Black Onyx [ブラックオニキス];2008/ 08の記事一覧

ここでは、Black Onyx [ブラックオニキス]での 2008年 08月 に掲載した記事を表示しています。
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 この異様な僕の姿を、どれだけの人が正確に認識しているかはわからない。もしかしたら、誰一人としてそんなこと気にも留めていないのかもしれない。しかしながら、今の自分の醜態や、それを人目に晒しているのだという僕の中の羞恥心や罪悪感といった意識は、決して僕を解放してはくれない。ましてや僕は、こんな状況下で下品な輩を反り返らせている生粋の変態なのだ。
「あ、あの……」
 消え入るような声でそう呟き、女王様の横顔を覗き見る。そこにある美貌からは、既にわずかな笑みすらも消えていた。無表情のままごく普通に、再び運転に専念している。
 僕にとって女王様は、常にこんな風に背中を追い続ける対象なのだ。女王様の表情、仕草、言葉、行為。そういったものに一喜一憂しながら、僕という存在が成り立っている。別の言い方をすれば、女王様だけが僕の生きる意味なのだ。
 わかってもらえ、しっかりと受け止めてもらえたかと思えば、刹那、くるりと後ろを向いてしまう。心が結びついたと感じられた瞬間、その雰囲気を一気に吹き飛ばしてしまうような冷徹なひと言をさらりと僕にぶつけたりする。
 ――女王様は今、どんな気持ちでいらっしゃるのだろう。
 きっと僕は、それだけを考えながら生きているのだと思う。今だって、女王様の本当の気持ちが知りたくて心配を重ねている。
 ――楽しんでくださっているのだろうか。興味をもってくださっているのだろうか。
 女王様の表情の変化ひとつで、僕の不安は雪だるまのようにどんどん膨れ上がってしまう。何より女王様に見捨てられることが怖かった。
「あの……」
 僕は再度、言葉を重ねる。女王様はハンドルを握ったまま「何?」とそっけなく応える。しかし、僕はその言葉の続きを声に出すことができなかった。「つまらない」という言葉が出てくるかもしれない。それが恐ろしくて、僕の口は次の音を発することができなかった。
 女王様は僕のはっきりしない態度に業を煮やしたのか、再び僕の太腿に力いっぱい鞭を振り下ろした。何度も打たれてきた傷痕がとうとう破れ、そこから血が滲む。
 僕の絶叫は壮大な自然に木霊した。


 女王様がブレーキを踏んだ場所は、山頂近くにある木陰だった。既に人通りは全くない。海と大きな太陽が視界いっぱいに広がる神々しい景色の見える場所だった。沈みかけた太陽は海面に一筋の光の帯を描き出し、下界の全てを朱色に染め上げていた。
 エンジンを切って車を降りる女王様を追うように、僕は車から滑り出す。自分たち以外に人がいないとわかってはいても、いざ車から出るとあまりの心許なさに身体を縮こめてしまう。女王様はそんな僕の様子をいつも敏感に捉える。口の端を持ち上げて僕の方へと足を進め、首輪についたリードをぐいと引っ張る。僕はその力に身を預け、四つん這いの姿勢で女王様と歩みをともにする。
「すごく綺麗だね」
 感動を口にする女王様の横顔もまた夕日に照らされ、その妖艶な魅力を存分にその身に湛えていた。
「はい」
 と口にしながらも、僕の視線は女王様の肢体に釘付けになっていた。

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 鼻腔をくすぐる風が涼やかだった。
「夕日が綺麗だろうね」
 ハンドルを手にした女王様は、僕にそう問いかけたきりしばらく口を噤んだ。
 少し開いた窓の外。
 生い茂る木々のトンネルを幾度となく潜り抜けながら、車は山道を走り続ける。タイヤは、時折落ちている砂利を踏み付け、車体を揺るがす。曲がりくねった道は、ゆるやかに僕の身体を右へ左へと運ぶ。お世辞にも整備が行き届いているとは言えない田舎の山道だった。しかし僕にとってのそれはまるで揺りかごのようで、決して嫌なものではなかった。
 僕は車窓の向こう側に流れていく自然を、ただじっと見るともなしに見つめていた。漏れ入ってくるひぐらしの声は夏の終わりを告げ、狭い山道を照らす斜陽はその力を弱めている。時々すれ違う人々の服装からも、次第に夏特有の開放的な印象は薄れてきていた。尤も、今の自分ほど開放的な姿を晒している人間はいないだろう。
 全裸に首輪ひとつで車に乗ること自体が、そもそも「普通」ではないのだから。
 脇道を歩く人や対向車を見かける度、ドクンと心臓の音が高鳴る。無意識に身体を強張らせてしまう。その時、女王様はハンドルから左手を放し、乗馬鞭を手にする。
「――すみません」
 そう僕が言うより早く、バシッという快音が車内に響く。再び謝罪の言葉を口にするが、女王様から言葉が発せられることはない。この調子で、今日何度お仕置きを受けたかわからない。気付けば、僕の太腿や腕、胸など、至る所には赤い痕が刻まれていた。
 痛い。
 それでも僕はまた、人や車を見かける度に身体を縮めてしまう。
「……そう。悪い態度ね」
 今日二度目に聞いた女王様の声は、突き刺すような鋭利な含みを匂わせていた。意味深な瞳で僕にちらりと流し目を遣す。その視線は僕の身体をなぞるように次第に下半身へと向けられていった。僕の背中を冷たい汗が伝っていく。
「何度言っても身体は縮める。そのくせに、ソコは――」
 思わず覆おうとする手を鞭で打たれる。縮めた身体とは裏腹に、僕の汚棒はその存在を堂々と主張していたのだ。女王様は再び前を見ながら運転に専念する。時々混じる冷笑に、僕の愚息はまた敏感に反応してしまう。
 女王様は、軽くブレーキを踏み、徐行を始めた。それが何を意味するのか、僕にはよくわかっていた。
「す、すみません。すみません!」
 と声を上げる。しかしそれが意味を成さないこともまた、僕にはわかりきっていた。
 歩く人々、すれ違う対向車。その横を、僕らはゆっくりゆっくりと通っていく。そのゆるいスピードに違和感を抱くためか、歩行者はさっきよりもこちらへ視線を向ける確率が高い。対向車の人間にとっても、遅い車の運転席と助手席はよく見えるのだろう。
 羞恥心が僕を苛む。そうであるがゆえに、僕の下半身は一層、声を高める。このジレンマに苦悩する僕の耳に再び女王様の嘲笑が聞こえ、それがトドメとなる。
 僕のモノはとうとう膨張を極めてしまっていた。

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いつも当サイトにご来訪いただき、ありがとうございます。

今回の小説は、実験作です。
いつもとは一風変わった手法に挑戦したのですが、お気付きいただけましたでしょうか?
普段はストーリーや心理描写に重きを置いているのですが、今回は1シーンを突き詰めていくという書き方をしてみました。
私は「場面の切り取り」と呼んでいますが。いかがでしたでしょうか?
小説を書く上で、これからもいろいろな可能性を探っていきたいと思っています。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

●少女のキャラ絵 →

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 少女は倒れた俺の横に立ち、無言のまま俺を見下ろす。夕日の光に遮られ、彼女の表情は読み取れなかった。
 ――ここにいてはいけない。逃げなくては……
 身体が鉛のように重い。指先に神経を通わせようとするが、なかなか意志が伝わらない。必死で指の関節を意識する。第一関節、第二関節、掌、手首……。何とか動く。しかし、身体を持ち上げるほどの力はまだ戻っていなかった。
 ――早く……この子から離れるんだ!
 自分を鼓舞するように、首を左右に振る。口の中に溜まった血液が地面に零れた。混濁した意識の中で、身体中の力を振り絞る。赤く染まった砂の上に掌を当て、痙攣する筋肉に鞭打って身体を起こす。
 とても立っているとは言えないほどふらついた足取りだった。それでも、強い者から逃げなければならないという動物としての本能が、俺を突き動かしていた。
 ふと違和感を覚える。
 ついと顔を少女の方へと向ける。彼女は俺の行動をただじっと見ていた。俺が死にもの狂いで立ち上がっていく様を、まるで見守ってでもいるかのように。
 俺が完全に立ち上がるのを見届けてから、ようやく彼女が動いた。
 少女はその白くて細い膝をゆっくりと持ち上げた。靴の裏が俺を捉え――
 腹部への激痛は想像を絶するものだった。俺は喉から金切り声を絞り出す。後ろに数メートルほど吹き飛ばされ、俺は再び、あっけなく砂浜に埋められた。舞った砂が口の中に入り、ジャリジャリと音を立てた。その砂は赤く染められ、俺の口から吐き出される。それでも舌の上には砂が残った。
 いつの間にか少女は側に来ていた。そして淡々と、その足を何度も俺の腹に打ち据えた。


 壊されていく。自分という形は崩されていき、いずれ意味のない破片となるに違いない。三分後か、……三秒後か。
 周りに落ちている、ぼろ屑になった同僚たち。俺は彼らと同一のものになるのだ。
 自分の意識がどこにあるのかわからない。打ち据えられる足を、俺は抵抗することもなく見上げている。
 動かなくなった俺の側に、少女がしゃがみ込んだ。
 小さな唇が動く。
「……楽しいね」
 鈴の鳴るような声だった。邪気の無いそれが可愛らしくて、俺は思わず返事をしそうになった。
 しかし俺の口からは、ゴポッと血だけが溢れた。意識が急激に薄れていった。
 俺はただぼんやりと天を見上げている。
 これが俺にとって、最期の景色になるのだろうか――

 空が綺麗だ。小波の響きが耳を優しく打つ。
 夕日は未だ海に沈まず、空を赤く染め上げている。漂う茜色の雲は、空の表情を変えていく。
 そこに佇む、綺麗な黒髪の少女。

 なんと美しい絵だろう。
 静かに微笑み、俺は目を閉じた。



END

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 小波の音が穏やかだった。
 少女はゆっくりと歩みを進めてくる。彼女が一歩進む度に、俺への危険性が跳ね上がっていく。そんなことはわかりきっていた。しかし、俺の足はまるで石膏で固められたかのように、微動だにしない。
 いつの間にか少女は、俺の目の前にまで迫ってきていた。
 彼女がゆっくりと俺の顔を見上げる。
 そこにあったのは、透き通るような美貌だった。目鼻立ちが恐ろしいほど整っている。近くで見る少女の肌はきめ細かで、黒子やソバカスなどはひとつとして無かった。綺麗な肢体を血に染めた彼女の姿は、どことなく神秘的に感じられた。
 少女の大きな瞳は漆黒の色を湛えていた。
 綺麗な丸い瞳に吸い込まれていくような錯覚に陥る。頭ひとつ分は違うかと思われる身長差だった。しかし俺には、彼女の姿がとても大きく見えた。
「ど、どうして……こんなことを……?」
 言葉を発した時、俺は喉の奥が焼けるようだった。今更になって、唾を飲み込むことすら忘れていたことに気付く。
 必死の思いで絞り出した言葉であったが、少女は反応を示さなかった。相変わらず感情のこもらない瞳でじっと俺を見つめ続けている。ただ波だけが、変わらない音を響かせていた。
「……俺たちが、何をしたって言うんだ?」
 そこまで言って、また唾を嚥下する。その音が自分の中で大きく響く。
 今日まで一度だって会ったことのない少女なのだ。当然、彼女に恨まれる覚えなどない。
 汗が背中をゆっくりと伝っていくのがわかった。それはもちろん暑さのせいなどではない。緊張感に耐え切れず、俺は二度、瞬きをした。一回、二回――
 次の瞬間、突然目の前が闇に覆われた。
 腹部に強烈な鈍痛を感じ、俺は思わず身体をくの字に曲げる。落とした視線の先には、俺の腹に手首まで喰い込んだ少女の細い腕が見えた。
 熱い。
 まるで刀で突き刺されたかのような痛みと衝撃だった。この華奢な身体から繰り出された力だとは、到底思えなかった。
 俺はたまらず砂浜に膝をつく。苦しさから呼吸困難に陥る。激しく咳き込む。内部から何かがせり上がってくるのがわかる。
 跪いた俺の視界を、少女の血塗れのスニーカーが遮った。
 それを正しく認識する前に、俺の身体は宙に舞っていた。顎を捉えた至近距離からの鋭い蹴りは、骨にまでその衝撃を伝えた。
 世界が反転し、俺は砂浜に仰向けに叩き付けられる。同時に、喉へと遡ってきていた液体が口から勢いよく吐き出される。鉄に似た味がする。
 それは先ほどまで俺が目にしていた、同僚の出したモノと同じ色をしていた。

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 静止画を見ているようだった。
 少女の頬には、一滴、二滴と、血が付いている。立ち尽くす少女は少し俯き、目元はその黒髪で隠されていた。薄い唇には、口紅の類は一切塗られていなかったが、艶やかな自然の紅みを帯びている。
 彼女の足下に、塊が三つ、四つ。奇妙な形に歪んだその男たちは皆、俺の会社の同僚だった。今はまるで大きなゴミのように、砂浜に横たわっている。
 ある者は腹を抱えて蹲り、ある者は大の字で仰向けに倒れている。いずれも血溜まりの中に沈んでいた。
 時折ピクピクと痙攣する彼らの姿を見ていると、これが決して静止画などではなく、動画――いや、紛れもない現実なのだということを実感させられる。それを認めることが怖かった。
 少女が、一歩前へと踏み出す。俺は自然とその足に目を遣る。白い素足に、ピンクのラインの入ったスニーカーを履いている。そのスニーカーにも、赤黒くなった血痕が残っていた。
 背は小さい。黄色いキャミソールを身に着け、太腿まで露出するデニムショートパンツを穿いている。まだ膨らみを見せない胸や細い手脚は、未だ成熟していない。筋肉など全く付いていないように見える。それを考えると、先ほど自分の目の前で起こったことが、どうしても受け止めきれなくなるのだ。
 混乱する俺を余所に、少女はまっすぐに俺の方へと歩を進めてきた。悪びれる様子もなく、倒れている彼らの頭や背中、腹などを踏み付けながら進んでくる。その度に、彼女のスニーカーの血痕が一つ、また一つと増えていった。


 ひと気のなくなった海岸。大きく、赤く、姿を変えた太陽が水平線にその身を隠していく。普段であれば、心安らかに一日の終わりを感じ、感傷にでも浸っている時間だったはずだ。
 『遊んで』
 その時、少女から言われたその言葉が全ての始まりだった。
 突然の高い跳躍と同時に少女の脚がグルリと回転した時、大石が呻き声とともに地面に崩れ落ちた。うつ伏せになった彼の喉から赤黒い液が溢れ、じわじわと砂を染めていった。
 続けて彼女は自分の両側に向けて一発ずつ突きを繰り出した。次の瞬間には、花木と吉岡が身体をくの字に曲げていた。二人は息の漏れるような声を出し、やがて彼女の目の前を交差するようにして倒れ込んだ。気を失った彼らの口元からも液が垂れ流され、自らの顔回りを赤い池へと変えていった。
 有倉のことは思い出したくなかった。
 怯えた彼はその場から逃げ出そうと振り返ったところを、少女の足払いによって倒された。そのまま彼の首は彼女の脚に絡め取られ、太腿でじわじわと絞められていった。彼の顔は見る間に赤くなり、目は大きく見開かれた。もがけど、その抵抗は無意味に等しかった。
 泡を吹き、涎を垂らし、失禁し、ついには口の端から血を滴らせた。有倉が白目をむいて失神した時、彼女は彼の首をへし折った。彼女からは躊躇の欠片も感じられなかった。
 時間にすればものの数秒だったのだろう。とにかく速かった。しかし俺には、少女の動きや様子がはっきりと見えていた。食い入るように見つめてしまっていたのかもしれない。あまりにも予想外で、あまりにも異常なその光景が、俺から瞬きそのものを奪っていたのかもしれない。それらがまるで、スローモーションのかかった映像のようだと感じられたから。
 情けないことに、その間、俺は恐怖で足が竦んでしまい、全く身動きできなかった。

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 目の前にいるあなたの姿が、ぼんやりと霞んで見えることがある。
「あなたはどこにいるの?」
 馬鹿げた質問だとわかっている。でも、つい思ってしまう。口に出してしまう。
 そんな時、あなたは決まって、
「ここにいるだろ。お前の目の前に」
 って、朗らかな笑みをくれる。苦笑しながら、私をその胸に包み込んで。
 温かい。
 そのぬくもりが、私をどれだけ安心させてくれたか。
 その優しさが、私をどれだけ支えてくれたか。
「ありがとう」
 あなたに聞こえないように、私はいつもそう呟く。マスカラが落ちて崩れた泣き顔を見られたくなくて、私はいつもあなたの胸に顔を埋める。
 こんなに大きな幸せを与えてくれる。かけがえのない存在。だから――
 もっともっとあなたを理解したいと思う。あなたを知りたいと思う。あなたの存在そのものを見つけたいと思う。人間としてあるべき姿でいるその身体の中に、あなた自身を探したいと思う。
 だから、結局また同じ言葉を繰り返す。
「あなたはどこにいるの?」
 ……もちろんあなたの返答は変わらない。
 愛情、思いやり、心遣い、気配り。私はその全てを確かに感じてる。
 それは山のように高くて、海のように深くて、大気のように包容力があって……
 そこにある素敵な輝きの数々を否定することなんてできない。でも、形をもたないものを信じるのはすごく難しい。移りゆく時の中で、変わってしまうものもあるかもしれない。私にとっては、どれも失いたくない大切な宝物。
 ――このまま時間が止まってしまえばいいのに。
 そう思ってしまったことが、私の最大の罪だったのかもしれない。
 あなた自身が見たい。……ただそれだけだった。
 あなたを裂いた。夢中で中身を取り出そうとした。『あなた自身』に直接触れたかった。でも、中から出てきたのは柔らかい肉の塊だけ。残ったのは、動かなくなったあなたと、真っ赤に染まった私だけ。
 その時から、あなたの時間は止まった。でも、私の時間は今も流れ続けてる。それによって得られたものなんて、何ひとつなかった。その代わりに、失ったものは数え切れない。
 あなた自身を求めて、あなた自身を失ってしまった。
 私は結局、何を求めていたんだろう。
 ……馬鹿。
 どれだけ自責の念に駆られたって、あなたはもう戻ってこない。
 あの朗らかな笑みも、温かい胸も、もうどこにもない。でも、今でも時々口にしてしまう。

「あなたはどこにいるの?」

 その問いかけに答えてくれる人は、今はもうどこにもいない。



END

| Novel index |
●デッド オア アライブ 3 アンソロジーコミック [エンターブレイン]
 (兄をたずねて3000m あんこきくちよ)
 2巻:腹に蹴り、苦悶、吹き飛び、心臓停止

●ふぁにーふぇいす かかし朝浩 [ワニブックス]
 1巻:腹にフットプレス、苦悶
 〃 :腹にパンチ、胃液
 〃 :腹に膝蹴り、吐血
 3巻:腹にパンチ、嘔吐
 〃 :腹にパンチ、嘔吐
 〃 :腹に裏拳

●黒蘭~反逆の黒髪~ 近藤るるる [角川書店]
 2巻:腹に刀斬り、吐血、流血、苦悶、死
 〃 :胸にナイフ刺し、吐血、ダウン

●完殺者(ジェノサイダー)真魅 原・鳴海丈 画・片倉政憲 [集英社]
 3巻:腹にナイフ刺し、流血

●バーチャファイター美闘伝サラ 作・伊津木敏弘 画・鬼窪浩久 [集英社]
 3巻:腹を蹴り上げ、連打、吐血
 〃 :脇腹に蹴り、苦悶

●戦え!梁山泊 史上最強の弟子 松江名俊 [小学館]
 1巻:脇腹に肘打ち、骨折、苦悶、胃液
 2巻:腹に蹴り


※注
 ・全て女から男への腹責めです。
 ・記載したキーワードは全て、私の見た限りの独断です。
 ・逆リョナ情報をお持ちの方は、ぜひお寄せください。
  (尚、「逆リョナ@wiki」に掲載する情報は、匿名をデフォルトとさせていただきます。)
  → ◆逆リョナ@wiki [ Gyaku-Ryona@wiki ]
●SUPER STREET FIGHTER IIX 外伝 伊藤真美 [新声社]
 1巻:腹にパンチ、気絶

●天上天下 大暮維人 [集英社]
 5巻:腹に指刺し、胃液、吐血、苦悶、気絶、瀕死
 6巻:腹に発勁、吹き飛び

●浦安鉄筋家族 浜岡賢次 [秋田書店]
 4巻:腹にフットスタンプ、胃液、連打、苦悶
 〃 :腹にフットスタンプ、連打、苦悶
 12巻:脇腹にパンチ
 13巻:腹(胸?)に肘打ち

●成仏しませぅ。 岡田和人 [ソニー・マガジンズ]
 腹に膝蹴り、苦悶
 腹(?)に蹴り、苦悶

●ラディカルCC 中垣慶 [学習研究社]
 1巻:腹に蹴り、吹き飛び
 〃 :腹に蹴り、気絶

●アンダーカバーコップス 古葉美一 [新声社]
 2巻:腹にナイフ刺し、流血、苦悶
 〃 :腹に後ろ回し蹴り、吐血、気絶

●魍魎戦記MADARA 田島昭宇 [角川書店]
 1巻:腹にエルボードロップ、苦悶、咳き込み


※注
 ・全て女から男への腹責めです。
 ・記載したキーワードは全て、私の見た限りの独断です。
 ・逆リョナ情報をお持ちの方は、ぜひお寄せください。
  (尚、「逆リョナ@wiki」に掲載する情報は、匿名をデフォルトとさせていただきます。)
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●DRAGON'S HEAVENドラゴンズヘブン 脚本・深見真 漫画・笠原夕生 [スクウェア・エニックス]
 3巻:腹にパンチ、胃液、気絶
 〃 :腹にパンチ (回想)
 〃 :腹にパンチ、吹き飛び、気絶
 〃 :腹にメリケンパンチ
 〃 :腹にトンファー打
 〃 :腹にメリケンパンチ、連打
 〃 :腹にトンファー打、連打
 〃 :腹にメリケンパンチ、吐血

●名探偵保健室のオバさん 宮脇明子 [集英社]
 3巻:腹に肘打ち、胃液
 〃 :腹に蹴り、胃液

●シャルトル公爵の愉しみ 名香智子 [小学館文庫]
 3巻:腹に蹴り、気絶
 6巻:腹に膝蹴り、苦悶、咳き込み

●セーラー服騎士 有賀照人 [集英社]
 1巻:腹に蹴り、胃液、気絶
 〃 :腹に蹴り、気絶


※注
 ・全て女から男への腹責めです。
 ・記載したキーワードは全て、私の見た限りの独断です。
 ・逆リョナ情報をお持ちの方は、ぜひお寄せください。
  (尚、「逆リョナ@wiki」に掲載する情報は、匿名をデフォルトとさせていただきます。)
  → ◆逆リョナ@wiki [ Gyaku-Ryona@wiki ]
星新一著『レジャークラブ』(「だれかさんの悪夢」収録)へのオマージュ作品です。
――と言っても、原作の欠片もないアレンジで(汗) すみません。悪気はありません。>星様&星様ファンの方々
ハッピーエンドです。
皆が幸せになれるって、本当に素敵なことですね。

現在、作品についてのアンケートを募集しています。
→ ◆アンケート◆

ご協力いただいている方々、本当にありがとうございます。
これからも、皆様のお声をお待ちしています。(※投票停止しました。)

逆リョナ@wikiの方も随時更新しております。ご活用いただければ幸いです。
情報をお持ちの方は、ぜひご提供くださいませ。
また、現在の希望以外にも収集希望の責めシチュなどがあれば、ぜひコメントやメールにて、気軽にご連絡ください。
(※現在停止)
どうぞよろしくお願いいたします。

余談ですが、先日外出した際のことです。
とある場所で、男前の年配の方がノートPCを開いておられました。
黒いページにブログランキングの赤いボタン、見たことのあるサイドバーのイラスト……
――Black Onyx [ブラックオニキス] の文字――
熱心に作品に目を通してくださってました。盗み見して申し訳ありません(汗)
驚き、感動、緊張、喜び、気恥ずかしさ。複雑な心境に耐えられず、つい逃げてしまいました。
読者の方のお顔を拝見する機会など無いので、とても新鮮で貴重な体験をしたと思っています。
あらためてこの場で御礼を。どうもありがとうございました。

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 部屋にひとり残される。
 慌しかったさっきまでの時間がまるで嘘のようだった。私は再び別の空間に来たように感じる。
 しかし今となっては、これが現実なのだとはっきりと自覚できる。あの老人は確かに私が殺した。それは紛れもない現実。罪の意識が、またも重い澱となって圧し掛かってくる。
 初めて会った時の、老人のあの輝くような顔を思い出す。
 ――なぜ、私はあんなことをしたのだろう。
 やはり納得できる説明は、歪んだ性癖だけなのかもしれないと思えていた。最終的には、あの素敵な老人が人間にすら見えなくなっていた。あろうことか、私がこの手で殺してしまった。
 ――あの笑顔は、もう見ることができないのだ。
 そう思うと、私の目からは再び涙が溢れた。

 気を確かにもつためには努力が必要だった。意を決して立ち上がり、子機を探す。あの老人が落としたままになっていたはずだったからだ。
 思った通り、子機は床に転がっていた。付着した血液が生々しい。
 私は子機を一度本機に戻し、あらためて子機を手に取った。しかし、いざその瞬間になると、なかなか110番が押せない。自分の弱さにあらためて落胆する。
 ――私はこんなにも弱い人間なんだ。
 こんなに大切な時だというのに、肝心の私の指は硬直しきっていた。

 とにかく心を落ち着かせる必要がある。
 それが言い訳だということは十分わかっていた。しかしこのままでは、言葉さえもロクに話せないだろうということも自覚していた。
 気の重さを紛らわそうと、震える指で男が置いていったパンフレットを手に取る。
 ふと、あの男の最後の笑みを思い出す。やたらと気にかかっていたのだ。
 彼はあの老人を高く評価していた。確かに、命を懸けてまで勧誘を行うなど、並大抵の意志で出来ることではない。しかし今となっては、その誘いに応えることもできない。私は殺人者。警察に行くべき人間なのだから……
 嗚咽を漏らしながら、私は手にしたパンフレットをパラパラとめくった。
 その時、パンフレットの隙間から一枚の金色のカードが落ちた。あの男が挟んでいったのだろうか。
 私はそのカードを拾った。会員カードのようだった。
 それを見た瞬間、私の涙は一気に吹き飛んだ。その代わりに、腹の底から沸々と笑いが込み上げてくる。
 手の震えは完全に消えていた。私は早速電話をかけた。
 もちろん、グッドライフへだ。
「先ほどは、ありがとうございました。喜んで入会させていただきます」
 そう言いながら私は、カードに印刷された顔写真を見つめた。

 あの老人も、会員だったのだ。
 先ほどの男の「彼の意志」という言葉の意味を、私はようやく、正確に理解した。
 そのカードには、受講中の講座が記載されていた。

 『S女様に殺されたいM男のための実践講座』



END

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 男は老人の死体をじっと観察していた。時々、喉の奥から唸り声を上げる。それはまるで、感心でもしているかのようだった。
 男が低い声でポツリと呟く。
「四肢の全てを破壊」
 その言葉に悪寒を感じ、私は身震いする。全身に冷水を浴びせかけられたような心持ちだった。
 男はさらに言葉を連ねた。
「おそらく一本一本……。骨の感触を味わいながら折っていったのではないかと」
「…………」
「興奮……いや、欲情と断言してもいいと思ってます。そうでなければ、ここまではできない。この睾丸の潰し方など、もう見事としか言いようがありません」
「…………」
「そしてあなたは、彼の頭まで潰した」
 男は再び、死体をじっと見つめる。
「躊躇の欠片も見られません。理由は、あなたの欲望を満たすため。それ以外に考えられますか?」
「…………」
 男が話し続けている間、私は口を挟むことができなかった。否定することができなかったからだ。
 しかし男の態度は終始、冷静そのものだった。
「ご安心ください。先ほども言いましたが、私は警察関係の類の者ではありません。この男は私の責任の下で、しっかりと処分いたしますので。あなたに罪が降りかかることはありません」
 そう言ってにっこりと笑った。しかし、私の中でその「罪」という言葉はあまりにも重かった。

 こんなことになるなんて思ってもみなかった。
 今日の朝までは普通の人と同じ生活をしてきたのだ。あの最初の呼び鈴が、私の全てを変えてしまった。
 再び罪悪感が頭を擡げてくる。私はそれまで噤んでいた口を開いた。
「おっしゃりたいことはわかりました。私にはそういう性癖があるということですね。事実を目にした今は、それも認めざるを得ないと思います。でも……」
 私はそこで一度言葉を区切る。
「……罪は罪です。そのご老人の人生を私が奪ってしまったことには変わりないんですから」
「では、自首されますか?」
「……はい。それがせめてもの――」
 私がそう言いかけたところで、男が口を挟む。
「この老人への償いのつもりなのでしたら、その必要は一切ありません。それが彼の意志ですから」
 男は不敵に笑った。そして、それから再び爽やかな笑顔を私に向けると、
「もしご入会いただけるようなら、電話を下さい」
 と言って、名刺を差し出した。
 男は再度、処理の人間に指示する。まるでゴミのように袋に詰められていく老人の亡骸を前に、私は手を合わせることしかできなかった。天寿より仕事を全うしたこの老人の強い意志が、ひしひしと伝わってくるようだった。勧誘こそが、彼にとっての命だったのだろう。
 男は私に一礼をすると、処理の人間たちを引き連れて早急に部屋を後にした。

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 間もなく、数人の男たちが部屋へと上がりこんできた。そう言えば、玄関の施錠を忘れていた。突然訪れた彼らの勢いと慌しさに圧倒され、私は動揺する。しかし男たちに、そんなことを気にする素振りは全く無かった。私には見向きもせず、手際よく死体の処理を行っている。
 目の前の男もまた、その男たちを気にする様子もなく、ただ私だけをじっと見つめていた。
 男がゆっくりと話し始める。
「このパンフレット、ご覧になりましたか?」
「いえ」
「あの男が身体を張って証明してくれました。あなたにぴったりの講座がそこにありますよ」
 そう言って男はニヤリと笑った。それは先ほどの爽やかな笑顔とはまた質の違うものだった。
 パンフレットを開く。そこには、さっきまで老人に紹介されてきたものとは明らかに違った種類の、見たこともないような名称の講座が並んでいた。
 彼の言う講座は一目でわかった。丁寧にアンダーラインが引かれている。

 『女性のための男性殺害講座』

 その文字を見て私は目を見開く。男が一言「それです」と言い、含み笑いを零した。
「と、とんでもない! 私にはそんな願望はありません!」
 私は思わず声を上げる。しかし男の笑みは消えなかった。私は再び言葉を重ねる。
「私、どうかしてたんです。決して殺すつもりなんて――」
「あなたを呼ぶしつこい呼び鈴。あなたが真っ先に考えたのは警察へ助けを求めることではなく、その無礼な相手に攻撃することだった。そうですね?」
 私は返答に窮した。言われてみれば、確かにそうだった。
 男は続ける。
「おそらくこの男が言ったであろう、殴るや蹴る、血だらけなどの言葉に、あなたは多少なりとも興奮を覚えた。これは推測ですが、まず間違いないかと思っています」
 ……これにも心当たりはあった。しかし、なかなか首を縦にふれない。肯定するのを理性が拒否する。
 しかし、男の言葉はなおも途切れることはない。
「もっと言えば、あなたの目的は途中から、この男を追い出すことから嬲る、甚振ることへと変化していった。もしかしたら、あなたは彼を人間としてすら見ることができなくなっていたのではないでしょうか?」
「そ、そんなことは――」
 否定の言葉を口にできないのがもどかしかった。心の中が見透かされているようで、私はたまらず俯いてしまう。男は意味深に口を歪め、おもむろに立ち上がった。私もつられて立ち上がる。
 男は、老人の死体を今にも黒い袋に詰めようとしていた男たちに声をかけ、作業を一時中断させた。そして、ゆっくりと死体の方へと歩みを進める。途中で立ち止まり、私に手招きをする。私は導かれるまま、男の方へと歩を進めた。
「この老人は見抜いていたんですよ。あなたの素質をね」
 男がそう洩らす。
 あらためて老人の死体を見ると、あまりの酷い死に様に目を背けたくなる思いがした。

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 男は部屋に入り、今や肉の塊と化した老人をただじっと見つめていた。
 私はその男の背後から反応を窺う。この男が何の目的でここに来たかはわからない。この地獄絵図を見て何を感じているのかなど知りたくもない。その気持ちは諦めにも似ていた。
 自分の犯した罪に耐え切れなかった。きっと、ただそれだけのことだったのだと思う。
 心が痛い。男が何かを話し出そうとする前に、私は口を開いた。
「……こんなこと……するつもりはなかったんです」
 男は答えない。私は再度、言葉を重ねる。
「私がやりました。私が――」
「承知しています。ご安心ください。私は警察関係の類の者ではありませんので。死体の処理は当方で行います」
 私の言葉を遮り、男は明るく対応した。男の予想外の笑顔に拍子抜けする。何となく違和感を覚える。言っている言葉の意味も、いまいちよくわからない。疑問が口をついて出る。
「あの……あなたは一体?」
「あ、申し遅れました。私、グッドライフの勧誘員です。早い話が、この男と同じ会社に所属する人間ということです」
「え……あ、はい。それで……?」
「すぐに応援を呼びます。少々煩くなるかもしれませんが、決して悪いようにはいたしませんので」
 男は晴々とした表情のままだった。

 これを狐につままれたような気分というのだろうか。
 何が何やらわからないまま、私は携帯電話に向かって話しているその男をソファへと案内した。テーブルを挟み、私は向かいのソファに座る。死骸と空間を共有したまま、赤の他人同士がこうやって向かい合っている絵面は、とても不思議なものだと思った。
 やがて男は電話を切り、私に向かって口を開いた。
「突然押しかけて申し訳ありませんでした」
「あ、いえ」
「それにしても驚きました。あぁ、それは奥さんの台詞ですかね」
「え……と。正直、混乱してて……今も何が何やら」
 私がそう言うと、男は声を出して笑った。その屈託ない笑顔を見ていると、何となく救われるような気持ちになる。男は一度、老人の死体にちらりと目を向け、さらに言葉を続ける。
「あの男はうちでも優秀な社員でしてね。やはり彼の、人を見る目は正しかった」
「……すみません。やっぱり、よくわからなくて」
「無理もありません。では、ちょっと失礼を――」
 そう言いながら男は立ち上がり、老人の死体の方へと向かう。男がそこで何かを拾い上げる姿が見えた。彼は再びソファへと戻り、血塗れのそれを私の目の前に差し出した。
 それは、先ほど老人が持ってきた黒いパンフレットだった。

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 むせ返るような血の臭いの中、私は放心していた。
 肉塊が散らばっている。その目の前に、ただ立ち尽くす。
 静寂が部屋を包み込んでいた。まるで時間そのものが止まり、この空間だけが切り取られてしまったかのようだ。
 その静寂を切り裂いたのは、ひとつの音だった。聞き慣れた音だ。一度目……そして二度目……。
 そう。この音から全てが始まったのだ。私を呼ぶ……呼び鈴の音――
「こんにちは。来栖さん」
 ドアの向こう側からかけられた声によって、私は現実の世界に引き戻された。
 我に返った自分を見つめるのが恐ろしかった。血だらけになった肉塊は、さっき見たままの形でそこに存在している。ここは紛れもない現実の世界。決して夢や空想、異空間などではないのだ。それを認めることが何よりも恐ろしかった。
 ――私は……私は何てことを……
 罪悪感が私を責めたてる。血塗れになっている自分の身体に気付いて発狂しそうになる。自分が何者なのかすらわからなくなってくる。
「来栖麗さん。いらっしゃいますね」
 再び声をかけられる。男性の声だった。
 こんな状況でドアを開けることなど、到底できないはずだった。映画やドラマなどでよく見た、この危機的な状況。そこに立ち会った者は、必ずこう思うはずなのだ。
 ――どうやってこの場を凌ぐか――と。
 居留守という手段が思いつかなかったわけではない。招かざる訪問者であれば、ドアのこちら側からでも断ることだってできたはずだった。
 しかし、私はそうしなかった。……そうできなかった。
 自分の犯した罪への恐怖が、刺すように私を突き動かしていたからだ。
 ここが夢でも空想の世界でもなく、現実だという事実。この手で死骸へと変えてしまった老人と同じ空間にいる、血塗れの自分という存在。
 どこを見つめているのか、何を感じているのか、何をするべきなのか、何に怯え、何に囚われているのか。その全てがわからない。わからないということ自体がどういうことなのかわからない。
 きっと、自分が自分でなくなってしまうことが一番怖かったのだろう。
 来訪者など誰でもよかった。ただ、自分の存在自体を救ってほしかった。
 ――私はきっと、とてつもなく弱い人間なのだ。きっと、とてつもなく……
 三度目の声が聞こえると同時に、私は部屋のドアを開けた。それと同時に、やはり後悔もした。
 何と馬鹿なことをしたのだと、今にも内なる声が聞こえてくるようだった。
 これで自分の人生は終わりなのだ。ドアのこちらから現れた血塗れの女を見て、その男は驚くだろう。怯えて腰を抜かすかもしれない。もしかしたら発狂するかもしれない。
 しかし、その男は驚かなかった。怯えもしなければ、発狂もしない。それどころか、血塗れの私の顔を見ながらにっこりと笑いかけさえする。男は私に一礼すると、
「失礼します」
 と言うが早いか、家の中へと上がりこんできた。

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 人形は断続的に悲鳴を上げた。壊れた部位が痛むのだろう。しかしその動きは微々たるものだった。身体全体をピクピクと微震させ、それにつり合わないほどの大きな音を口から発する。
 相変わらず汚い音だったが、今ではそれすらも心地良く感じられる。
 私は足を組んでソファに腰掛けながら、奇怪な動作を繰り返すそいつの様子をじっくりと観察していた。口元に微笑を湛えたままで――

 カウントゼロを告げても、人形は身体を動かし続けていた。その度に、部屋には絶叫が響き渡る。だがその音に反し、そいつはほとんどと言ってよいほど最初の位置から移動できていなかった。
 私はソファから腰を上げ、ゆっくりとそいつの方へと歩を進める。
 うつ伏せになった老人形の前に立つ。そいつは蒼白になった顔から脂汗を滴らせていた。血が通っていないようなその顔が、実に人形らしいと思った。
 人形は力尽きたのか、その場で動かなくなる。私はしゃがんでそいつを見つめながら、口を開く。
「十五秒、経ったよ」
 人形からの返事はない。顔だけは上げたまま、痙攣を続けている。
「追い出していいって言ったのはあなたの方なのにね」
「……う、ぁ……」
「結局、出て行かないんだ……」
 私は堪えきれず、笑い声を漏らす。
「約束違反だね。覚悟はいい?」
 言いながら、私は立ち上がる。見下ろした人形の目からは、涙が止め処なく溢れてきていた。もはや口から音を放つ力も残っていないようだった。
 私はすっと膝を高く持ち上げる。
 人形は喉元から「ヒューヒュー」と擦れた息をしきりに漏らしていた。もう使い物にならないほど壊れている。そいつの奇怪な形状や動作が醜かった。そいつを包む汚物や血が汚らわしかった。放つ異臭が煩わしかった。このままこいつの無様な格好を見ているだけでも面白いかとも思ったが、何しろゴミになる寸前の人形だ。そう思うと、無性にこの醜い人形を壊してしまいたくなる。
 身体が疼くのだ。不思議な欲求が私を内側から突き上げてくる。
 もはや人らしき形も留めていない人形に、
「じゃあね」
 とだけ言い放ち、私は踵に全体重をかけてそいつの頭を踏み付けた。
 鈍く爽快な音が鳴る。人形の頭の形状が変わるのがわかる。床が赤く染まっていく。これまで味わったことのない快感が身を包む。下腹部辺りに熱いものを感じる。
 私は再び膝を持ち上げ、踵を頭に打ち込む。赤いものがさらに、じわりと床を這う。それが私の不思議な欲求を煽り、再び踵を振り下ろす。
 いつの間にか、私は夢中になっていた。
 何度も何度も踵を打ち込んだ。その度に頭部は形を変え、素敵な快音を立てる。床には赤い染みがじわじわと広がっていく。
 気付けば、人形の頭は原型の欠片も留めていなかった。頭を覆っていた殻は砕け、中からは汚らしいものがドロリと顔を覗かせていた。どす黒い色をしたそれには、諸所に細かいひだのようなものが付いている。ひどく長い物がぐるぐると不規則に絡まっているような印象だ。それを踏み付けると、そこからも赤いものが噴き出てくる。それは先ほどのものよりもずっと黒ずんでいるように感じた。
 新鮮な感触やその飛沫に酔う。私は繰り返し、足を振り下ろさずにはいられなかった。

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 ひとしきり騒音を撒き散らした後、人形はようやく静かになった。
 人形の手足部分は、不自然な形状を晒していた。小刻みに痙攣してはいるが、先ほどのように勝手に動こうともしなければ、雑音を発しもしない。とてもおとなしくなったことを嬉しく思う反面、私はどこかで虚しさのようなものも感じていた。
「壊れちゃったのかな?」
 と、呼びかけてみるが、反応はない。しかし、脇腹を力いっぱい蹴り上げてみた時、そいつは再び音を発して仰向けになった。それは昔の蓄音機のようにくぐもった音だった。同時に、そいつの口の部分からは赤い液体が勢いよく噴出された。
 私は続けて人形の睾丸をじわじわと圧迫する。動けもしないくせに、人形はひたすら身を捩った。苦しみを喉の奥から絞り出そうとするようなその音は、まるで人間が放つ叫びのようだった。感情や痛みを理解する人形を甚振るのがこんなに面白いなんて、今まで気付きもしなかった。
 思わず笑みが零れる。
「よかった。まだ壊れてなかったね」
「……おぐ、……たす……ぐえぇ……」
「こんなに部屋汚してくれちゃって。どうしてくれるのかな?」
「はが……うっ、ごほ……」
 既に会話は成り立たなかった。
 私は踵を持ち上げ、その睾丸を力一杯踏み潰した。それは、丸いカプセル状の入浴剤を破裂させたような感触に似ていた。小気味良さが身を包む。内部から噴き出しているであろうものを想像するだけで、自然と胸が高鳴ってくる。
 耳障りな絶叫は相変わらずだった。
 人形の滑稽な動作を見ながら、私は愉悦に浸る。転がり、咳き込み、唸り、喚く。実にみっともない姿だ。私はそいつの姿に魅入っていた。
 やがて人形はピクピクと痙攣しながら、また失禁した。その汚水は赤みがかっており、白いスラックスの下半身を染めていった。
 私はこの時になってようやく、人形が再びゴミへと変わってきていることを感じていた。これと遊べるのも、もう少しの間だけかもしれないと思うと、何となく勿体無い気がする。でも、ゴミになってしまったら捨てるのが当然だ。
 人形の目の前にしゃがみ込む。私はにっこりと笑みを作り、人形に話しかけた。
「無理にしゃべらなくていいから、聞いてね。あなた、最初に私に言った言葉を覚えてる?」
「……あ……うぅ……」
「鬱陶しいと思ったら、殴るなり蹴るなりして、血だらけにして追い出して構いません……だったかな。あなたが言った通り、私はあなたを殴って、蹴って、血だらけにした。鬱陶しかったからね。だから今度は、追い出してあげるよ」
 そこまで言って、私はデジタルの目覚まし時計を見る。
「十五秒、待ってあげる。その間にあなたはこの家から出るの。面白そうでしょ? 大丈夫。私は一切、手を出さないから」
「そ、……そん……んな……。た……たすけ――」
「もし出て行かないなら、それは約束違反だよね。その時は……覚悟してね」
「ひぃ。ひいぃ……。ひいいぃぃ」
 人形が青ざめた顔で、喉の奥から音を発する。その反応や姿が、再び私の官能をくすぐる。
「あと五秒で始めるから」
「うぁ……ちょっ……、がはっ……」
「用意――」
「ひ!……はひぃ!」
 私のスタートの声と同時に、人形は闇雲に身体を動かした。

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 人形の左手は、私の思いもよらないことに使われていた。
 私がトイレに入っていたのはものの数分だった。その間に、そいつは部屋の片隅にまで移動していたのだ。そこにある私の机にぐったりと凭れかかり、唯一使える左手で机上の物を握っている。それは、電話の子機だった。
 私の中に芽生え始めていた愛着が見事に砕かれる。打って変わった冷たい血の感触が身を包む。その感情は瞬時に私を覆い尽くし、同時に冷静かつ落ち着いた感覚を私に宿す。
「……何してるの?」
 声をかけるなり、人形は弾かれたように身体を跳ね上がらせた。弾みで子機が手から滑り落ち、同時にそいつも床に転がる。その勢いで、子機はそいつから幾分離れたところにポトリと落ちた。
 人形は顔面を蒼白にしながら子機の方へと向かう。もちろん両足を砕いておいたため、立って移動することはできない。左腕だけを使い、震えながら匍匐前進で進む。まるで亀のような遅さだ。
 私はソファに座り、じっくりとその様子を見る。
 人形は時折「ひぃ……、ひぃ……」と擦れた息を漏らす。顔には汗が滲み、相変わらず全身をガタガタと震わせている。子機ひとつに必死になっている人形の姿が滑稽で、私はくすくすと笑い声を漏らす。もちろんその笑いには、無駄な努力を嘲る以外の意味など無かった。
 人形は失禁していた。そいつの移動に合わせるように床が濡れ、異臭を放っている。
 私もまたゆっくりと歩を進めた。人形が床にある子機にその手を伸ばした時、私は既にそいつの目の前にまでたどり着いていた。人形を見下ろす。込み上げる笑みは止まりそうになかった。
「もう一回聞くね。……何してるの?」
 私の声に、人形は再び身体を大きく震わせる。
「あ、……あぁ……。す、すす、すみ……すみませ――」
「質問に答えてないよね。何してるの?」
 さらに追求すると、人形の目からは再び涙が零れた。
「でん、電話を……で、でで――」
「かけたかったの? どこに?」
「……あ、あぁぅ……」
「どこにかけたかったの?」
「ゆゆ、許してください!」
 私がゆっくりと足を振り上げると、人形はまたも騒音を口から撒き散らした。
 感情の変化から言えば、その動きをよく再現できた精巧な人形であると思う。こいつの垂れ流す音量は極めて耳障りだが、その反応自体は不思議と嫌いではなかった。
「す、すみませ、ません! すみま、すっ、ま、ません!」
 老人形はなおも謝罪の言葉を繰り返す。どうやら質問に答える気もないらしい。謝罪など、もう聞き飽きた。そう思うと、この人形の発する音声がどんどん鬱陶しく感じられてくる。
「ゆ、ゆぅゆる、許してください!……お、おね、お願いしますぅ! おねが――」
 その言葉は、途中から再び絶叫に変わった。
 今日、既に三度も聞いたバキッという快音が、再び部屋中に鳴り響く。
 人形の左手首が奇妙な形に折れ曲がるのを見ながら、私は腹の底から笑い声を上げた。

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 部屋中に再び断末魔のような叫びが木霊する。もはやそれは人間の放つ声ではない。そう感じた。
「いぎぃやあああっ!……ひぃ、ひぃああああああっ!!」
 ソレが煩く騒音を立てる中、私は何となくゴミ収集車のことを思い出していた。あの人たちは、毎日こんな耳障りな音を聞きながら仕事をしているのだろうか……
 再び足下のゴミに目を遣った時、ソレはじりじりと玄関へと向かって動いていた。形の変わった両足を引きずっている。相変わらず口からは汚い液体をダラダラと垂れ流していた。本当に厄介なゴミだ。
 私はゆっくりとソレの前へと移動した。ゴミは私の顔を見るなり、一層ガタガタと大きく震えた。必死で何かを訴えかけているように見える。その古びて壊れた玩具のような顔が、変に憎らしく思える。
 ゴミはまだ自分の立場を理解していないのか、この場から逃げ出そうとしているようだった。
 私は再び右足を振り上げる。ゴミはそれを見るなり、さらに口から大きな騒音を立てた。ゴミの分際で表情だけは豊かなのだ。じっとその顔を見つめる。ソレはまるで何年も倉庫に入れられていた埃まみれの人形のように感じられた。
「見れば見るほど可愛くないね」
 そう言いながら、私は踵で人形の右腕の骨を砕く。
 思った通り、そいつは再び絶叫した。煩い。しかし、同時に、本当によくできた人形だとも思った。表情は人間のように歪み、感情らしきものも感じられる。そう考えると、使い方によっては面白い玩具なのかもしれないとも思えてくる。何より私自身が、この人形をじわじわと破壊していくことに楽しみを見出し始めていたのだ。
 両足と右腕の機能を失い、ほとんど動きを止めた人形。私はソレを見下ろしながら問いかける。
「もしかして、怖いの?」
 人形はその言葉に即答する。
「こ、ここ、怖いです。……もう、ゆ、許してくださいいぃ……ゆる、許し、許してぇ……」
「あなたって人間みたいね。ちゃんと返事もできるし、感情もあるみたい。さっきまではゴミ同然だと思ってたけど」
「そ、そうです。にに、人間なんです。で、ですからど、どうか、殺さないで――」
「はぁ?……厚かましい人形ね。しかも私に指図? 残念。やっぱりゴミだね」
 そう言って足を振り上げると、人形はまた耳障りな音を発する。
「す、すみ、すみません!……ひ、ひと、じゃないです。人じゃないですから――」
「じゃあ、何?……あなたは、何?」
「…………」
「――つまんない。面白い人形かなって思ったんだけどな」
「は、はひぃ、はいぃ!……にんぎ、人形です! 人形です!」
「……そう。じゃあ、ひょっとしたら私を楽しませることくらいはできるかもしれないね?」
「は、はいぃ!……な、何でもします! な、何でもしますから、どうか……どうか……」
 その言葉を聞くと同時に、私は振り上げていた足をゆっくりと床に下ろした。
 人形はしきりに感謝の意を口にした。汚物と血に塗れ、奇怪な身体の形状を晒しているソレは、もはや怪物だった。醜い。汚い。煩わしい。そして……あまりにも弱々しく、こうして許しを乞うことしかできない。……しかし、だからこそ私の気持ちは高揚し、私にこの上ない愉悦を齎すのだ。
 それはとても不思議なことだった。
 こうなって初めて、この目の前の物体に愛着を感じてくるなどとは、思ってもみなかったのだから。

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 豚は拳を固く握り締め、
「あんたは……鬼だ。……悪魔だ」
 と、ほざく。家畜の低脳さにほとほと呆れる。いや、そもそもこの豚からは家畜としての可愛げすら感じられないのだ。豚として認識するなんて、豚に失礼というものだ。
「じゃあ、あなたはゴミね。存在する価値すらない、ゴミ」
 私は言いながら嘲笑していた。ゴミは床をドンと勢いよく叩くと、再び私に突進してきた。目に涙を溜め、怒号しながら私に跳びかかってくる。しかし、その動きは哀れなほど鈍かった。
 ゴミの腹を目がけて思いきり前蹴りを叩き込む。その腹部は思った以上に柔らかかった。ソレが突進してきた勢いも相俟って、私の足はまるでゴミの内部に吸い込まれるように深く突き刺さった。
「ぐえおっ!……ぐぅえ……えぇっ……」
 ゴミは呆気なくその動きを止めた。
 腹にめり込んだ私の脚を抱えるような姿勢になる。その目は大きく見開き、開いた口からは舌がダラリと覗いていた。ピクピクと身体を痙攣させながら、かすかな呻き声を漏らす。口の端から液体が零れてくる。
「汚いな……。近寄らないでくれる?」
 そう言ってゴミの腹から足を引き抜く。ゴミは白目をむく。腹を抱えてその場に蹲ると、激しく咳き込んだ。やがて床に身を転がしながら悶絶する。
 私はソファから腰を上げて立ち上がると、ゴミの無様な姿を見下した。みっともないソレの姿があまりにもおかしくて、笑い声が後から後から込み上げてくる。しばらく様子を観察する。ゴミはいつまでも転がり続け、時々喉の奥から汚い液を吐き出す。
 その姿が煩わしくて仕方がなかった。部屋の中を汚し続けるソレの存在は、私にとってゴミ以外の何物にも感じられなくなっていた。
 私は右足をすっと持ち上げ、ソレの右膝に思いきり踵を叩き付けた。
 ……バキッという心地良い音が鳴るとともに、爽快感が胸を包む。それは、硬いスチールの空き缶をグシャグシャに踏み潰すことに成功したときのような快感に似ている気がした。
「ぎぃやああああぁっ!!……ぐぅがああああぁっ!!」
 と、ゴミが絶叫する。それは耳が腐るような汚らわしい声だった。もしかしたら、それも声なんかではなく、ただ空き缶が潰れた金属音に過ぎないのかもしれないが。
「ぐううあああっ!!……い、痛てぇ!……痛ええぇ!!」
 ゴミの絶叫が部屋に響く。辛うじて言葉も混じっているようだ。でも、今の私にとっては、それが声であれ音であれ、そんなことはもうどうでもいい。ソレの動きは先ほどより勢いが無くなっていた。転がる力が弱まったのだろう。
 私は再度、右足を振り上げた。今度はゴミの左脛に焦点を絞る。
「あまり部屋を汚されると困るから。こっちもね」
 努めて穏やかに話したが、やはりゴミに言葉は通じないようだった。まぁ、当然と言えば当然なのだが。
 ソレは、まるで死神にでも出遭ったかのような形相で私を見た。必死で私に向けて手を合わせている。ゴミなりの命乞いなのかもしれない。しかし、所詮ゴミはゴミでしかないのだ。
 私はそいつの左脛に向けて再度、踵を勢いよく叩き付けた。

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 しばらくすると豚は抵抗をやめ、踏み付ける私の足の力に応じて苦悶の声だけを上げた。もう疲れてしまったのだろう。ゼェゼェと肩で息をしている。
 豚の顔は少し腫れていた。さっきより幾分マシな顔になっていると思うと、自然に笑いが込み上げてくる。
 私が足を腹から離すと、そいつはゴホゴホと咳き込み始めた。さっきまでの勢いはなくなっていた。仰向けのまま、その場に倒れ込んだままでいる。
 豚の目の端はつり上がり、歯からはギリギリと音を立てていた。
 私はソファに腰掛け、そいつを見下ろしながら、
「まだ反抗する?」
 と、問いかける。豚はしきりに歯軋りをしながら、悔しそうに鼻を鳴らしていた。
「さんざんコケにしくさって……」
 豚の嘶きは濁って聞き辛かった。私は鼻で笑ってそれに答える。
「今さら何言ってんの? 意味わかんない」
「ひ、人を豚呼ばわりまでしておいて、よくもそんなことを……」
「はぁ? あなた豚じゃないの?」
 その言葉を聞いた豚は仰向けのまま身体をぶるぶると震わせる。
 私がさらに大きな声で笑いながら、
「大体、豚のくせに言葉をしゃべってるなんて図々しいんだよ」
 と言うと、豚はまた激昂した様子だった。つくづく躾のなってない豚だ。すぐに反抗心を剥き出しにする。怒りに任せて、みすぼらしい身体を懸命に動かそうとしている姿がみっともない。
 しわしわの老豚はまだ身体を動かせるほどには回復していない様子だった。
 私はそんな哀れな豚を見ながら、静かな口調でゆっくりと話した。
「……非常識な時間にやって来る」
 私は今日の豚の行動を回想する。
 豚はもがき疲れたのか、ぐったりと身体から力を抜いていた。私は言葉を続ける。
「しつこくベルを鳴らす。玄関に入れてやれば無様にふらつく。私の手を煩わせて、自分を部屋にまで運ばせる。持ってきたのは珍しくもなんともない、くだらない二冊のパンフレット――」
 そこまで言った時、豚が、
「三冊だ!」
 と吠えた。私はそれを聞き流し、さらに言葉を紡ぐ。
「魅力の欠片もない講座を必死で勧める。どうかお願いします。お願いします、……ってね」
 言っている最中で、思い出し笑いを堪えきれなくなる。豚は一丁前に恥辱の表情を浮かべ、ようやく身体を起こしていた。
 私は笑いながら続ける。
「帰れと言ったら惨めに懇願する。それでも駄目なら恥ずかしげもなく土下座する。冷たくされて泣き始める。しまいには逆ギレして飛びかかってくる。あろうことか……この私を殺そうとする」
 言葉を連ねた後、私は嘲笑を止めた。再度、豚の目をじっと見つめる。
「存在する価値、あるの?」
 私のその言葉を期に、豚の目から再び汚い液体が垂れるのが見えた。

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 驚いた。しかし不思議と恐怖心はなかった。
 物乞いの本性が見えたような気がして、私は逆上するそいつとは裏腹に、どんどん冷静になっていった。そいつはどもりながら感情を顕わにする。
「こ……このクソ、クソ女が!」
 信じられなかった。年老いた人間からそんな下品な言葉が出てくるなんて。最初の柔らかな印象など、私の幻想だったのではないかと思えたほどだ。
「し、したっ……下手に出てりゃ、い……いい気になりやっ、やがって!」
 反旗を翻したこの物乞いを、私は心底軽蔑した。
「ちょっと。暑苦しいんだけど」
「ば、ばっ、馬鹿にしてんのかこ、この女はぁ! えぇ!」
「凄んでも怖くないし。それにあんたさ、誰に口答えしてんの?」
 私にとって、もはやこいつは畜生だった。餌欲しさに欲求を剥き出しにしている雄豚だ。涎を垂らしながら手の届かない餌にしつこく纏わりついている。そんな家畜が、人間の私に対して牙をむくなど、絶対に許せない行為だと思った。
「お、お……お前だよぉ、お、おめえ! わしをナメくさ、くさ、りおって!!」
 そう言って豚は手にしたナイフを振り翳す。
 ギロリと豚を睨みつける。そいつの表情が少しだけ怯むのがわかる。その瞬間、私は豚の、ナイフを手にした方の腕をがっちりと掴んだ。思った以上に、豚は非力だった。それでも豚は感情に任せてナイフを私に突き立てようと力を込めている。
「こ、こ、ころして……して、やるぅあ!」
 激情に身を任せた豚は面倒だ。「はぁ」とため息をつき、私はそいつの腕を背中の方へと捻り上げた。
「ぐぁ、あぁ……が……」
「豚が物を持とうなんて、おこがましいんだよ」
 言いながら、私はそいつの顔面に思いきり拳を叩き込んだ。躊躇いは無かった。
 ナイフが飛んだ。豚の手から離れ、フローリングの床に金属音を立てて転がる。豚もまた床に転がり、顔を押さえながら身をゴロゴロと転がしていた。そいつが転がる度に、鼻血が床を汚す。
 いちいち余計な掃除の手間を増やすこの豚に憤りを覚える。
「ぐああああっ!……ひぃ……う……ぎゃあああっ!」
 部屋に雑音が響いた。
 随分と大袈裟な声を上げる家畜だ。私は転がる豚の腹を踏み付けて煩わしい動きを押さえる。
「ぐぅっ……」
 少しおとなしくなる。その腹にさらに体重をかけてみる。踏み躙ってみる。
「がはっ!……あ……。あぐあああぁっ!」
 ……どうやら豚でも痛みや苦しみは感じるようだ。そいつは喉の奥から汚い声を必死で絞り出していた。その姿を見ながら、私はまた不思議な感覚に囚われる。これが弱い者いじめというものの楽しさなのだろうか。それとも別のものなのだろうか。
 ただ、私がこの行為に快感を得ているということだけは、どうやら事実らしかった。

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 私は立ち上がり、物乞いの帰りを促すように玄関へと手を伸ばす。すると物乞いは慌てた素振りで、浅く腰掛けていたソファから下りた。そして突然、その場にしゃがみ込むと、床に頭を擦りつけ、土下座を始めた。
 ちょうど、私の足下に跪くような形になる。物乞いは縋りつくように震えた声を発する。
「どうぞお願いいたします。ご入会いただければ、特典も付けさせていただきます」
「へぇ。どんな?」
 私は無感情に言葉を返す。
「それは、その……。毎月分の映画チケットとか、それから……ビール無料券とか――」
 安っぽい特典に呆れ返る。しかし同時に、私は必死になっているそいつを前に、わずかな優越感をも抱いてきていた。大のオトナがこうして足下に跪く姿を見るのも、なかなかオツなものかもしれない。
「えっと……それから――」
「嬉しいわ。いろいろなサービスがあるのね」
「は、はい! それはもういくらでも!」
「じゃあ、どうぞ他所でお願いね」
 私は微笑を浮かべてそう答えた。物乞いの呆けた汚い顔が、ますます滑稽で可笑しく見えた。

 それは突然の変化だった。
「ぶへっ……だは……なっはっは……」
 薄気味悪い声の主は物乞いのものだった。
 気が触れたように笑っている。精神的に追い詰め過ぎたのかもしれない。
 とは言え、私には何の非もない。ただ招かざる客人の勧誘を断っただけなのだ。罪悪感を抱く必要などない。ましてこいつには、もはや人間としての尊厳など微塵も感じない。
 彼は惨めな物乞いに過ぎないのだから。
「気持ち悪い。さっさと帰ってよ」
 と、冷たくあしらう。しかしそいつはそれでも笑い続けていた。怒りが込み上げてくる。
「帰れって言ってんでしょ! マジでウザイんだけど!」
 ……下品な言葉が自然に口をついて出たことに驚く。
 別にお嬢様育ちなどではない。しかし、人間に対してこんな風に罵声を浴びせかけたのは、きっと生まれて初めてのことだったと思う。そして、何より信じられなかったのは、そいつを罵倒した時に快感のようなものが身体中を巡ったことに対してだった。
 物乞いはその言葉を期に笑いを止めた。正座の姿勢で両拳を太腿の上に乗せ、身体全体をブルブルと震わせていた。俯いたそいつの顔の辺りから、ポタポタと滴がいくつも垂れていく。おそらくまた泣き始めたのだろう。
 本当に鬱陶しい。しかし、なぜかそんな惨めな物乞いの姿を見ていると、不思議と心が安らいでいった。おかしな話だが、それは性的な興奮にも似ている気がした。
 と、突然、物乞いは勢いよく立ち上がると、私に身体ごとぶつかってきた。
 二人でソファに凭れかかる形になる。左手で胸座を掴まれる。物乞いが顔を近付けてくる。
 そいつの反対側の手には、鋭利なナイフが握られていた。

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 老人は、私が断るごとに沈んだ様子を見せた。
 しかし、先ほどまで彼にしていた気遣いの必要性は既に感じない。それどころか、話が進むにつれて、苛立ちばかりが増していくのだ。
 老人が再び声を大きくして身を乗り出す。必死なその姿が、今では滑稽に見えた。
「これはお勧めです。スイミング講座です。非の打ち所の無いスタイルをお持ちの奥様とて、油断は禁物です。二の腕やお腹など、普段はあまり目立たないところに限って、じわじわと弛みが出てくるものです。奥様だって、数年したらもう見るに耐えない姿になってしまう恐れもありますからね。この機会に――」
 もう最後まで話を聞く気にもなれなかった。
 あまりに失礼な言動の数々。一時はこの老人を上品だと感じた。仕事の苦労に同情した。好感すらもっていた。でも今は違う。こいつは、単に署名と捺印のみを欲する醜悪な死に損ないだ。そんな下等な人間を、どう敬えと言うのか。
 老人?――馬鹿げている。こんなやつは、ジジイで十分だ。
「もう結構です。お帰りください」
 と、私は突き放すように言い捨てる。ジジイは声を止め、身を震わせていた。よく見ると、そいつは涙を流していた。ゾクッと背筋に冷たいものが這い上がってくるような感覚に襲われる。それは、先ほど血塗れになったそいつの姿を想像した時の感覚に似ているような気がした。口元に笑みが零れてくるのが不思議だった。
 既にジジイに対する情は感じなかった。そいつは弱々しく立ち上がり、涙ながらに言葉を紡ぐ。
「どうしても、ご入会いただけませんか?」
「はい。結構です」
「……あの。実は私の会社にはノルマがありまして、今月が締めなんです。ですので……どうしても入っていただかないと困るんです」
 普段なら年老いた人からこんな話を聞かされたら、同情のひとつもしたに違いない。だが、今の私にはそんな気持ちは全く無かった。それどころか、このジジイの泣き落とし作戦のようなものが、やたらと癪に障った。そいつの顔が、まるで物乞いをする浮浪者のように感じられる。
「大変ですね。では、お引き取りください」
 冷淡な言葉だと承知していた。しかし、今や目の前にいる物乞いは鬱陶しく、邪魔な存在以外の何者でもなかった。既にまともな人間としてさえも認識できなくなっているほどなのだから。
「ちょ、ちょっとお待ちください!」
 と、物乞いが鞄から新しいパンフレットを取り出した。三冊目だ。前の二冊とは明らかにその様相が違っていた。
「これは上級会員だけの特別な講座で――」
 表紙は黒一色で覆われていた。下のほうに、銀の箔押しでロゴらしきものが小さく入っている。そのパンフレットは、まるでリビングの空間を切り取るかのような存在感を放っていた。
 私はそれに気を取られつつも、目の前の小汚い物乞いの存在がどうしても許せなかった。
「……どうぞ、お引き取りを」
「どうか……、どうか一目だけでも――」
「帰ってください」
 とにかくそいつが煩わしかった。

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