその大部分が赤黒く塗り潰されていた。
 女性は立ち上がり、着色されていくこの部屋と男の奇妙な動きを、ただ無表情のまま見つめていた。
 

 ――絶好のチャンス。
 先ほどの瞬間を男がそう見たのは当然だった。
 女性と自分との顔の距離は限りなくゼロに近い。女性の瞳には優しい光が灯り、その身体は自分を包み込むように密着している。唯一使える右手は女性の死角にあり、女性の着けているイヤリングの位置は左側だ。――今しかない、と。
 それを好機と見た男に対して「間違っていた」とは、誰にも言えないだろう。
 女性が再びその顔を男に近づける。男が、女性のイヤリングと自分の右手の位置を確認するように、それぞれに目を遣る。女性の顔がさらに男に近付く。接吻の時を待たず、男が右手に力を込める。
 そのわずかな瞳の揺らめきを、女性は見逃さなかった。
 男の視線がイヤリングへと移行すると同時に、男の右手がそこへ伸びていく。その時男は、自分の視界の端に確かに映っていたはずの、女性の吊り上がる瞳に気付かなかった。いや、正確には、気付いた時にはもう遅く、次の瞬間には見ることができなくなった、と言った方が適切かもしれない。
 女性が突き出した左手の人差し指は、男の右目の中に吸い込まれるように深く入っていった。
 しなやかな指は凶器へと姿を変え、男の右目の角膜を破り、眼球の中身を破壊した。水晶体にまで到達した指は眼房を突き破っており、そこから眼房水が勢いよく噴き出した。それはやがて大量にほとばしる血液によって覆われていった。
 男の右目から光が失われた瞬間だった。絶叫し、身体を大きく跳ね上がらせる。しかし女性はその手を引かない。男の眼球内を堪能するかのように指先を動かし、しばらくその内部を抉り続けた。男は痛みと恐怖が混濁したような声色で叫び、女性は無感情に指を動かす。
 女性の指がようやく男の右目から引き抜かれた時、男は床の上を狂ったようにのた打ち回った。
 イヤリングは、男の血液を浴びてもなお、煌びやかな輝きをもって女性の左耳を飾っていた。


 つかつかとピンヒールがリズムを刻む。その音を妨げるように、男の絶叫が響く。
 女性は男の前でその足を止めると、右足で男の髪を踏み付けてその動きを封じた。怯えを隠さない男を見下ろしながら、左足をゆっくりと持ち上げる。そのヒールの先は、男の左目を捉えていた。
 女性が微笑を湛える。次の瞬間、再び男の断末魔の声が、地下室を覆い尽くした。

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 男の左腕は、もはやその機能を失っていた。
 女性がようやく右足の動きを止め、左足を上げて男の右手を解放した時、彼は反射的に左腕を覆うように体全体を丸めた。全身で左腕を庇いながら、呻き、咳き込み、しゃくりあげるような音を断続的に鳴らしている。その肩は大きく震え、痛々しいほどの恐怖を湛えている。先ほどまでの戦意は、もはや欠片すら見られない。彼の見せる背中は、あまりにも弱々しいものだった。
 呼吸を少しだけ乱した女性が、
「痛い?」
 と、淡然とした口調で問いかける。女性は未だ、男を跨いだままだった。
 男には到底、その問いに答える余裕などないのだろう。さらに身体を小さく丸め、震え続けている。女性はそんな男の様子を楽しげに見つめながら、その背中を容赦なく蹴り上げた。
「ぐっ!」
 小さく男が呻く。転がる身体を留め、再び左腕を庇おうとするが、それは叶わなかった。
 男が仰向けになった隙に、女性が男の腹の上に腰を下ろしたからだ。
「あ……あぅ……」
 心許ない声とともに、男は無意識にか自分の左腕に目を遣る。それから視線を女性へと戻し、
「も、もう……許してください」
 と、泣きつくように言葉を発する。何と発音しているのかすら聴き取りづらいほど、男の声は潰れきっていた。縋るような視線を投げかけている男の凸凹の顔を見ながら、女性は柔らかい笑みを零す。
「あなた、よく見ると可愛いよね」
 女性から放たれた言葉が意外だったためか、男の表情に動揺の色が浮かぶ。女性の瞳には妖艶な光が灯っていた。自分から少しだけ目を逸らす男の頬を、彼女は優しく両掌で挟み込む。そして、
「悪くないよ」
 と男の耳元で囁き、接吻した。
 あまりにも唐突だった。男の瞳が動揺の色を濃くする。彼が再び視線を女性へと向けた時、彼女の頬はわずかに紅色に染まっていた。男はそんな女性の魅惑と接吻による快楽に酔い痴れていくように、次第にその瞳の色を変えていく。彼はいつしか、その顔に恍惚の表情を浮かべていた。
 無音の世界が広がっていった。
 女性は唇の感触を味わうように、男の口を自分の口で包み込む。唇を擦り合わせる。舌を男の口腔内に挿入する。舌を絡める。男の瞳が次第に虚ろになっていく。
 盲目の絡みは続いた。
 いつしか女性は、男に跨っていた身体を少し横へとずらし、指先で男の首筋に触れた。息を漏らし、男は身を捩る。女性のしなやかな手は男の全身を柔らかくなぞり、やがて下半身へと到達する。
 男のモノは肥大化していた。
 女性がその手でそこをそっと包み込むと、男は敏感な反応を見せた。柔らかく擦る女性の手に呼応するように、男は身体を痙攣させ、喘ぐ。
 やがて男は果てた。吐き出された白濁液が下腹部を汚し、幾滴かが床へと零れた。
 唇と唇が離れる。同時に、二人の息遣いだけが、無音の世界を断つ。
 瞳と瞳がぶつかり、男はまた動揺の色をその表情に湛える。放心したように視線を外す。
 その時、男の切れた瞼が大きく開かれた。目に映るそれを凝視し、男は喉を鳴らした。

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 鈍い音が地下室を覆った。
「ぎぃやあああぁっ!……うぁ、……がああああぁ!」
 間もなく、男の断末魔の声が部屋全体に響き渡る。その勢いで男が瀉血する。
 女性の足はまっすぐに、男の折れた左腕へと伸びていた。同時に、男の背後にあるシェルターの壁が軋み、音を立てる。
 男の左腕は、女性が放った蹴り足とシェルターの壁に挟まれ、完全に押し潰されていた。
「はあっ……かっ……」
 男は声にならない声を必死で絞り出そうとしているようだった。折れた部位を追撃されたことによる苦痛は、男にとって想像を絶するものだったに違いない。擦れた息音だけが空しく喉から吐き出される。
 顔面を床へ押し付けるようにして、男は崩れ落ちた。男の顔周りの床には、じわじわと血溜まりができていった。
 間髪入れずに、女性は足で男の身体を押すように蹴って仰向けにさせる。
 男の顔は腫れ上がり、諸所が切れていた。口鼻からは血が流れ、既に原形を留めていないと言ってよいほど歪んでいる。加えて、先ほどの折れた左腕への追撃がよほど堪えたのだろう。男の開ききらない目は涙で覆われていた。
 しかし女性は、攻撃の手を止めるどころか、緩めるつもりもないらしい。彼女の瞳の煌々とした輝きが、その意思を明確に示していた。
 女性は、男と目線がしっかりと合う位置へと身体を動かす。頭の向きが二人同じになる。男の顔を見下ろしながら、女性は男の身体を跨いだ。突如、男が身体をビクッと反応させる。とっさに左腕を庇おうと男が動かした右手の掌を、女性は左足のピンヒールで突き刺し、押さえ込んだ。
「うあぁっ!」
 と、男が悲痛な声を上げる。右掌から血が滲む。
 女性は「ふふっ」と声を出して笑うと、既に力の入っていない男の左腕の方をじっと覗き込む。男は女性の行為を予測してか、全身を大きく震わせ、
「や、やめ……やめ……」
 と、断片的な言葉を放つ。大量の脂汗が男を包む。しかし女性は、男の心境を全く意に介していないようだった。嬉々とした表情を顔全体に浮かべ、再び、折れた左腕を執拗に足で責める。
「うあっ……っがあああああっ!……ぐっ、ああああっ!」
 男の声はすっかりしわがれてしまっていた。
 女性は、男の表情とその左腕を交互に見ながら、その足で左腕だけを徹底的に痛めつけた。女性は恍惚の表情を浮かべており、継続的に流れる笑い声は嬌声にも似ていた。
 ピンヒールブーツの爪先で、裏で、踵で――踏み付け、踏み躙り、突き刺し、抉り、嬲り、弄び――
 男の絶叫が鳴り止むことはなかった。
 彼の左腕は全体的に肥大し、赤みと青みの混じった奇妙な色へと変わっていく。さらに歪みを大きくしていく腕が、骨折部の増加を物語っている。諸所から鮮血が溢れ、その数も時間とともに増えていく。例えるなら、ゾンビの腕のよう、であろうか。今や男の腕はおぞましい物体へとその姿を変えていた。
 苦痛に加えて、狂気を湛えた女性の瞳、そして刻々と姿を変えていく自分の腕の恐ろしさもあろうか。
 男の悲鳴は恐怖を極めたように、限りなく本能に近い声色となって、この密室に反響し続けた。

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 必然の結果だと言ってしまえば、元も子もないかもしれない。
 ただ、この闘いが男にとって不利なものであることは、誰の目にも明らかだった。
 ガーディアンシステムの確立したこの完全な管理社会にあっては、全ての面において男が女に劣るのは当然のことだった。理由は、この社会のもつ女性上位の性質の影響が大きいからである。

 システムに反対する男たちもいたが、それは叶わなかった。
 実質九割を占める男性過多の社会状況。男の欲求不満ゆえの強姦事件の頻発。
 女性と人類の保護という大義名分を前に、反対派の抵抗はあまりにも説得力を欠くものだった。

 かくして成立したガーディアンシステムは、女性優位の不平等社会を着実に作り上げていった。
 女性は生まれた時から手厚い保護を受けながら教育を受ける。そして、成長に伴って住居区に移り住むことができる。そしてそれ以降は、いろいろなシステムサービスが与えられる。一方、男はセンターの敷地内から出ることすら許されていない。システムサービスを受ける自由などもない。
 つまり、これだけでも三つの男女不平等が成り立っているのである。
 一つめは、教育の違いによる知的レベルの差。
 二つめは、居住する環境の違い。住居区で太陽の光を存分に浴びて育つ女性と、センター内の人工光のみで育つ男性の発育の状態は、決して同じではない。
 三つ目は、システムサービスの有無。男がセンター内授業の体育だけで身体を鍛えるのに対し、女性は希望次第であらゆる運動ができる。女性が学べることの中で、特筆すべきは格闘技だ。空手、拳法、合気道、柔道、剣道、その他。様々なジャンルの武術を学ぶ機会が、女性にのみ与えられている。
 そして、この女性には格闘技の心得があった。身体こそ妖艶でしなやかであったが、内に秘めているものが違いすぎる。仮に、先の二つの条件を抜きにしても、この二人の差は最初からあまりにも大きかったのである。


 男は昏倒寸前だった。
 項垂れ、壁に身体を預けたまま、座るような体勢で腰を地に着けていた。
 手はダラリと垂れ下がり、足は前に放り出されている。身体中に傷痕や痣ができ、口からは相変わらず鮮血が零れていた。先ほど女性の蹴りを受けた左腕の一部が、不自然な形に曲がっている。いや、関節がひとつ増えているかのようだ、と言った方が適切かもしれない。男は骨折していた。
 そんな男の様子を見て、女性は瞳を輝かせていた。口元を妖しく歪め、舌をチロリと覗かせる。息も少し荒くなっているようだった。それはおそらく疲労からではなく、興奮によるものなのだろう。女性の艶然たる表情が、それを明確に物語っていた。
 女性はヒール音を奏でながら、ゆっくりと男に近付くと、
「今度は、また私が鬼かな?」
 と、子どもっぽい声色で問う。男の口がわずかに動く。何かを伝えようとしているようだが、そこから音が出てこない。女性の目尻がにわかに下がる。まるで、か弱い小動物を愛でるような瞳だった。
 女性の脚が、静かに持ち上げられた。

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 男の身体が痙攣を始める。しかしそれでも、傷だらけの両手はゆっくり床へと伸びていく。
 目尻、口元、鼻、頭部。諸所から流れる血液が、腫れ上がった男の顔を覆っていった。
 わずかに身体を持ち上げた男の両腕は、小刻みに震えている。表情を歪め、必死で両腕に力を入れている様子だった。
 女性は既に、そんな男の姿を見てすらいない。上目遣いに自分の前髪を覗き、指先で軽く梳いている。ようやく男が猫背の姿勢で立ち上がった時も、女性は視線をそちらへ向けようとはしなかった。
「ぐ、おおおあっ!」
 奮起したように声を絞り、男が再び女性に向かって突進する。女性は男に目を遣ることもなく、その体当たりをするりとかわす。苦笑し、
「それはさっきやったでしょ?」
 と、窘めるように声をかける。男は憤怒し、今度はがむしゃらにその腕を大きく振り回す。
 女性はその時になって、ようやく男を見る。そして、
「今度は、あなたが鬼になったみたいね」
 と微笑しながら、向かい来るその腕を手の甲や掌で弾いて逸らしてみせる。
「観客も悦ぶと思うよ」
「うるせーんだよ! おらああぁっ!」
 完全に頭に血が上っているのか、男からは既に言葉遣いへの配慮は見られない。女性にも、今やそれを気にしている様子は見られなかった。ただ涼しげな表情を浮かべ、男の拳を軽々とかわしている。
「やっぱり、動作も鈍いね」
「くそっ……、くそ、おおぁっ!」
「もしかして、もう息切れ?」
「……っかに……、馬鹿に、す……すんじゃねぇっ!」
「そう。じゃあちょっとだけ、力入れるね」
 言いながら女性は、男の両手首を難なく掌で捕らえる。男の動きが止まる。女性が両掌にじわじわと力を込めていくにつれて、男の顔が青ざめていく。やがて男は絶叫した。女性が両手から力を抜いた時、男は弾かれたように互いの腕を庇って蹲った。
 男に苦悶の表情が浮かぶ。いつの間にか、男の両手首は真っ赤に変色していた。
「弱々しい身体……」
 女性が男を挑発する。
 男は鼻息を荒くしながら、今度は大振りの蹴りを放つ。しかしながら、それは到底、蹴りと呼べるようなものではなかった。強いて言えば、舞踊であろうか。当然それも、女性の前では何の効果も為さなかった。彼女は「ふうっ」とため息をつくと、
「大体、闘い方がなってないよ」
 と、呆れ返ったような口調で言う。そして――
 …………突如、男の表情が恐怖の色へと変わる。次の瞬間には、再び男は宙を舞っていた。
「蹴りはこうやるの」
 と小さく呟き、女性はその足をゆっくりと地につけた。その笑いの混じった声はおそらく、吹き飛んだ彼の耳には届いていなかったことだろう。
「ぐはああぁっ!」
 男の悲鳴が、またも狭い地下室に木霊する。
 シェルターの壁に身体を叩き付けられた男は、壁をなぞるようにして、再び床へと崩れていった。

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 男は女性との間合いをはかるように、覚束ない足取りで後退する。その視線は絶えず、女性の左耳に注がれていた。距離を取り、じわじわと弧を描くように女性の周りを移動する。
 対する女性は、特に身構えることもなければ、緊張感をもっている様子もない。目線と顔の向きだけで男を捉えながら、ただじっとその場に立っていた。
「っ、だああっ!」
 と、威勢のよい声を絞り出し、男が突進する。
 もともと狭い地下室だ。足がふらついているとはいえ、ものの数歩で距離は縮まる。しかし女性は動じない。男が体当たりの姿勢を取ってから、女性はようやくわずかな動きを見せる。
「ぐあはああぁっ!」
 絶叫が響き渡る。その声の主は男だった。
 女性は突進する男の背中をポンと軽く叩いて逸らし、勢い余って通り過ぎたところを狙ったのだ。女性が振り上げたブーツの爪先は、正確に男の股間を捉えていた。睾丸を突き上げられた男は、その足の動きを止める。ビクビクと身体を小刻みに震わせる。両手で恥部を押さえながら、男はあっけなく、その場に前のめりに蹲った。
「あ……があぁ……」
 呻き声を漏らし、男は悶絶し続ける。床に突っ伏し、身体を右へ左へと揺さぶる。
 女性はそんな男の姿を一瞥すると、
「痛い? やりすぎちゃった?」
 と、悪戯っぽい笑いを零す。男には、それに答える余裕など、到底なさそうだった。
 男は跪くような体勢のまま、苦悶を続ける。女性は背後から再び、一発、二発と追い討ちをかける。爪先が男の睾丸に突き刺さる。彼女の表情には、サディスティックな冷笑が浮かんでいた。
「ふぐ……ぅあ!……ぐうっ!」
 と、悶声を響かせ、男はその身体を床に埋めた。泡の塊をいくつも吐き出しながら、床の上をのた打ち回る。しかし女性は、男の動きすらも自由にさせない。すぐさまその腹を踏み付けて、男の身体を床に固定する。ピンヒールの先が臍の下辺りを貫き、男は再度、悲鳴を上げた。
 侮蔑のこもった瞳で男を見下ろしながら、
「所詮は男ね。脆くて、弱い」
 と、女性がくすっと笑う。腹を爪先で押し潰すようにしながら、喰い込んだ細いピンヒールの先をグリグリと男の皮膚の中へと押し込んでいく。男は目を見開きながら、大口を開けていた。声が出ないほどの痛みを感じているのは明らかだった。男の表情が、それを如実に物語っている。
「おまけに、醜い……」
 女性は加えて、さらにそう侮辱する。その表情は、哀れみの感情すら垣間見せるものだった。
 悲痛に呻く男の下腹部からピンヒールの先端を抜くと同時に、女性はさらに男の腹を何度も踏み付けた。足の裏が、その衝撃を男の内部に伝える。尖ったピンヒールの先が、男の身体にいくつもの穴を開ける。
 みるみるうちに男の胴体は赤みを帯び、諸所にできた皮膚の穴からは血液が滴り落ちた。男は苦痛に満ちた表情を浮かべ、呻き声を上げ続ける。
 女性は「まだ死んじゃダメだよ」と軽い口調で囁き、男の顔面を蹴り飛ばした。
 宙に舞った男の身体が、ドサリと空しい音を立てて床に落ちた。

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 一筋の汗が男の頬を伝い、床へと滴り落ちた。
 女性の顔を見ながら、男は全身を震わせている。女性は、あからさまに怯える男の様子が面白いのか、その瞳を覗き込みながら、楽しげに微笑んでいた。
 男は表情を引き締め、床に伏せていたその身をようやく起こした。顔を歪めながら、壁を背にして座り込む。そして、悄然とした口調で女性に話しかけた。
「それで、俺はどうすれば……?」
 男のその言葉と同時に女性はすっと立ち上がった。左耳に付けたイヤリングを指先で得意げに弾いてみせる。男は真剣な眼差しでそれを凝視する。
 女性は口の端を持ち上げ、
「私からこれを奪えたら、助けてあげる」
 と、軽い口調で言った。鍵を取り出し、男の両手を拘束していた手錠を外す。解放感からか、男はその胸を大きく膨らませ、勢いよく息を吐き出した。顔色がわずかに赤みを取り戻す。
 男は低い声で、内容を確認するようにゆっくりと言葉を並べた。
「本当に……それを取ったら、助けていただけるんですね?」
「……ここでは、私が全て。わかる?」
 そう言って女性は、妖しく瞳を揺らめかせる。
 刹那、男はキッと女性を見据えた。それは腹を空かせた獣のような眼つきだった。



 人工光が静かに閃いている。
 対峙した両者から生み出された影は、その様相の違いを明確に映し出していた。
 一方の影は、左右に大きく揺れ動き、今にも崩れてしまいそうな脆さを床に描いている。対するもう一方の影は、まるで静止してでもいるかのように、全くと言っていいほど動きを見せない。
 対照的とも言える二つの影が、ほの暗い地下室を飾っていた。皮肉にもその影が、両者の力関係を顕著に物語っているようだった。
「まだやる?」
 静寂を打ち破ったのは、したたかで冷たい、高い声。
「も、もちろん……です……」
 と、その問いかけに答える、あまりにもか細い、低い声。
 人工光はその二人の実体をも、容赦なく照らしていた。
 そこに映し出されているのは、対峙するにはあまりにも不釣合いな両者の姿だった。
 一人は女性。
 小首を傾げながら、冷然とした視線を相手へと向けている。その表情は涼しげで、余裕そのものといった風だ。息切れひとつすることなく、わずかに微笑んですらいる。
 もう一人は男。
 痛ましい傷や痣が、顔から足の先までを、くまなく彩っていた。肩を大きく上下させ、膝が微震を続けている。立っているのもやっと、といった状態なのだろう。喉から漏れる擦れた声と荒い呼吸音が、継続的に鳴り響いていた。

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 しばらくの間、女性は締めつけるような視線を男に送り続けた。男は萎縮したように、ただ黙っている。それはまるで、躾の最中の犬とご主人様の関係のようだった。一喝されて小さくなった男と、それを下目で睨みつける女性。
 沈黙の時間が、刻々と流れていった。
 やがて女性がその表情をふっと緩める。毅然とした態度はそのままに、女性は穏やかな口調で再び話し始めた。
「聞いたことあった? この地下室のこと」
「……はい」
 女性の表情の変化を窺うように視線を巡らし、男が答える。女性は笑みを浮かべながら話を続ける。
「どこまで知ってるの?」
「……っと。あるらしい、っていうことくらいで、詳しくは……」
「実際に、ここを見た人を知ってる? 一人でも」
「…………いえ」
「そっか。どうしてだろうね?」
 そう問い、女性は意味深な表情を作る。男はしばらく間を置いた後、重く口を開く。
「殺されてしまう……から……」
「その通り」
 そう言って、女性はくすくすと笑った。
 男の表情は絶望に帰していた。顔を上げ、縋るような瞳で女性を見ながら、
「じゃ、じゃあ……やっぱり俺も……?」
 と、弱々しい声を絞る。女性は表情を変えないまま、
「そこで、さっきの話だよ」
 と涼やかな声で言い、悪戯っぽく笑う。
「た、助けてくださるっていう!」
 男の表情に希望の光が灯る。語気も強くなっていた。しかし女性は、
「あなた次第でね」
 と、さらりと返す。肯定とも否定ともつかないその言葉に、男は歯痒さを表情に滲ませる。
 気にせず、女性は話を続けた。
「ここはあなたの思ってる通り、罪人の処理場だよ」
「……はい」
「でも、私たちの娯楽場でもあるの」
 その言葉に違和感を覚えたのか、男は怪訝な顔つきで女性を見る。やはりここでも女性は、男を気にする素振りを見せない。彼女は淡々と言葉を重ねた。
「中継されてるの。この部屋」
「え! で、でも……担当官が、監視はつかないって――」
「うん。監視じゃないよ。観客だもの。観てるのは、女たち」
「じゃあ、さっき話してたのは、その人たちなんですか……?」
「そう。だって担当官は男だよ? 私を止める指示なんてできるわけないでしょ」
 女性はそう言って不敵な笑みを浮かべる。男は身震いしながら、口を開く。
「……だったら一体、何の目的で……?」
 その言葉を聞いて、女性が吹き出す。彼女はそこで一呼吸置くと、
「観て楽しみたいんだよ。私があなたを、もっともっと嬲ってから殺すのをね」
 と言い放った。まるで当然のことのように。ごく自然に。

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「本当にか? 本当に、助け――」
 言葉の途中で男は咳き込んだ。口から鮮血の混じった胃液が吐き出される。女性は意味深な微笑を湛えたまま、ただじっと口を噤んでいる。
「信じて……いいのか?」
 と、男はさらに言葉を重ねる。弱々しい声だ。女性の瞳を食い入るように見つめている。そんな男の様子を一瞥してから、女性はゆっくりと口を開いた。
「ところで――」
「いいから答えろ!」
 男は切迫の度を高めたのか、語気を強める。その時、女性の表情からすっと笑みが消えた。
「答え……ろ?」
 そう言った女性の目尻は鋭く吊り上がっていた。眼力に怯んだのか、男は身体を硬直させる。女性は男の瞳を覗き込みながら、顔を近づける。威嚇するような口調で「答えろ……?」と、再び男に詰め寄る。
 男は先ほどの勢いを失い、全身を震わせる。「あ……あっ……」と、言葉にならない声を喉の奥から漏らした。その額に汗が滲む。女性はその瞳に、未だ鋭い眼光を閃かせている。手中に男を捉えた女性は、
「態度が悪いなぁ。殺されたいのかな?」
 と冷やかに呟き、その拳をゆっくりと男の目前に突きつけた。男はビクッと身体を震わせる。表情がみるみるうちに青ざめていく。
「す、すす……すみません! ごめんなさい!」
 と、男は慌てた口ぶりで謝罪の言葉を発する。同時に、縋るような声を絞る。
「お、教えて……ください!」
「何を?」
「だか……、ですから、その……本当に――」
 と、そこで再び男は咳き込む。すぐさま女性が口を挟む。
「本当に、何?」
「はい。あの、本当に助けてくれ、……くださるんでしょうか?」
 男は真剣な眼差しで女性を見つめながらそう言った。それと同時に、女性は表情をほっこりとほぐす。
「礼儀正しくできたね」
 言いながら、女性は握っていた拳をゆるめた。再び朗らかな笑みを湛え、
「それじゃ、教えてあげようかな」
 と、言葉を紡いだ。
 男は緊張の糸がほどけたように、深く息を吐き出した。しかし女性は、
「ところで、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
 と、またも話題を逸らす。
 男は大層もどかしかったに違いない。それでも、何とか平静を取り繕おうと、表情を整えようとしている様子だった。しかし、焦る感情は隠しきれなかったのか、またも語調が強くなる。
「だから、それより――」
「聞きなさい!」
「うっ……」
 男の言葉を途中で切り裂く女性の怒声。その迫力に圧倒されたのか、男は息を呑み、それ以上は口を開かなかった。

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 男を見下ろしながら、女性は膝を持ち上げていた。ピンヒールの先が男の首筋を捉えている。
 しかし男は抵抗しなかった。正確に言えば、抵抗できなかったのだろう。彼はその身体を痙攣させながら、しきりに吐瀉を続けていた。
「この足を下ろしたら……おしまいね」
 女性が舐めるような声で語りかける。しかしその時には、既に男は反応を示さなかった。どうやら気を失ってしまったようだ。微動だにしない男を見ながら、女性はその表情を引き締める。その時、女性はその視線を胸元へと移動した。両胸に挟まれた無線通信機が振動を始めたからである。先ほど担当官から預けられた、小さなイヤホン型の物だ。
 女性は呆れたような表情で、ふっと息を吐く。
 男の首筋を捉えていたピンヒールの先が焦点を変え、ゆっくりと床へ下ろされた。
 女性は胸元に手を忍ばせて通信機を取り出すと、右耳にそれを取り付けた。
「……うん。所詮、男だから。もう限界だよ」
 女性の声だけが、地下室の静寂を破る。ちらりと男に目線を送り、くるりと背を向ける。そして、再び通信機の向こう側に語り続ける。
「え? 急な話ね……」
「……まぁ、ある程度はね――」
 女性がイヤホンを通して会話を続ける。地下室に女性の声だけが響く。その間に、閉じられていた男の瞳がわずかに開く。意識を取り戻したのだろう。呼吸の乱れも少しずつ治まってきているようだった。しかし身体が動かないのか、彼はうつ伏せの体勢のままでいる。
 男は女性のやり取りに気付いたのか、視線だけを女性に向ける。もちろん彼には、その通信機の向こう側に何があるのかまでは知る由もない。彼は深呼吸をし、女性の様子を観察しながら、ただ聞くともなしにその声に耳を傾けていた。女性はそれに気付かず、話を続ける。
「それも面白いかもしれないけど」
「……不満って、……あんたたちって、ホント勝手よね」
「わかった。とにかく一回、処置してみる」
 そこまで話し終えると、女性は小型イヤホンを耳から外し、再び胸元へと押し込んだ。大きなため息をひとつ零し、男の方へとふり返る。男の視線はまっすぐに女性の瞳を捉えていた。女性は驚いたようにピクリと身体を反応させ、やがてくすっと笑った。
「失神しちゃったと思ってたのに。聞いてたのね」
 落ち着いた声だった。男はそれに答えず、伏せた体勢のままでいる。女性は脚を高く振り上げ、
「怖いでしょ? 逃げなよ」
 と、さらに声をかける。しかし、男は依然として動かない。虚ろな瞳をその目に湛え、声を絞る。
「……身体が、動かないんだ」
「殺されてもいいの?」
「逃げても……殺すんだろ?」
「んー。でも、それじゃ困るんだよね」
 そう言って女性は苦笑する。男が怪訝な表情を浮かべる。女性はしばし何かを考える素振りを見せた後、
「じゃあ、助けてあげようか?」
 と、明るい声を出した。足を再び床へと下ろし、男の傍らにしゃがみ込む。
 男の目が大きく見開かれた。

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 男は走り続けた。
 完全に息が上がっているのか、男の喉からヒューヒューと音が鳴っている。対する追手の女性は、未だ軽快な足取りで、じわじわと男を追いかけていた。手錠がしきりに鬩ぎ合い、高い金属音を放つ。男の両腕には次第に擦り傷が刻まれ、両腕を徐々に削っていった。女性は口元に笑みを浮かべ、無言のままヒールの音を奏でている。
 男は泥酔したような足取りだった。
 右へ左へと不規則にふらつきながら「はぁ……はぁ……」と擦れるような呼吸音を絞り出している。そして男の足がひたりと動きを止める時、女性の一撃が彼を容赦なく襲う。
「がああああぁっ!」
 背中を蹴り飛ばされ、男は絶叫とともに床に突っ伏す。ピンヒールの先が突き刺さったのか、倒れ込んだ彼の背骨脇の一点から、血液がじわりと顔を覗かせる。
 再び振り下ろされた踵を、彼は寸でのところでかわす。男に休む余裕は与えられないのだ。そして再び鈍足を懸命に駆使する。その繰り返しだった。彼の体力がもはや限界を超えていることは、火を見るより明らかである。それでも女性のヒール音は一定のリズムを奏でながら、確実に男を捉えていく。
 男がよろめき、屈み込む。女性は間髪入れず、男の弛んだ腹に鋭い膝蹴りを叩き込む。
「ぐええぇっ!」
 ふわりと男の足が床を離れる。吐き気を催したのか、男は身体を折り曲げたまま、喉から奇異な音を立てる。小刻みに震えたまま、とうとう男はその足の動きを止めた。女性はその姿を見るなり、男の髪をむんずと掴む。女性の目尻が下がり、口元はゆっくりと弓なりに曲がる。
「……捕まえた」
 言いながら女性は、屈み込んだ男を押さえつける。
「や、やめ――」
 と、男が叫ぶ。それは小さく、酷くしわがれた声だった。しかし女性の表情は変わらなかった。顔中に湛えた朗らかな笑みを絶やすことなく、
「覚悟はいい?」
 と鋭利な口調で言を放ち、男の腹を再び膝で突き上げた。
「ぐふうううぅっ!」
 男の擦れた叫びが地下室を包む。出張った腹に女性の膝が深々と突き刺さる。内臓が下がる体勢であるため、その衝撃は直接、身体の中へと響く。
「っはっ……げえっ!」
 それは内部から遡ってくる悲痛な悶声だった。しかし女性の蹴りは止まらない。
「いい声」
「うぐぅっ!……っかはっ!」
「もっと?」
「……ぐうっ……ごほおあっ!」
 苦渋に満ちた喉声が絶えず地下室を覆った。男の膝には既に力が入っていないのか、掴まれた髪を支点に身体が宙吊りになっていた。
 やがて、男は嘔吐し、白目をむいた。女性はくすりと含み笑いを零すと、彼の髪から手を放す。
 男は意識をもたない人形のように、顔から床にドサリと崩れ落ちた。

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 この地下室は、巨大官営施設ガーディアンセンター深部の一角に位置していた。
 目的は罪人の処刑である。しかし、その存在は明らかにされていない。センターに居住する人間をいたずらに不安に陥れたり、精神を不安定にさせたりする状態は好ましくないからだと、センター職員には説明されていた。


 男はセンターからの脱走を企て、実行した罪によって処刑対象者となった。犯行現場をセンター警備員に見られたのだ。当然、捕まった彼に弁明の余地があったはずもない。罪人とされ、間もなくセンターからの処分命令が下った。命令書には『罪人"D-EAD-5502"を籠の中のゴキブリの刑に処す』と明記されていた。
 男が地下室に連れて来られた時には、身に着けた衣類は全て剥がされていた。後ろ手に手錠をかけられ、担当官二人に両脇を固められての連行だった。地下室に男が蹴り入れられる。そこは、全面を白で覆われた、狭い閉鎖空間だった。その中にはただ一人の人間が、黙ってこちらを向いて立っていた。
 切れ長の目が特徴的な、見事なアジアンビューティーの姿がそこにあった。セミロングの黒髪は絹糸のように繊細で艶やかだ。唇の紅が、その美貌をさらに際立たせていた。左耳につけた煌びやかなイヤリングが輝いている。身に着けた白を基調としたビスチェは豪奢なレースで飾られ、黒のリボンが胸元のアクセントになっていた。黒のスカートは短く、キメの細かい柔らかそうな太腿を惜しげもなく晒している。漆黒のピンヒールブーツが、爪先から膝までをすっぽりと覆っていた。
 紛れもなく、それは女性だった。
 男はその姿を目の当たりにすると同時に、ハッと息を吸った。目を丸くし、ゴクリと唾を嚥下する。一歩、後ずさったところを、担当官にぐいと押し戻される。女性を目の前にした彼の顔には、動揺の色がはっきりと浮かんでいた。
 女性は一歩前に足を踏み出し、
「あなた。脱走を謀ったそうね」
 と、穏やかな口調で声をかける。口篭る男の背中を担当官がドンと張ると、彼は「あぁ」とぶっきらぼうな返答をする。その態度を見た担当官は目尻を吊り上げ、再び手を振り上げる。しかし、今度は女性が、手で合図のようなものを送ってそれを制する。
「ごくろうさま。後はこちらで……」
 女性がそう言ったのを機に、担当官二人は同時に敬礼する。そして一人が、
「処罰規定により、モニター監視はつきません。非常時にはこれを」
 と言って、イヤホン型の小さな無線通信機を差し出す。女性は無言のままそれを受け取り、無雑作に胸の谷間に押し込む。それを確認すると、二人は再び敬礼し、地下室を後にした。
 静かな地下室に、カチッという非情な電子ロックの音が鳴り響いた。

 
 男が今まさに地下室にいるという事実は、センター居住者の誰一人として知る由もなかった。当然、今その場所で何が行われようとしているのかなど、想像できたはずもない。
 かくして男は、人知れず、救いのない鬼ごっこを始めることとなった。

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 この鬼ごっこに終わりはなかった。
 逃げ惑う男は生まれたままの姿を晒し、後ろ手に手錠がかけられている。全身から汗と血の雨を降らせ、それが地面をひたひたと湿らせていく。表情はない。ただ静寂を打ち破る荒い息遣いだけが、時を追うごとに大きくなっていった。
 淡い人工光が、ほのかに二人を照らし続けている。
 両者の影は時に接近し、時に離れ、しかしいつまで経っても、二人の距離が一定の範囲を超えることはない。それは、ここが密室であるという事実からすれば、当然の摂理だった。
 出口のない地下室の内部は、冷たくて硬いシェルターの壁で覆われていた。
 もちろん、この部屋からも外を見ることなどできない。当然、自然の光が入ってくることもなく、唯一の光源は弱々しい人工光だけだ。部屋には物品ひとつ置かれておらず、歩みの障害になるものは何もない。ただ、とにかく狭い。仮に部屋の対角線上を一般男性が普通に歩いてみても、かかる時間はせいぜい四、五秒程度といったところだ。
 そんな無機質な豪箱の中、それでも男の足は動き続けていた。
 足取りは重く、時折ふらつく。倒れ込みそうになることもあれば、壁に凭れて亀のように鈍足になることもある。反対に、ふいに勢い付いたかのように速度を上げることもある。
「ほら、また追いついちゃうよ」
 そう呼びかける追手の声は爽然としていた。足取りも軽い。それは、逃げる男のそれとはまるで正反対の様相を呈していた。身に着けた黒いピンヒールブーツが、コツコツと快適なリズムを刻んでいる。
 男はその高い声と足音にビクッと身体を反応させる。追手には背を向け、決して目を合わせない。無言のまま乱れた呼吸音だけを発し、足を速める。
 この密室でいくら足を動かしたところで、当然逃げ場はない。もちろん男の方も、それがわからないほどの馬鹿ではない。
 しかし男は、決してその足を止めようとしない。いや、止めることを恐れている、と言った方が、この場合は適切であろう。男は、嫌でも理解せざるを得ない法則を、既にその身にインプリンティングされているのだから。
 足を止めることが何を意味するのか。どうしてそれが恐ろしいのか。
 今まさに、再びその答えが男に突きつけられようとしている。
 今日何度目のことかはわからない。男の体力がまたも限界を迎えたのか、その足が止まろうとしている。すぐ背後にまで迫った追手の気配を感じたのか、男の顔面はみるみるうちに蒼白になっていった。
 肩を小刻みに震わせながら男がふり返る。しかし時は既に遅く、男の眼前には、血塗れになった追手のブーツの尖った爪先が迫っていた――
「がはあぁぁっ!」
 バキッという快音に混じり、男の獣のような絶叫が地下室内に反響した。
 男の身体が宙に舞い、ドサリと床に落ちる。唇の端が切れ、そこから血液がポタポタと零れていく。それでも次の瞬間には、震える膝を持ち上げて立ち上がり、再び覚束ない足取りで遅走し始める。それが功を奏し、追手が続けて男へと繰り出した蹴りは、間一髪のところで空を切った。
 壁に凭れかかるようにしながら、男はまた走り出した。

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