Black Onyx [ブラックオニキス];2008/ 02の記事一覧

ここでは、Black Onyx [ブラックオニキス]での 2008年 02月 に掲載した記事を表示しています。
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「お楽しみはこれからですよ。」

 彼女――恵美の言葉には、恐ろしいほどの悪意が感じられた。
 ヒールの爪先で蹴り上げられた俺は身体をくの字に曲げ、股間を押さえて床の上を転げ回る。
 瞼の裏が真っ暗になるような感覚。下半身に走る激痛。その痛みは瞬時に全身を駆け巡り、脳を揺さぶられるような衝撃へと転じる。
「ぐあぁ……あ……」
 叫ぶことすらままならなかった。あまりの苦しみに、俺の口からはただ呻き声が漏れるだけだった。
 俺はやがて床に突っ伏し、身体を小刻みに震わせた。動きを止めた俺の目の前には、すらりと伸びた恵美の脚が迫っていた。それは、大きく聳え立つ塔のように見えた。
 彼女が爪先を床にコツコツと叩きつけ、挑発的な態度を見せる。
 白くて長く、そして適度に張りのある、美脚と呼ぶに相応しいその魅惑的な脚。しかし今の俺にとってそれは、まさに凶器そのものだった。
 恵美は俺の目の前にしゃがみ込むと、貫くような瞳で俺の目を覗き込んだ。
「痛いですね。ごめんなさいね。」
 そう言って恵美はくすりと笑う。
 その微笑みの奥に、俺はとてつもなく大きな狂気の影を垣間見たような気がした。まるで冷たい氷のようなものが、背筋をじわじわと這い上がってくるような感覚。俺は自分の恐怖心がだんだんと肥大化していくのを感じていた。
 茜と里佳子は俺の両脇に立ち、悶絶する俺の様子をじっくりと舐めるように見回していた。
 二人が目で合図し合うのが俺の目に映る。
「では、そろそろ……」
「……そうですわね。」
 俺にはその会話の意味が全く分からなかった。しかし彼女たちのその口ぶりは、さも当然のことを話しているかのようにサラリとしたものだった。
 茜と里佳子はほぼ同時に、勢いよく倒れ込んだ俺に飛びかかってきた。二人がかりで手足を押さえつけてくる。未だ睾丸の痛みが癒えない俺には、到底為す術などなかった。
 身に着けた上着を次々と脱がされる。ベルトを外され、ズボンを剥がされる。下着は上下とも乱暴に破られ、あっという間に俺は全裸にされていた。
「こ……こんなことをして……」
 必死で抗議の意を表す。
 その言葉を聞いた恵美は、ゆっくりと俺に近付いてきた。俺の目をじっと見つめる。
「こんなことをして……ただで済むと思うのか、ですか?」
 恵美の口調には俺への侮蔑がはっきりと感じられた。
 茜がそれを受けて口を開く。
「それは、私たちの台詞ではございませんか?」
 彼女の視線は壊れたビデオカメラに向けられていた。彼女の言葉を機に、三人は同時に笑った。

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 スチュワーデスの口からは、淀みなく言葉が流れ出た。
「紹介させていただきます。こちらが白峰茜、そしてこちらが朝妻里佳子でございます。」
 二人はそれぞれ俺に一礼をする。
 茜は瞳が大きく、柔和な雰囲気を全身から醸し出していた。簡単に言えば癒し系といったところだろうか。厚めの唇が色気を感じさせる。反対に、里佳子の瞳は切れ長であった。どことなく近寄り難い雰囲気が、彼女の魅力の一つになっているようだった。言うなれば、キャリアウーマンタイプだろう。
「は、はぁ。どうも。」
 気の無い返事をする。とにかくこんなところに連れて来られる覚えなど全く無いということを、さり気なく仕草に表すことが肝心だ。
 女は続ける。
「申し遅れました。私は牧野恵美と申します。どうぞ、お見知りおきを。」
 三人の中でも一際目立つ、美しい女性だった。端正な顔立ち。見る者を虜にするような、妖しい輝きの瞳。全身から妖艶な大人の色香を漂わせている。その振舞いから見ても、彼女がこの中で一番高い地位を得ていることは何となく察しがついた。
「あ、はい。……あの、それで?」
 あくまで惚けて見せる。相手方の出方が分かるまでは、決して怪しい動きを見せてはいけない。俺はどうしていいのか分からないといった素振りで、三人の顔を見回した。
 恵美がにっこりと笑って俺に近付く。
「『それで……?』」
 含みのあるその笑顔に、俺は鼓動が一つ大きく高鳴る。背筋に冷たいものが上ってくるような感じがした。見ると恵美は突き刺すような視線を俺に送っている。慌てて目を逸らす。その先にいた茜と里佳子もまた同じような視線で、俺を見つめているのだった。
 茜が後ろから口を挟む。
「恵美さん。やはり、やむを得ないのではないでしょうか。」
 その声は、どこか楽しそうに聞こえた。
 あらためて三人の顔を見回す。その時、さっきまでうっすらと感じていた違和感の正体が何となく分かった気がした。
 三人とも、口元が大きく弓なりに曲がっていたのだ。
 ――この女たちは、やはり知っていたんだ。
 一筋の冷や汗が、眉間から頬を伝って流れ落ちる。彼女たちの目的がようやく分かった。それに気付いた時には、時は既に遅かった。
 里佳子がふと俺の目の前に来たと思った時には、既に俺の手元から鞄がかすめ取られていた。
 俺は動揺を隠し切れずに叫んだ。
「や、やめてください! それは、何でもないんです。返してください!」
 思わず里佳子に飛びかかろうとする俺を、恵美と茜が両脇から押さえ込む。
 里佳子は俺の言葉をまるで聞く様子もなく、録画された映像を淡々と再生し始めた。
「……立派な証拠ですこと。」
 里佳子が「ふふ」と笑う。
 俺には返す言葉がなかった。ただがっくりと肩を落とし、黙っているしかなかった。
 彼女はおもむろにビデオカメラからテープを抜き取る。そして空になったビデオカメラを勢いよく踏み付けた。彼女がぐりぐりと踏み躙った後に残ったビデオカメラは、見る影もなく破壊されていた。
 俺は彼女の脚力に驚き、腰を抜かしてしまった。あのカメラを、一撃で……
 犯罪がバレてしまったことよりも、今はその恐怖の方が遥かに大きかった。
 三人は俺をまっすぐ見つめ、好奇心を抑えきれない子どものようにくすくすと笑い声を漏らしていた。

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 その声が聞こえてきたのは、空港に到着してすぐのことだった。
「お客様。申し訳ありませんが、少々お時間を頂けますでしょうか。」
 耳に心地よい上品な声だった。
「……はぁ。」
 振り返るとそこには先ほど機内にいたスチュワーデスが立っていた。嫌な予感が俺の頭を掠める。春海は不安げな面持ちで、俺のジャケットの裾を少しだけ引っ張った。
 スチュワーデスが言葉を続ける。
「どうぞ、ご一緒にお願いいたします。」
 俺は内心動揺していた。
 スカートの中を何度も盗撮したスチュワーデスであることは間違いなかった。そしてその女が今、理由も告げずに、俺に同行を求めている。
 ――気付かれた? いや、まさか。そんな隙は見せた覚えはない。
 鼓動が高鳴っていくのが分かった。それを察してか、春海はますます不安の表情を強くしていた。ここで下手な素振りを見せたら、却って怪しまれることは間違いない。大丈夫だ。決して見つかってなどいないはずだ。
 俺は自分に言い聞かせた。心を落ち着かせ、ごく自然な表情を繕う。春海の手をぐっと握り締め、その瞳をじっと見つめる。
「何か分からないけど、ちょっと行ってくるよ。」
 平静を装うにはかなりの努力が必要だった。何しろこんな経験は生まれて初めてだ。やましいことがあるだけに、そのプレッシャーは相当なものだった。
 春海は不安の表情を解かなかったが、やがて小さく頷いた。
「うん。ロビーのベンチで待ってるね。」


 通された部屋は空港内の片隅にあった。
 外からでは一見それとは分からないほど奥まった場所に、その部屋は位置していた。中に入る。その部屋が異常であることはすぐに分かった。
 窓一つない密室空間。扉を閉めると、電気を点けなければ何も見えない。その部屋は陰鬱な暗さを称えていた。
 案内してきたスチュワーデスが電灯のスイッチを入れると、そこには案内してきたスチュワーデスの他にもう二人、別のスチュワーデスが待機していた。俺は暗闇から突如現れた二人の存在に驚き、思わず情けない声を上げてしまう。
「突然お呼び出ししてしまいまして、誠に申し訳ありませんでした。」
 俺を案内してきたスチュワーデスが丁重な挨拶をする。残る二人も同時に俺に会釈をする。俺もつられて会釈する。しかし、俺は心の中の警戒心だけは常に保っていた。少なくとも、このスチュワーデスたちの目的が何なのかはっきりするまでは油断できない。
 そう心に誓い、俺は顔から動揺の色を消した。

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 シートベルト着用のサインが解除された。
 窓の外は今や澄み渡った水色一色で彩られ、見下ろした先にある真っ白な雲はまるで絨毯のように飛行機の下をくまなく覆っていた。
 到着予定時刻を告げる機長のアナウンスを上の空で聞きながら、俺は手持ちの鞄に手を入れる。
「久しぶりだよね。旅行に行くの。」
 隣に座っている彼女がふいに声をかけてくる。
 背の小さな彼女だ。おまけに高校生と言っても違和感がないほどの幼い顔立ち。清楚で可愛らしい服装は、彼女の趣味だ。スカートから覗く生足に、俺は性欲を刺激される。
 付き合い始めてまだ一ヶ月。セックスもまだだ。加えて彼女が処女だということも最近になって知った。厄介な女に捕まったもんだと自嘲する。俺は手を止め、顔だけを彼女の方に向ける。
「行き先、ハワイじゃなくてごめんな。」
 少し俯いたまま、俺は小さな声で応えた。
「ううん、いいの。あー、やっぱり気にしてたんだ。」
 力なく応える俺を励ますように、彼女は明るく声をかける。
 直前まで計画していたハワイ旅行が、予算の関係で国内に変更になったのだ。自分の不甲斐なさに、俺はほとほと呆れかえったものだった。彼女も残念だったろうに、むしろこうして励ますような言葉を俺にかける。きっと、俺にはもったいないくらいの素晴らしい彼女なのだろう。
「私は昭夫くんと一緒に旅行が出来ること自体が嬉しいの。」
 そう口では言うけれど、彼女はやはり残念そうな表情だった。俺は力なく項垂れ、彼女から目を逸らすような仕草をしてみせる。
「ありがとな、春海。」
 俺の言葉に、彼女はまた屈託のない笑みを浮かべた。
 ――そろそろセッティングしないとな……
 俺は鞄に手を突っ込んだまま、その中にあるものをぐっと握った。鞄に少しだけ開けた穴からそっとレンズを覗かせる。最新式の撮影用デジタルビデオカメラのレンズは小型で、パッと見それと気付くものはまずいないだろう。
 セッティングを終えた俺はひと息つき、柔らかい背もたれに身体を預けた。
 機内をぐるりと見回す。いつも思うが、スチュワーデス――最近はキャビンアテンダントなどとも呼ぶらしいが、俺にはどうもまだ馴染めない――はどうしてこうも美人揃いなのだろうか。皆が皆好みというわけではもちろんないが、少なくとも目に痛いようなブサイクは未だかつて見たことがない。間違いなく面接時には顔審査があるのだろう。そんなことを考え、俺は口元だけで笑った。
 ――さて、今日はいい絵が撮れるか。
 ここからが俺の勝負なのだ。行為がバレてしまうなどというミスは当然論外。いかにしてヌケる絵を撮るか。それが俺の最大の目的なのだ。
 春海はうとうとと眠りの世界へ入っている。彼女は本当によく空気を読んでくれる。俺は再び、皮肉な笑いを浮かべた。
 
 機内が安定し始めて数分が経過した頃、スチュワーデスが毛布を配りに来た。それは、俺にとっては仕事の始まりの合図。
 鞄のレンズを上向きにして、足元にそっと置く。リモコンを手に忍ばせ、録画用のスイッチにそっと指をかけた。

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 ――怖い。
 その感情だけが、俺の身体中をじわじわと蝕んでいった。
「どうして差し上げましょうか……」
 丁寧な言葉遣いの裏に隠された目の前の女の本性を、俺は既に知っていた。怯える俺を見つめる瞳が他にも二つ。彼女たちもまた、俺に身動き一つ与えないほどの威圧感をもって俺に迫っていた。
「存分に苦しめて……」
「楽しそうですわ。」
 三人とも、口元には笑みが零れていた。
 綺麗な顔立ちに抜群のプロポーション。清潔感のある正装。美しく伸びた長く白い脚を、薄いストッキングが包み込んでいた。とにかく美人である。それらは皆、三人に共通して言えることだった。
 しかし俺は、そんな彼女たちが恐ろしくて仕方がなかった。
 今、彼女たちが俺に向けているのは、あくまで本能的な感情。例えるならそれは、猫がネズミを弄ぶ時に見せるようなものと同じ。報復という名の大義名分を得た、集団心理。
 俺が犯してしまった過ちと、それに対する報復。その因果関係を見事に再現するように、彼女たちの瞳はギラギラと輝いていた。
 一歩前に出た女は、項垂れた俺の顔を覗き込むように頭を傾げる。
「性欲があるからいけないんです。」
 俺はその言葉の意味をすぐに理解することはできなかった。
 女が言葉を続ける。
「源流を絶ってしまえば、こんな過ちは犯さないでしょうね。」
 そう言って女は声を上げて笑った。後ろにいる二人の女もその言葉につられるように高い笑い声を上げる。そして、三人の瞳はまるで獲物を狙う肉食獣のように鋭くなった。
 背筋が凍りつくのを感じる。
 俺はとっさに走り出していた。この狭い密室の中、扉まで辿り着くのは一秒あれば十分だった。しかしその扉にはしっかりと鍵がかかっていた。それはカードキーが必要なタイプのものだった。
 必死だった。
 俺は扉に体当たりをしようと、扉から少し離れて身構える。次の瞬間、目の前が真っ暗になるのを感じた。俺はその場に声もなく崩れ落ちる。
 内臓を直接嬲られているような鈍痛が、後から俺に襲いかかってきた。
 目の端に映ったのは、女の持ち上げた足。ヒールの爪先で、睾丸を思いきり突き上げられたらしいことはすぐに分かった。女が誇らしげに、その爪先を遊ばせるように左右に動かしていたのだから。
「どこへ行かれるおつもりですか?」
 ようやくその足を地に着けた女が冷ややかな声で問う。彼女は不敵な笑みを浮かべていた。しかしその瞳は相変わらず鋭く、決して笑ってなどいなかった。
 俺には彼女の質問に答える余裕など到底なかった。

「お楽しみはこれからですよ。」

 女の言葉が、俺の耳に木霊した。

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大変長らくお待たせいたしました。
昨年、100,000ヒット記念の際に皆様よりお寄せいただいた、リクエスト投票の回答の結果に基づく作品が、ようやく完成に近付いてまいりました。
今回は、やはりダントツで投票数の多かった「ひたすら睾丸を狙われる」を、作品のテーマに選ばせていただきました。
期間中にはたくさんのご投票を頂き、本当にありがとうございました。
投票していただいた方々には、あらためてこの場をもってお礼申し上げます。
現在作品を執筆中ですので、連載開始まで今しばらくお待ちください。
一話完結の短編をご紹介いたしました。

幸せの形は人それぞれ。
男と女の関係も、その愛情表現もまた然り。
それが、他人から見ていかに不自然で歪んだ世界であったとしても……

私の脳みそは、実はほとんど溶けてしまっています(笑)
そこから生まれる作品は、私にとっても未知な部分が多いのです。

お読みくださった方々に、深く感謝いたします。
今後もBlack Onyx [ブラックオニキス]を、どうぞ御贔屓に。


現在、作品についてのアンケートを募集しています。
→ ◆アンケート◆
早速ご回答いただいた方々、本当にありがとうございます。
ご回答と自己評価を照らし合わせ、自分なりの反省材料にさせていただいてます。
今回でアンケートも第三回目になりますが、回答数が少しずつ減ってきていまして……
少々自信を失いつつある、弱気なryonazです。どうぞ温かい目で見守ってやってください。

まだまだ皆様のお声をお待ちしています。
今後の作品制作のため、また作者のボルテージ保持のため(笑)、ぜひご協力ください。
どうぞよろしくお願いいたします。
(※投票停止しました。)

作品を気に入ってくださった方は、ぜひ拍手のクリックをお願いします。
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 彼は今日もそこにいた。
 仕事から帰ってきた彼女を目の前にしても、彼は黙ったまま。彼女に声一つかけることはない。
 薄暗い部屋が彼女の指先一つで明るくなる。彼のいる六畳の部屋には強すぎるほどの光だ。点灯した電球は、天井を見つめている彼にとっては少し眩しすぎた。
 彼は顔を少し横に向ける。そして、ただ静かに、着替える彼女を見つめていた。
 身に着けた衣類の一枚一枚が、彼女の身体から剥がれていく。その度に、彼女の魅惑的な身体のラインが露わになる。やがて下着だけになった彼女の妖艶な肢体が彼の瞳に映し出された。
 彼のモノは最大限に勃起していた。彼女の魅力は、彼の視線を釘付けにしていた。
 やがて彼女は、クローゼットから薄紫色のネグリジェを取り出し、身に纏う。
 薄いネグリジェから覗く下着と瑞々しい肌が、彼のエクスタシーをさらに高めていく。
 しかし彼は、ただそこにいることしかできなかった。
 彼女もまた、彼に声をかけることはない。それどころか、彼の方を見ようともしない。まるでその存在にすら気付いていないかのように。
 彼女はそれから浴槽に湯を張り、温かいコーヒーを入れる。テレビをつけ、キッチンに立った彼女の手には包丁が握られた。やがて、トントンとリズムのよい音が響いてくる。
 彼女のそんな姿を、彼は何を思って見つめているのだろう。
 湯が浴槽を満たした時、彼女は湯を止める。そしてコーヒーとサラダを手に、彼のいるフローリングの部屋へと戻って来る。
 彼の分はなかった。
 彼女の瞳に映っているのは、先ほどから独り言をしゃべり続けているテレビ。彼女はブラウン管から目を離すことなく、持ってきたコーヒーやサラダをテーブルの上に並べていく。やがて彼女は、テーブルの前に腰を下ろした。
 その時彼は、彼女の柔らかいお尻の下にいた。
 彼はそこにいて、彼女から与えられる圧迫感を全身で感じる。それでも彼は何も話そうとはしない。これが毎日の、彼女と触れ合うことができる限られた時間だというのに。
 彼の上に腰を下ろした彼女は、何事もなく食事を始める。
 彼女の柔らかいお尻の感触を、彼はどんな風に感じているのだろう。
 しかしそれでも、彼が言葉を発することはない。じっと、ただその重みに耐えるだけ。
 それは、彼女の意識が一瞬でも自分に向くことはないということを、彼自身が知っているからかもしれない。彼女のお尻に敷かれることだけが自分の存在意義だということを、彼自身が悟っているからかもしれない。
 いつものように、彼は黙って彼女に踏まれる。身動き一つすることなく。
 もしかしたらそれは、彼自身が望んでいることなのかもしれない。
 彼がそこに幸せを感じているのであれば、きっとそれでいいのだろう。

 彼の目から一滴の涙が零れ落ちた。
 喜びの全てを解放するように、彼は心の中で何度も叫んだ。

 手足を切断され、喉を潰されている彼にとっては、それだけが唯一の生き甲斐なのだから。



END

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ブラオニBBS閉鎖に伴い、掲示板に掲載していた情報をサイトへ移動しました。

右サイドバーのカテゴリー内「逆リョナ情報」からご覧になれます。

よろしければ、今後もご活用ください。

尚、逆リョナ情報をお持ちの方は、ぜひコメント欄にお寄せください。お待ちしております。

逆リョナ情報
早いもので、Black Onyx [ブラックオニキス]はもうすぐ一周年を迎えます。
おかげさまで、サイトのアクセス数は150,000ヒットを超えました。
皆様に支えられながら、励まされながら、何とかここまでやってこられました。
本当にありがとうございます。
これからもこの感謝の気持ちを忘れず、ますます精進していきたいと思っています。
今後も、Black Onyx [ブラックオニキス]をどうぞよろしくお願いいたします。

第一回、第二回とそれぞれのアンケートへのご協力、本当にありがとうございます。
皆様のお声をお聞きすることが、新たな作品づくりへの糧となっています。
今後も継続していきますので、お時間のある方はぜひお気軽にご回答ください。
また、結果のみの閲覧も可能です。ご参考になれば幸いです。

今回も新作のアンケートを実施したいと思います。
簡単なものなので、よろしければぜひご協力ください。(複数回答可


●アンケートは◆こちら◆(※投票停止しました。)

●旧アンケート結果(※投票停止)
ブラオニBBSを閉鎖させていただきます。

理由は、FC2掲示板のあまりの障害の多さに起因するものです。

2007/12/18に、メンテナンス時にデータベースの移行中にエラーが発生するという障害が起こり、その弊害として一部ログの欠損の症状が出るということがありました。
その時は管理人の手作業により復旧させました。
しかしその後、2008/02/04に再びログの欠損が起こりました。
前回の障害から二ヶ月も経たないうちにです。
結果、一部ご来訪いただいた方の書き込みが消えてしまいました。
そこでのFC2の対応は、前回と同じものでした。
結局何も変わっていませんし、今後も同じことが起こると考えられます。
書き込みをいただいた方に、今後もこのような不快な思いをさせてしまうおそれがあるため、誠に勝手ながら掲示板を閉鎖させていただくことにしました。
書き込みが消えてしまった方に、深くお詫び申し上げます。

これまで掲示板に書き込みをしてくださった方に、あらためて感謝いたします。
このような形で閉鎖することになり、申し訳なく思っています。
本当に勝手ではありますが、どうぞご理解のほど、よろしくお願いいたします。

◆ブラオニBBS◆(※閉鎖)
銀行強盗ものです。
久々に硬派なストーリーを書いてみました。
こういった、骨のある男を書くのもまた楽しいものです。
強くて頭のいい女性が悪党を手玉に取る様子。それをご堪能いただけたなら幸いです。
軽いタッチの話も好きですが、こういったシリアスな世界は作者ryonazの原点です。
自分にとっての初心を忘れず、これからも創作活動を続けていきたいです。

話は変わりますが、諸事情により年末から現在に至るまで本当に忙しい日々を送っています。
執筆活動も計画通りに進まず、特に一月中はほとんど更新ができませんでした。
ご来訪いただいていた方々に、あらためてお詫び申し上げます。
同時に、未更新の期間にも拍手やコメントをたくさん頂き、本当に嬉しかったです。
どうもありがとうございました。
読者の方々に支えられていることを、しみじみと実感いたしました。

今回もまた、作品をお読みいただいた方々に、あらためて感謝申し上げます。
今後もBlack Onyx [ブラックオニキス]を、どうぞよろしくお願いいたします。

作品を気に入ってくださった方は、ぜひ拍手のクリックをお願いします。
よろしければ、ブログランキングのクリックにもご協力ください。

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 騒がしく行内へと突入してきた警察官は、戸惑いの表情を隠しきれなかった。
 無理もない。目の前にあったのは、ボロ雑巾のようになった犯人と、返り血で全身を真っ赤に染めた人質だったのだから。
 警察官が突入してきたのは、ちょうど結衣が竹内のコード用結束バンドを外し終えた時だった。
 竹内が瞼の切れた目で結衣を見る。結衣は妖艶な笑みを浮かべながらそっと呟いた。
「バイバイ。」
「……あぁ。」
 竹内は結衣の笑みに応えるように口の端を不器用に持ち上げる。そんな二人の間を、裂くように警察官が割って入った。多くの警察官が狭いロビーへ次々となだれ込んでくる。一つの声が行内に響いた。
「全員動くな!」
 警察官はそれぞれに銃を構えていた。
 田中はこの騒ぎで意識を取り戻したようだった。倒れ込んだままで、田中は激しく咳き込む。事態を把握するのに時間がかかっている様子だった。竹内は田中が死んでいなかったことに安堵した。
 ――誰でも死ぬのは怖い……か。
 その時、突然結衣が声を張り上げた。
「助かりました! あの犯人二人が、急に仲間割れを始めて!」
 返り血に塗れた姿で、必死に訴えかける。それを聞いた田中がビクッと身体を震わせた。怯えたその顔には、彼女への恐れの感情がはっきりと浮かんでいた。それでも必死で未だ血の滴る口を動かし、抗議の意志を見せる。
「ち……違う! あ、あの女……――!!――ううっ……」
 田中の言葉が急に途切れる。
 竹内にははっきりと見えた。結衣が冷たく突き刺さるような視線を田中に送っているのが。
 ――役者が違うな。
 竹内は自嘲し、自分たちの負けをあらためて噛み締めていた。そして静かに口を開く。
「……間違いありません。」
 その途端、田中がとても信じられないといった視線を竹内に向けた。
 やがて田中は、悄然と項垂れた。
 警察は事実を確認――正確には誤認だが――すると同時に、竹内と田中に手錠をかけた。
「押し込み、二名確保! 現逮!」
 その言葉を機に、警察官は結衣と気絶している女に走り寄る。
「人質二名、無事確認!」
「タンカ、急げ!」
 警官の言葉に、竹内は思わず吹き出しそうになる。
 ――警察も、まさかタンカを必要とするのが犯人の方だなんて、想像もしてなかっただろうな……
 妙におかしく思えて、竹内は耐え切れずこっそりと笑った。ふいに後ろから視線を感じ、結衣の方を振り返る。すると、彼女もまた密かに口元を緩ませていた。
 二人の視線が交差する。
 それが竹内と結衣の、最後の時間だった。


 竹内と田中が、それぞれタンカに乗せられた。
 運ばれる最中、気絶していた女性銀行員が身体を起こすのを竹内は見た。彼女はふらつく足で結衣に近寄り、耳元で何か囁いている。
 竹内には、その言葉が想像できた。

「――結衣さん。ありがとう。」

 おそらく、正解だろう。
 大輪の花の芽がほころぶように、結衣が微笑んだから。



END

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「訊きたいことはそれだけ?」
 結衣は淡白な口調で竹内に問う。
「あぁ。……そうだな。」
 竹内はゆっくりと息を吐く。
 ――どれほどの痛みなんだろうな……。睾丸を潰されるってのは……
 竹内はあらためて、心から怖いと思えるこの状況に身を委ねた。全身の力を抜き、じっとその時を待つ。自分が壊される瞬間をしっかりとこの目に焼き付けようと、結衣の足に視点を移動する。
 しかし、結衣の足はなかなか持ち上げられなかった。
 結衣はヒールの先端を竹内の睾丸に押し当てたまま、足で陰茎を弄び始めた。魅惑的な結衣の足とその動きに魅入ってしまっている自分に気付き、竹内は戸惑う。陰部に与えられる刺激に、竹内は思わず本能的な声を上げてしまう。
 竹内は自分の欲情に鞭打つように、言葉を放つ。
「待つのは苦手でね。どうぞ、一思いに。」
 しかしその足の動きが止まることはなかった。結衣が竹内の目をじっと覗き込む。
「その言葉。ここが嘘だって言ってるよ。」
 結衣がにっこりと笑いながら、竹内の股間に目を移す。
 竹内は勃起していた。
 ――どうやらこの女にイカレちまったらしい。
 結衣は竹内の陰部を刺激し続ける。竹内は、もはや見栄や羞恥心を感じることはなかった。陰茎を足で刺激されることに身を委ね、竹内はズボンの中で勢いよく射精した。
「あなたも、男ね。」
 結衣がくすりと笑う。
「ええ。お陰様で。」
 竹内はこの時、この女と自分との格の違いをはっきりと理解した。
 自分より遥かに上を行く女がいた。彼女に勝つつもりでいた自分が情けなくすら思える。罠にかかった自分が馬鹿だったのだ。
「俺の、負けだ。」
 竹内は声に出して、彼女にそう告げた。
 結衣は微笑み、竹内の全身を舐めるように見回すと、竹内の身体中を責め始めた。
 顔を蹴り上げられ、真っ赤に腫れた顔のどこからともなく血が滲む。腹を何度も殴られ、蹴られ、吐血を繰り返す。睾丸を何度も甚振られ、内側から込み上げる苦痛に悶絶する。片方の腕を折られ、激痛に顔を歪める。
 結衣の攻撃が止む頃には、竹内は見る影もなくボロボロになっていた。
 竹内は朦朧とする頭で、ピクリとも動かなくなった自分の身体に違和感を抱いていた。仰向けで倒れ込んでいる竹内の顔を、結衣が見下ろす。
 その口元には、やはりうっすらと笑みが零れているのだった。
 竹内は口だけを辛うじて動かし、言葉を発する。
「できれば……最初の犯罪を、犯す前に……あんたに出会いたかったな。」
 その言葉で結衣が再びにっこりと笑う。このあまりにも艶やかな笑顔……
 
 そう。この女の美しさこそが、最大のトラップだったのだ。

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 その時、それがはっきりと見えた。同時に竹内は、結衣が言わんとしていることを即座に理解した。
 竹内の目の端には、田中が撃ち殺した血塗れの男性銀行員が映っていた。
 竹内は顔を顰めた。視線を結衣に戻した時、結衣の瞳は乾いていた。しかし、それはどれだけの涙よりも悲しみを感じさせた。
 結衣は、再び膝を大きく持ち上げる。
 竹内は覚悟を決めた。
「怖いな。本当に。」
 不思議なことに、覚悟を決めた途端に心が落ち着いた。
「嫌だって言ってもやるんだろ。その前に……聞かせてくれないか。」
 竹内は低く、重い口調で結衣に問いかけた。結衣は足をゆっくりと下ろし、竹内の睾丸にヒールを当てて固定する。
「いいよ。」
 結衣はそう言って、ヒールの先で竹内の睾丸を軽く突く。
「悪いな。感謝するよ。」
 竹内にはもはや迷いはなかった。
「あんたが俺たちから銃を奪った時、あんたは俺たちじゃなくて防犯カメラを狙った。」
 竹内の言葉を聞き、結衣が笑う。そこに否定の意は感じられなかった。
 竹内が続ける。
「あれは、こうなることを記録されたくなかったからだろ?」
 結衣は少し照れたような顔で微笑み、やがてコクリと頷いた。
 竹内は喉に深く刺さった魚の骨が取れたような気分だった。あの時の彼女の行動。そこで自分が抱いた違和感の正体が今、明らかになったのだ。そして、それが一つの動かし得ない事実を表しているということに気付いた時、竹内にはもはや思い残すことはなくなっていた。
 そう。彼女にはこうなることが分かっていたのだ。俺たちとこの冷たい密室に入ったその時から、彼女にはこの結果が見えていた。俺たちがボコボコにされるこの結果が……
 竹内はさらに質問を加えた。
「ハンドガンを落としたのも、田中を油断させ、時間を稼ぐための演技。あいつにあんたが追いつめられたのも、事務机に近付いて弾倉を隠すため……。そうだな?」
 竹内の想像通り、いずれの答えもイエスだった。
 結衣が瞳を輝かせて竹内を見る。
「……見直したわ。ちなみに、その時の鍵はここ。」
 あどけない笑みを浮かべながら、結衣は自分のスカートのポケットに視線を送る。
 竹内は完全なる敗北を感じた。しかし何故か、とても清々しい気分になっているのだった。
 そんな竹内を見ながら、結衣が口を開く。
「ねぇ。あなた『ブービートラップ』って、知ってる?」
「……あぁ。」
「そういうこと。まぬけがひっかかる罠よ。」
 そう言って結衣は子どものように笑った。

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 今、竹内の目の前には、その悪魔のような女が立っている。

 ――こんな馬鹿なことがあるだろうか。よりにもよって、こんな若い女一人に……
 竹内は自分の運命を呪わずにはいられなかった。
 結衣が声をかけてくる。
「好き嫌いすると、大人になれないよ。」
 結衣の拳が竹内の鳩尾を深く抉る。その細い腕からは想像もつかないほど重いパンチだった。竹内はたまらず身体を丸めて蹲る。
「ぐ……。……おかげさまで頭の方は子どものままでな。」
 そう言いながら、竹内は口の端から胃液を垂らしていた。後ろ手に縛られているため、腹を押さえることもできない。嘔吐感を必死で堪える。
 結衣はそんな竹内の姿を見て微笑した。
「あなた。面白い人ね。」
 結衣は竹内の顔に手を伸ばし、目出し帽を脱がす。俯きかけた竹内の顎を指先で軽く持ち上げる。
「いい男じゃない。」
 そう言って結衣はまた、竹内の無防備な腹に拳を突き刺す。竹内の顔は、先ほどの結衣のビンタで真っ赤に腫れ上がっていた。
「ぐふっ……。そいつは……どうも。あんたも……悪くないぜ……」
「ありがと。」
 再び、一際鋭いパンチが竹内の内臓を揺さぶる。竹内はたまらず、膝立ちのまま顔から床に突っ伏した。四つん這いに似た格好でいる竹内の腹に、結衣はさらにヒールの爪先を叩き込む。
「ぐ……はあああっ……」
 竹内の身体はふわりと宙に浮き、反転して仰向けで床に叩きつけられた。竹内はとうとう堪えきれなくなり、口から吐瀉物を吐き出した。
 込み上げてくる不快感が、竹内を容赦なく責めたてる。
 顔を上げると、にっこりと微笑みながら竹内の両足を持ち上げる結衣の姿が見えた。
 結衣が膝をゆっくりと持ち上げる。そのヒールの先は、竹内の股間に向いていた。
「おやすみなさい。」
 結衣がにっこりと微笑む。
 ――こ……この姿勢は……
 竹内の背筋が凍りつく。先ほど見た恐ろしい光景が竹内の脳裏に蘇る。竹内は今にも恐怖でおかしくなってしまいそうだった。
 見ると、結衣は瞳の奥を覗くように、その視線を竹内へと向けていた。
「……怖いの?」
 想像もしなかった言葉が結衣の口から発せられ、竹内は混乱した。
 ――怖いか? 怖いかと聞いているのか?
 答えの分かりきっている単純な質問だったはずだ。しかし竹内はその言葉にすぐに反応することができなかった。どうしてこの女は、この状況で?

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 みるみるうちに田中のジーンズの太腿は、赤く染まっていった。
 足を押さえながら、田中は床の上をゴロゴロと転がる。
「く……くそぉ……くそおおお!」
 その声には憎しみの感情が溢れていた。結衣は悶絶する田中を横目に、短めの業務用スカートを整えたり、ストッキングに穴が開いていないかをチェックしたりしている様子だった。
 その平然とした態度に、竹内は半ば諦めにも似た感情を持った。
 ――この女、やはり只者ではなかったな……
 一通り服装を整え終わると、結衣は再度田中の側へと戻った。両足で田中の腹の上に乗る。
「ぐ……が……」
 田中は苦しさからか、声を出すこともできないようだった。全体重を乗せ、再び腹を踏み躙っている。しばらくそうした後、彼女は大きく跳びはね、ヒールの先端を田中の腹に突き刺した。
「ぐえええ……え……」
 漏れる声は痛々しかった。しかし結衣は再び口元に笑みを浮かべ、心地よさ気にその声を聞き、その様子をじっと観察しているようだった。
 間髪を入れず、彼女は田中の両足を開いて持ち上げると、自分の腰の辺りで固定した。
 そして、結衣は笑った。この上なく美しい顔で。
 田中は既に朦朧としている様子だったが、その行為を見て危険を感じたのか、ひどく怯え始めた。
「や、やめ……やめ……ごほっ……」
 しかしその声は途中で途切れてしまう。結衣はそのままの体勢で再び膝を大きく持ち上げると、田中の股間に向けて思いきりその足を振り下ろした。
「ぐ……があああああっ!」
 断末魔の声が再度、行内を包み込む。しかし結衣は足を止めようとはしなかった。何度も何度も、まるで睾丸を潰そうとしているかのように、股間を踏み付け続けた。
 やがて、田中のジーンズは股間部まで真っ赤に染まっていった。
 田中は吐瀉物と一緒に泡を吹き出し、とうとう白目を剥いてしまった。
 結衣はその様子を見て、ようやく田中の足から手を離す。ドサッという音とともに田中の足が床に落ちる。田中は既に全く力が入らない身体になっていたらしかった。
 辛うじて、何かを呟いているのが聞こえた。
「……めん、なさ……ごめ……い。」
 命乞いのためか、必死で謝っているようだった。彼女にもそれが聞こえていたのか「ふふ」と笑う。
 結衣は、倒れている田中と向き合うように、腹の上に腰を下ろす。
 竹内はその光景に言葉を失った。
 結衣は、今度は田中の顔を殴り始めたのだ。右から、左から。容赦ないパンチの嵐が田中を襲う。結衣が拳を振り下ろす度に、血が飛び交った。竹内は放心状態のままその光景をぼうっと見ていた。返り血を浴びた結衣の顔が、とても妖艶に思えた。狂気に満ちた、結衣のその表情さえも。
 血塗られた田中は、彼女にされるがまま。その後、自分ではピクリとも動くことはなかった。

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 田中は事務机に叩きつけられ、蹲った。
「う……うぅ……」
 呻き声を漏らしながら身体を起こす田中。その時、結衣は既に田中の目の前に立っていた。
「覚悟は、いい?」
 頭がふらつくのか、田中は頭を押さえ、しきりに横に振っていた。
「お……お前、よくも……」
 最後まで言葉を発する間もなく、田中は再び顎を蹴り上げられ、宙を舞う。「ぐうっ」という声を漏らし、田中は仰向けに倒れ込んだ。
 すかさず、結衣が田中の腹を足で踏み付ける。
「ぐはああああっ!」
 田中が絶叫する。
 結衣は、グリグリと抉るように田中の腹を踏み躙る。その度に、田中は聞くに堪えない叫び声を上げ続けた。
 その光景を見ながら、竹内は自分の背筋が凍りつくような感覚に襲われた。
 ――あ……あいつ……
 竹内が恐怖心を抱いたのは、これが初めてのことだったかもしれない。
 彼は見た。悶絶する田中の姿を見ながら、顔いっぱいに笑顔を浮かべている結衣の姿を。
「ごっほおおおっ!」
 一際強烈な踏み付けが田中の腹を襲った。田中は断末魔の声を響かせ、海老のように身体を丸める。結衣はその田中の顔を、思いきり蹴り上げた。
 田中の身体は再び宙を舞い、やがてドサリと床に叩きつけられる。
「げ……ごぼっ……」
 田中は嘔吐した。仰向けのまま、口からゲロゲロと吐瀉物を勢いよく吐き出した。
 竹内は呆気に取られ、しばらく声を出すことすらできなかった。
 しかし、彼が本当に彼女の恐ろしさを知ったのは、それからのことだった。
 結衣は、もはや虫の息となった田中をしばらく見つめていた。それからゆっくりと、ヒールの先端を田中の太腿に移動した。
 ――ま、まさか。あいつ……
 不思議なことに、田中を助けたいという思いはあまり浮かんでこなかった。その時竹内の心を支配していたのは、彼女への好奇心だった。
 怖くないと言ったら嘘になる。しかし、竹内は既に、彼女の美しさと残酷さのギャップの虜となっていた。怖いもの見たさ、とでも言うのだろうか。竹内は自分を心底震え上がらせる恐怖というものを見てみたいと思うようになっていた。
 結衣の瞳は輝きを失い、やがて無表情になった。
 彼女が膝を持ち上げた時、竹内は今まで体験したことのない興奮を覚えていた。
 結衣は、ヒールの先端で田中の太腿を突き刺した。そこには少しの躊躇も感じられなかった。
 田中の、耳が壊れてしまうのではないかと思えるほどの悲鳴が、行内に響き渡った。

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 田中は完全に理性を見失っている様子だった。
 蹴りを入れられ、味方を縛らされた。それも、たった一人の女に。田中にとってはこれ以上ないほどの屈辱だったに違いない。
 表情こそ笑っているが、それが却って田中の怒りの大きさを表しているようだった。
 竹内はそんな田中の様子を見ながら、不安を募らせていた。
 田中は一つ大きく息を吸い込むと、発砲の体勢を整える。
「まずはこの女から殺ってやる。」
 すかさず、それに竹内が反応する。
「待て! 本気で殺る気か? やめろ、大事な人質だ!」
 しかし竹内の声は、田中の耳には届いていないようだった。
 ここで感情の向くままに人質を一人殺してしまうことは、あまりにもリスクが大きい。むしろ、何の利益にもならないと言っても過言ではないのだ。
 本来なら田中にも十分分かることであったはずだ。しかし、今の田中は怒りと憎しみの感情でいっぱいになっている。とにかく田中を落ち着かせなければならない。竹内は焦った。
「頼む! 冷静になれ!」
 ――身動きさえ取れれば、無理矢理にでも……
 田中は狂ったように笑った。
「おい、女! お前のせいでこの女が死ぬんだ!」
 しかし結衣は動じなかった。それどころか、うっすらと笑みを零しているようにも見えた。
 竹内の頭の中で警鐘が鳴る。
 ――この女、どういうつもりだ? 何を企んでる?
 竹内の思いも空しく、トリガーは引かれた。しかし、鳴るはずの乾いた音はいつになっても聞こえてこなかった。
「あ? あら?」
 田中の間の抜けた声が響く。その後、ガチンガチンという空しい音が辺りを包んだ。
 ――そういうことか!
 竹内はようやく理解した。
 先ほど結衣が机にしまった物。あれは弾丸の入った弾倉だったのだ。
「お、おい。何だよこれ! 何なんだよ!!」
 弾が出ない。そのことで、田中はパニックを起こしていた。そのせいで、背後に立つ結衣に気付くのが遅れた。
 田中が振り返った次の瞬間には、結衣のヒールの爪先が田中のこめかみを正確に捉えていた。
 竹内は、まるでスローモーションを見ているような気分だった。田中の目が大きく見開かれる様子が、はっきりと見えた。
 結衣の体重の乗った爪先が、勢いよく振り抜かれる。田中は叫び声を上げる間もなく、吹き飛ばされた。
 
 それが悪夢の始まりだった。

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「これで満足か?」
 田中が憎々しげに言葉を吐く。
「まだよ……」
 結衣が答えたその時だった。
 床に転がっていた防犯カメラの欠片を踏み、そのはずみで結衣の手からハンドガンが滑り落ちた。
 田中はそれを見逃さなかった。
 慌てて結衣がハンドガンを拾い上げた時には、田中は既に彼女の目前に迫っていた。
 結衣は銃を手にしたまま後ずさる。田中は臆することなく、ゆっくりと彼女との距離を詰めていく。結衣はとうとう、事務机の前にまで追い詰められ、逃げ場を無くしてしまった。
「ほら、それを返しな。素人に銃は扱えねえよ。今返せば、命だけは助けてやるぞ。」
 田中は優しい言葉で呼びかける。が、言葉とは裏腹な強い語調が、彼の本心を晒してしまっていた。
 結衣には怯えている様子は見られなかった。
 くすりと笑う。
 竹内はその笑みに、結衣の本性を垣間見たような気がした。
 ――やはり、違う。違うぞ田中。そいつは……
 田中は鼻から流れ出る血を拭いながら、ギラついた目で結衣を睨んだ。
「さて。さっきのお返しだ。」
 田中が結衣に詰め寄り、平手を喰らわせる。その衝撃でハンドガンは結衣の手を離れ、カラカラと勢いよく転がっていく。ロビーの隅の壁に当たり、ハンドガンは止まった。
「馬鹿が。」
 田中が悠々とその銃を拾いに行く。
 結衣は銃を追わなかった。殴られたままの姿勢で俯いている。
 竹内は嫌な予感を拭えなかった。そしてその正体に気付いた時、背筋に衝撃が走った。
「――待て! それは罠だ!」
 竹内が叫ぶ。しかし、それはただ空気を振るわせる効果しかもたなかった。
 彼女は後ろ手で、机の引き出しの鍵を閉めていたようだった。何か大事な物をしまうため、銃をオトリにしたのだ。
 それさえあれば身を守れる、大事な武器よりも優先するものは……
 それは何だ? 大金庫の鍵か? それとも……
 突然、竹内の思考を切り裂く笑い声が行内に響いた。声の主は、ハンドガンを手にした田中だった。
「ははは。俺、もう怒っちゃった。お遊びは終わりだな。」
 田中は銃口を結衣に向け、勝ち誇った笑みを漏らす。
「油断するな!」
 竹内は田中に警告する。しかし田中は完全に頭に血が上っているのか、取り合おうとはしなかった。
「何言ってんだよ、竹内。何怯えてんだよ。」
 田中はハンドガンのトリガーに指をかける。それからゆっくりと、その照準を気絶した女へと変えた。

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 結衣は怯えた表情でその場にへたり込む。俯き、力なく蹲っていた。田中はハンドガンを手に、ゆっくりと結衣に近付いていった。
「よしよし、いい子だ。」
 田中はさらに近付くと、再び銃を小脇に抱えて蹲る結衣の前にしゃがみ込んだ。
 その時だった。
 結衣は田中の抱えたハンドガンを瞬時に掠め取り、その勢いでクルリと反転して田中の脳天に踵落としを喰らわせた。
「ぐあっ!」
 短い叫びとともに、田中が膝をつく。結衣はすかさず後ろに下がり、距離をとる。
 竹内は一瞬の出来事に、何が起こったのか理解することができなかった。
 パン、パンとハンドガンの音が行内に鳴り響いた。
 竹内は反射的にその身を屈める。しかし、彼女が狙った先は彼らではなかった。
 パラパラという音と共に何かが崩れる音がした。竹内はとっさにそちらの方を向く。その先には、壊れた防犯カメラらしきものがあった。
 ――この女……いや、まさか……
 竹内は脳裏を掠めた直感を否定しようとした。彼女の撃ったいくつかの弾丸は偶然とは思えぬほど、正確に全ての防犯カメラを捉えていたのだ。
 結衣は先ほどの怯えた様子とは打って変わり、恐ろしいほど落ち着いているように見えた。その瞳は、冷たく光っているように思えた。
 一方、田中は怒り狂っていた。倒れていた田中が身体を起こす。その顔は鼻から出た血で染まっていた。蹴られた頭を押さえ、結衣にじわじわと近寄っていく。
「……てめぇ……何してくれてんだ、コラァ!!」
 田中は手負いの獣のような目で結衣を睨みつけている。
「でも、残念ながらハズレだ!」
 弾丸の逸れた方向へと顎をしゃくり、田中はニヤリと唇を歪める。
 ――ハズレ……確かに田中の言う通りのはずだ。しかし……
 この女の腕が正確なのであれば、自分たちを狙うこともできたはずだった。しかしこの女はそれをしなかった。できなかっただけなのか、それとも……
 竹内は未だ、心の中に何か引っかかるものを感じていた。
 結衣の持つハンドガンの銃口が、田中に向けられる。田中はその動きを止めた。
 結衣は驚くほど冷静な声で、田中に指示する。
「縛りなさい。」
「は?」
「そっちの男を縛りなさい。」
 田中は不満気な顔をしていたが、銃口の輝きに負け、しぶしぶ従った。結衣の指示通り、机上にあったコード用結束バンドを使う。竹内は後ろ手に両手の親指を結束された。
 たった一本の紐がこんなにも頑丈で外れないものだということを、竹内は初めて知った。
 靴を脱がされ、足の親指も同じように縛られる。屈辱的な格好だった。
 竹内はこの情けない状況に、顔を歪めた。

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 彼女が豹変したのは、他の人間がいなくなってからだった。

 銀行内の人間のほとんどを解放すると、外はより騒がしくなった。
 出るときに銀行員にシャッターを閉めさせていたので、中から外の様子は見えない。
 救急車が到着する音もする。行内のテレビをつけると、外から生中継されている特番が映し出された。アナウンサーがけたたましくしゃべり続けている様子が、妙に滑稽だった。
 安っぽいスピーカーからは、相変わらず投降を呼びかける声が騒々しく響いている。
 竹内は田中に声をかけた。
「俺はここで対策を練る。人質の監視はお前が担当しろ。任せていいな?」
 そう言って、竹内はテレビや外から聞こえる声や音に集中する。
「俺を誰だと思ってんだ。安心して任せな。」
 しかし田中はその言葉とは裏腹に落ち着かない様子で、床にへたり込む結衣をじっと見つめていた。
 竹内は田中の悪い癖が出ることを懸念した。
「おい。」
 短く、それでいて厳しい口調で竹内は田中を戒める。しかし、田中はその言葉を意に介さず、ゆっくりと結衣に迫っていった。
「お嬢ちゃん。これからどうなると思う?」
「おい!」
 テレビの中継や周りの状況に気を配りながら、竹内はさらに田中に強く言葉をかける。
「いいじゃねえかよ、ちょっとくらい。大体お前は真面目すぎるんだ。」
「な……何を?」
 不安そうな結衣の声が、密室に響く。
 田中はハンドガンを小脇に抱え、結衣に覆い被さるような体勢をとっていた。
「死にたくないだろ? それならサービスしてもらわなきゃな。」
 言葉の意味を解したのか、結衣はやがて肩をふるわせ始めた。
「いい加減にしろ!」
 冷静だった竹内が言葉を荒げる。これまでいくつもの犯罪を重ねてきた経験から、竹内は少しの気の緩みが致命的なミスを招くことがあることを心得ていた。それだけに、彼は田中の無神経な態度に苛立ちを覚えていたのだ。
「いちいちうるせーな。」
 田中が竹内の方を振り返る。その一瞬の隙をついて結衣は田中から離れ、行内の隅へと走った。それに気付いた田中はすぐさまハンドガンを結衣の方へと向けた。
「……まだ自分の立場が分かってねえようだな。」
 田中の目は鋭かった。冷静さを取り戻したかのようにゆっくりと引き金に手を当てると、結衣の足元の床に発砲した。床に一つの穴が開く。
 ――やっと本気出しやがったか。遊びすぎなんだよ。
 竹内は田中を決して信頼してはいなかったが、その銃の扱いに関してだけは信用していた。世話のやける男だが、今の田中であれば大丈夫だろう。そう感じていた。

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 ――どうしてこんなことになったのだろう。
 竹内は、目の前の情景が信じられなかった。
 床には、まるでボロクズのようになった田中が転がっている。竹内は手足をガッチリと拘束され、身動きが取れない。
 この状況は、全てこの女が作り出したのだ。女一人で。
 女の服装は、少しも乱れていなかった。ストッキングにも傷一つない。ただ、彼女の全身は血で真っ赤に染まっていた。ヒールの底でコツコツと床に音を立て、近づいてくる。ローヒールにも血が付いており、彼女の歩いた場所にくっきりと赤い跡を残していった。
 結衣は笑っていた。口元のルージュがやけに妖しく見えた。
 ――くそっ。こんな馬鹿な……
 竹内は未だ、自分の置かれている状況に戸惑いを隠すことができなかった。何とか身を捩ったりはしてみるものの、それが徒労に過ぎないことはよく分かっていた。この状況を抜け出す方法もいろいろ考えたが、どうしても打開策は見当たらなかった。
 結衣は竹内の全身を舐めるように見回しながら、ゆっくりと歩を進める。
「どう料理されたい?」
 言いながら女は、口の端を弓なりに持ち上げる。
「辛いのだけはごめんだな。」
 竹内はそっけなくそう答える。
「そう。ふふ、甘党なのね。」
 その言葉と同時に、結衣は竹内の頬を思いきり平手で打った。竹内の顔が勢いよく横に振れ、サングラスが吹き飛ぶ。結衣はすかさず、反対の頬にも平手を打ち込む。しばらくの間、結衣の往復ビンタが竹内を襲った。
 竹内は、自分の頬がみるみるうちに腫れ上がっていくのを感じていた。
「お味はどう?」
 ぐったりとした竹内の鼻からは血が噴き出し、口元を伝って床にポタポタと垂れていた。
「……言い忘れてたよ。」
 竹内の言葉に、結衣は小首を傾げる。
「熱いのも苦手だってこと。」
「まぁ、お子様なのね。」
 結衣は表情を緩め、「はは」と声をあげて笑った。笑いながら、また何度も何度も竹内にビンタを喰らわせる。
 竹内は抵抗できないまま、ただそのビンタの連続に耐えることしかできなかった。
 視界の端に田中の姿が映る。血だまりの中に横たわる彼は、生きているのか死んでいるのか分からない。
 ――俺もああなってしまうのだろうか。
 そんなことを考えながら、竹内は先ほどの田中の行動を思い出していた。

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 結衣の瞳は潤んだままだった。しかしその瞳の奥には何となく強い意志のようなものが感じられた。
 ――この女……なかなかいい目をするな……
 それは竹内が初めて体験する感覚だった。胸の奥がじわりと熱を帯びるような刺激。何となく背筋が凍るような不思議な雰囲気。竹内は飯島結衣という女に興味を覚えてきていた。
 田中が、
「勇ましい女だよ、全く。こういう場合、この銀行の責任者か何かが真っ先に名乗りを挙げるのが普通じゃねえのか?」
 皮肉たっぷりにそう発し、再度、辺りを見回す。皆、目を逸らしているが、その中でも一回り年輩の男があからさまに肩を大きく震わせているのが見て取れた。当然、竹内の視界にもその姿ははっきりと映っていた。
 ――こいつが責任者だな。まぁ、誰だって命は惜しい。あなたには少し勇気が足りなかった。それだけのこと……
 少し空しい思いを感じながらも、竹内はさらに念をおす。
「皆さん、異論はないですね。」
 皆、相変わらず無反応のままであった。田中はその様子を見て、鼻で笑いながら指示を始めた。
「それじゃ他の奴らはさっさと外へ出ろ。もちろん一人ずつな。分かってるだろうが、騒いだりしゃべったりするんじゃねえぞ。」


 皆が我先にと出口を奪い合っていた。
 行内の人間が一人、また一人と出て行く度に、外からは大きなざわめきや歓声が聞こえてくる。
 皆が自分が助かることに精一杯になっている中、結衣だけは必死で皆に訴えかけていた。
「彼女を。お願い、彼女を一緒に……」
 未だ女を手で庇いながら、必死で声を絞っている。しかし誰一人として、その声に耳を傾ける者はいなかった。
「いい加減にしないか、お嬢ちゃん。もう決まったことだろうが。」
 田中が結衣の手をぐいと引いて押さえる。
「お願い! 私一人ならどんなことされてもいいから! お願いします!」
 結衣は哀願するように、竹内をじっと見つめる。それを見た竹内は再度、結衣の瞳をじっと覗き込み、無表情のまま「駄目です」と答えた。


 最後の一人が出て行った時、結衣はがっくりと肩を落としていた。
 ――人間なんてそんなもんだ。お嬢さんもこれで一つ勉強になっただろう。
 竹内は気落ちする彼女に同情することなく、今後のことを考えていた。
 スピーカーから、残る人質の解放を要求する声が、空しく鳴り響いていた。

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 解放を告げる言葉に、その場にいる誰もが不安と安堵の混じった複雑な息を漏らした。
 安心感と、その言葉を鵜呑みにすることはできないという気持ちの入り混じったものだったのだろう。若干ざわめき始めた行内。
 しかし次の言葉で、再び皆に緊張が走った。
「ただし……。二人だけ、人質としてこの場に残ってもらいますので。」
 竹内は、淡々とした口調でそう告げた。
 その場にいる誰もが、動揺を隠し切れないようだった。
 そうしている間にも、外からのスピーカー音声は流れ続けている。
「おう。この女を推薦するぞ。どうせならいい女の方がいいからな。」
 田中は即座に笑顔でそう言うと、未だ気絶した女を庇っている女――飯島結衣を指差した。
「異論がある奴ぁ、この銃の前へ出て来いよぉ。」
 言いながら田中は手に持ったハンドガンで肩を軽く叩いていた。
 楽しそうな声が、その場の空気から完全に浮いている。
「では、そうしましょう。異論のある方は遠慮せずに銃の前へどうぞ。」
 竹内は、相変わらずの冷静な声でそう告げた。
 もちろん、反対する者はなかった。
 名指しされた女は、しばらく身を固くしていたが、やがて一歩前に足を踏み出した。
「……分かりました。」
 周りの人間が、一瞬ざわめく。
「その代わり、私以外の方々の無事を約束してください。すぐに解放を。」
「いえ。要求は二人です。」
 竹内は無感情にそう答えた。
 田中は周りを見回し、誰ともなしに呼びかける。
「二人目の立候補者いねぇのか? 今なら激安サービス付きですよぉ。」
 その場にいる誰もが沈黙し、目を背けた。
「面倒くせえな。じゃあこいつでいいや。」
 田中が指差したのは、先ほど気絶した受付嬢だった。その指名に真っ先に反応したのは結衣だった。
「お願いします。私ならどうなっても構いません。ですから、どうか彼女は……」
「駄目です。」
 その言葉を遮るように、竹内が穏やかだが厳しい口調で言葉を返す。竹内はゆっくりと結衣の方へと歩を進め、結衣の瞳をじっと覗き込んだ。
「これはお遊びではないんです。真剣なんですよ、私たちは。」
 その言葉には有無を言わせぬ強い意志が込められていた。
「もちろん。他に立候補者がいれば話は別ですがね。」
 そう言って竹内は周りを見回す。しかし、やはり誰もその口を開こうとはしなかった。
「……決定、ですね。」
 結衣は脱力したように、その場にへたり込んだ。

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 スピーカーの声はドラマや映画で見るような迫力など微塵も感じさせない、無感情なものだった。現実とはこんなものなのかもしれない。
「くそっ!」
 田中は悔しさから、気絶した女を再び銃で殴った。二発、三発。鈍い音が行内に響く。
 銀行内の他の人間が、悔しそうな顔をしている。耐え切れず、目を背けている者もあった。
「……おい、いつまでやってんだ。それより今後のことを考えろ。」
 竹内は、無駄なことばかりする田中を窘めた。しかし田中は聞く耳を持たないようで、再び銃を振り翳す。その時だった。
 一人の女が田中の前に両手を広げて立ちはだかった。
 その女を見た時、竹内は目を瞠った。
 年齢は二十代前半くらいだろうか。艶やかな黒髪に、端正な顔立ち。色香の漂う肢体を、銀行の制服で包んでいる。
「もう、やめてください。」
 大きな瞳は、涙で潤んでいた。
 田中もその動きを止め、柄にもなく彼女に見惚れている。
 しばらくして我に返り、田中が好色な目の色になる。
「ほぉ。こんな状況で抵抗するとはな。」
 田中は矛先を目の前の女に変えたようだった。
「度胸がある女は好きなんだよなぁ。……お前、名前は?」
 女は怯えた表情で、しかしはっきりと「飯島結衣です」と答えた。
「いい女だな。腰抜けの男たちよりずっと男らしいぜ。」
 田中はケラケラと笑って、その小太りの身体を揺らした。周りを見渡すと、その場にいる銀行員や客はさっと目を背けた。人間なんて所詮、そんなものだろう。
 再び外から、耳障りなスピーカーの音が鳴り響く。残された時間は少ない。
「もういいだろ。それより、急げ。」
 竹内は必死だった。
 どうにかしてこの場を凌げる方法はないだろうかと懸命に考えを巡らせる。
「おい。いいこと思いついたぜ。」
 田中は嬉々として彼に耳打ちする。
 …………
「そうだな……。こうなったら仕方がないな。」
 竹内も考えていたことだった。短気男と同じ考えなのが癪だったが、それより他に方法はない。
 策が決まれば、後は実行に移すだけだ。
 その場にいる誰もが、その様子を震えながら見つめていた。一体何を話しているのか、気になって仕方がないようだった。
 一つ大きく息を吸い込み、竹内は口を開いた。
「これから、あなたたちを解放します。」

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 小太り男は、竹内の言い分に一応納得したらしい。
 溜息を吐き、現金を詰めている女性銀行員に銃を向けた。
「早くしてね、お嬢ちゃん。おじさんたち、もう時間ないから。」
 震える手を必死で動かしながら、女性銀行員は一つ、また一つと札束をバッグに詰めていく。
 サイレンの音はみるみるうちにここへと近付いてきた。パトカーはとうとう銀行前まで来て停車したようだった。サイレンの音は消え、それはいつしか、ざわざわと慌しく人が動く音へと変わっていた。
「思った以上にお早いお着きで。」
 竹内は皮肉たっぷりにそう呟く。サングラスの中に焦りを隠して。
 ――ここからが本当の勝負だ。
 ここから逃走する手段はいくつも用意してきた。準備も念入りにしてきたつもりではあったが、時間をかければかけるほど実行は困難になってしまうだろう。後数分もすれば、ここは警察によって完全に包囲されてしまう。
 頭の中であらゆるケースを想定し、その対処法を考える。内心の焦りとは逆に、頭は冴えていくようだった。
 対照的だったのは、小太り男の態度だ。彼は焦りを全く隠すことができない様子だった。女性銀行員に何度も罵声を浴びせ、必死で急かす。しかし、その度に女は萎縮し、却って動きを遅めてしまっているようだった。
「ご、ごめんなさい。今すぐに。今すぐ……」
 その言葉とは裏腹に彼女の手はますます震え、とうとうバッグを落としてしまった。
「何してんだよ! ふざけてんのか、てめえ!」
 小太り男が顔を真っ赤にして叫ぶ。
「ごめんなさい……すぐに……」
 女性銀行員の言葉は男の耳には届いていないようだった。業を煮やした小太り男は勢いよく彼女のところへと迫っていった。
「お前、ナメてんだろ?」
「あ……うっ……」
 小太りは持っていたハンドガンの銃底で、女性銀行員を殴り飛ばした。女は勢いよく床に頭を打ちつけ、倒れ込んだ。息はあるが、気を失ったようだった。
 竹内は眉を顰めた。
 ――チッ、小者が。
 小太り男――田中とは金で繋がった悪党仲間だが、この小心ぶりとキレやすさには辟易する。
 竹内は田中を相棒に選んだことを、早くも少し後悔していた。
 田中は女の落としたバッグを拾い上げると、自ら残りの現金を手際よくバッグに放り込んでいく。一分と経たないうちに、二つのバッグは現金でいっぱいに膨れ上がっていた。
「こんなもんだな。」
「よし、急ぐぞ。」
 二人が今にもその場を立ち去ろうとしている矢先、その声は聞こえてきた。
「犯人に告ぐ。君たちは完全に包囲されている。速やかに人質を解放し、出てきなさい。」
 スピーカーを通した無機質で事務的な声が、行内に響き渡った。

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 一発の銃声が、その場の空気を切り裂いた。
 少しの間をおき、状況を把握した男女の叫び声が辺りに響き渡った。再び銃声が鳴り、弾丸が一人の女の足元を掠めた。
 あっという間の出来事に、その場にいる全員が凍りついた。皆が銃を持った男に目を奪われる。その間に、もう一人の男が静かに受付へと歩いていく。彼は両手に一つずつ、大きなバッグを持っていた。
「静かにしてください……」
 低い声が静まり返った銀行内に響く。既に抵抗する者は誰もいなかった。
「金を詰めてください。このバッグいっぱいにね。」
 彼は受付の女性銀行員に、冷静にそう告げた。
 真冬だとはいえ、行内は温度調節が施してあるため適切な温度が保たれている。しかしそれは、目出し帽をかぶり、ダウンジャケットを着込んだ彼らにとっては暑苦しいものでしかなかった。目出し帽は目鼻口の全てが露出したタイプのものではあったが、それでも中には汗がじわじわと滲んでくる。
 長身の男はサングラスをかけていた。大きめに横に広がった目穴の両脇からテンプルを差し込んでいる。サングラスで隠れた肌の湿りを、彼はハンカチでしきりに拭っていた。
 ――てっとり早く事を済ませないとな……
 手にした二つの黒いバッグを受付の女に手渡す。受け取った女の手は震えていた。女がバッグを手に席を立った時、もう一度銃声が大きく鳴り響いた。
 悲鳴が行内を包み込み、銀行員も客も一斉にその場にしゃがみこんだ。バッグを持った女性銀行員も同じように、その場にへたり込んでいた。
「……おかしな真似をしたら、お前らもこいつみたいになっちゃうよ。」
 後ろで銃を構えている方の男が、ネチネチとした声でそう告げる。背丈が小さめのその男の体型は、小太りと言ってもよかった。彼もまた目出し帽をかぶり、身体にはジャンパーを纏っていた。小太り男はニヤニヤと笑いながら、顎で一点を指し示した。そこには、胸から血を流して絶命した男性銀行員が無惨に転がっていた。
 一際大きな叫び声が行内に響くと、小太り男はすかさず、再度天井に向けて銃を鳴らした。
 バッグを手渡した方の男が口を開く。
「声を出されては困ります。お分かりですよね、皆さん……」
 銀行内は静寂に包まれた。所々から女のすすり泣く声だけが聞こえていた。
 抜けた腰に鞭打つように、バッグを手渡された女性銀行員は現金を隙間無くバッグへと押し込んでいく。他の銀行員は為す術もなく、ただ彼女の姿を見守ることしかできなかった。
 ちょうどバッグの一つに半分ほど詰め終えた頃だろうか。
 銀行の外からパトカーらしきサイレンの音がかすかに聞こえてきた。
 バッグを手渡した男がその音に敏感に反応する。
 ――まずいな……。思った以上に早く嗅ぎ付けやがった……
 小太りの男は、その状況に苛立ちを覚えたようだった。再び銃弾を壁に撃ち込む。短い悲鳴が上がる。
「おい。誰だよ、通報したのは? あぁん? 出て来い! 今この場でぶっ殺してやるからよ!」
 声を荒げる小太り男を、もう一人が手で制した。しかし、小太り男はさらに逆上して叫ぶ。
「邪魔すんなよ、竹内! こいつら絶対許さねぇ!」
 竹内と呼ばれた男は舌打ちした。簡単に名前を出した小太りを、殺してやりたいような気分になる。
 しかしその感情を辛うじて抑え、今は仕事を速やかに終えることに集中する。
「落ち着け。おかしな真似をした奴はいなかった。金を手に入れて早くこの場から去ることだけを考えるんだ。」
 竹内の視線は、他の人間たちを油断なく見据えている。
「……それから、二度と俺の名前を出すな。」
 小太り男は、竹内の迫力に押され、ぎこちなく頷いた。

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